迷えば闇に閉ざされる。人の心が三災七難を引き起こす。
人間らしさと人間のバグ。今や人間性より罪深さが際立つ。世界は矛盾に満ち満ちて、今日も脅迫や虐待の中にいる子どもたち、大人たちがいる。
見て見ぬふりをする人、そもそもそれが見えない人、無関心な人たちもたくさんいて、虚構や虚飾、脚色もたくさんあって、現実が見えた人や為すべきこと、生きるべき道に気づいた人は誰より虚しさや無力感を感じることがある。
いっそ気づかない方がよかった、気づかない方がましだった、ということがある。これこそ人間界に横たわるパラドックスと言える。
仏陀はシンプルに「ダルマ」「アダルマ」「サッダルマ」を説いた。「ダルマ」とは「法則」、「アダルマ」とは「非法則」、「サッダルマ」とは「真理」。
法則に反して生きていることの恐ろしさや愚かさ。謗法。ダルマを重んじ、サッダルマに向かって生きることの大切さ。
日蓮聖人は命をかけてこの世界の柱になろうとし、眼になろうとし、船になろうとした。一人でも多く心を支え、眼を開き、悟りの岸へと渡そうとした。私たち仏教徒は同じ想いを抱きながら、今日も走り回ってる。
これが最終コーナーなのか、まだ何周か周回が残っているのか、ジェットスキーのレースなら分かるが、人生ではなかなか分からない。ただ、今日もアクセルを開け、荒波を乗り越えて、引き波をかき分けて、ゴールへ向けて必死に走っている。
「志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うことを忘れず」は座右にある。「明日死ぬかのように生き、永遠に生きるかのように学ぶ」のだ。永遠のゴールに向かって、永遠の周回を重ねてゆく。
ふと振り返って、今の自分に何があるだろうかと思うと、何もない。ただ、これまで積み重ねてきたことだけがある。財産もないし、頭の中にも何もない。ただ、人生がある。自分の歩んできた人生だけが、きっとどこにもない、誰も奪えない、火にも焼かれず、水にも流されない、宝物なのだと思う。
今年は「アメリカ横断」20周年、『佛立魂』出版30周年。
2005年4月、今からちょうど20年前、ロサンゼルスからニューヨークまでラジオの番組を収録するためにアメリカを横断した。オクラホマシティ爆破事件の追悼式に参列し、ダラスではJFKの暗殺現場、メンフィスではキング牧師の暗殺現場、スミソニアン博物館で広島に原子力爆弾を投下したエノラ・ゲイの前に立ち、ニューヨークで同時多発テロで崩れたWTCの跡地「グラウンド・ゼロ」で一座を営んだ。
そして、何より自分にとって大切なことは、このアメリカ横断から「Seijun’s Blog」というブログをスタートした。つまり、今年はブログを始めて20年ということになる。
ずっと、書いてきた。できる限り、日々のご奉公のことを、ブログに綴ってきた。つたない文章だけど、そこにはこれまでのご奉公の軌跡がある。
あまり過去を振り返ることはないけれど、もし病気にでもなって入院することになったら、ゆっくり自分のブログを読み返そうと決めている。
同じく、今年は『佛立魂』出版30周年にあたる。『佛立魂』は1995年10月13日印刷、11月17日の発行。26才の自分が信仰の情熱だけで書いた本。本の中に書いた疑問は未だに現在進行中の課題だ。最終コーナーの出口では何らかの答えを出したい。
30年、いや20年、早かった。人生はあっという間に過ぎてゆく。
ここから圧倒的スピードで世界は変わる。人の心も、生活も、変わる。変化に備え、しっかりと準備をして、大切な人を守り、大切な教えを守り、次の世界へ向かいたい。
今日も、今生人界の一日。
「志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うことを忘れず」
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