2011年4月1日金曜日

班長さんへの手紙 平成23年4月1日

ありがとうございます。
東北関東大震災が発生してから二十日が過ぎました。桜の開花の声を聞くようになっても、被災地では厳しい寒さが続いています。
千年に一度の大災害と言われています。覚悟していたとはいえ、まさに末法万年の中で最も厳しい時代に直面していることを痛感しました。巨大地震だけではなく、最大二十三.六メートルの大津波が人々や家々を呑み込みました。さらに、福島第一原子力発電所の原子炉が制御不能に陥り、炉心溶融から放射性物質の拡散を続けるという負の連鎖が今なお続いています。

数え切れない方々が亡くなり、家を失い、避難生活を余儀なくされています。豊かで穏やかな生活を、一瞬にして奪われた方々。原発事故は国家的、世界的な大問題となり、誰もがこの大災害の被災者であることを突きつけました。日本経済は大きく変わり、それは全ての日本人の生き方、暮らし方を一変させるに違いありません。

私は「日本人は強い」「日本人の団結力は素晴らしい」という言葉を聞いて嬉しく思いますが、果たしてそうだろうかという疑問も浮かびます。つい先日まで無縁社会を危惧し、親の遺骨を捨てる者が続出し、介護放棄された高齢者、孤独死や自殺率の増加が懸念されていた日本です。経済でも政治でも、行き詰まりと迷走や錯綜が続き、社会の生命がギリギリの状態であることを感じていたのではないでしょうか。
未だその傷痕は被災地に残っていると感じます。行政を過信してはいけません。人と人のつながり、絆が大切だったのです。行政だけを頼りにしていても必要な物資が届くか分からない。日頃からどのような輪を持って生きているか。考えるべきです。「一人でも生きていける」という考え方は、これ以上ない大きな慢心なのです。

今回の大災害で、日本人は本来持つべき輪が失われていたこと、最も必要であったことに気づきました。不幸の後に気づくのは哀しい。しかし、それでもいい。

御教歌
「世の中をうらむはおろかかひもなし 苦楽はおのが 報ひ也けり」

原発事故に関しては天災よりも人災の懸念があると言います。残念ながら原発を推進してきた政治も勢力も、豊かな生活を享受しつつ認めてきた全国民の問題です。人を批判するのは簡単ですが、自分に非があることを受け容れなければなりません。「知らなかった」というだけでは「無智宗」というより「浅識」という謗法になります。
全世界が被災者となった今回の大災害には、人類全体が受け止めるべき「サイン」「メッセージ」が隠されていると確信しています。今回の出来事から何を学ぶべきか、これは私の生涯を通じて一人でも多くの人にお伝えしていきたいと思っています。
妙深寺のご信者の皆さまにお願いです。不安定な時代となりました。今まで以上にご信心を改良して、堅固にしてください。「火不能焼」「水不能漂」の御文のとおり、地震や火事や津波にも、放射性物質からも、必ずお守りいただけるのが妙不可思議の御題目です。自分だけではなく、こうした時代となったからこそ、お互いにご信心の大切さを語り合い、励まし合ってください。口唱行、お助行、御講参詣に励みましょう。中途半端なご信心では、もうダメなのです。
私は、命を削り、捨てても、みなさんの先頭に立ってご奉公させていただきたいと思っております。生きたお寺の真骨頂、苦難の時代だからこそ、人を救い続ける、佛立寺院の真価を発揮したいと思います。みなさま、どうか、お力をお借しください。

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