2013年7月16日火曜日

小さい器と大きな器

つい先日から、父の時計をするようになりました。今まで何のブランド名も無いデジタルの時計をしていたのですが、何となくこのアナログの時計がしたくなり、棚の中から出しました。不思議と父の匂いがしました。今も、その時計をして、一人で悦に入ってます。

祇園祭の賑わいから離れて横浜に戻っています。昨夜の人出は27万人だったとか。今夜はさらに大変ですね。麩屋町近くの中学校では、この数日は「浴衣登校」というものがあるそうです。中学生全員が浴衣で登校するのですから、さすが京都ですね。清翔師も浴衣で登校したとか。日本の着物文化を否応無く体験できます。

昨日は僕も浴衣に着替えました。ちょうど昨年の青少年の一座で米津くんが作ってくれたスタッフ用の浴衣が部屋にあったんです。青少年の一座の期間中は海外から来てくれた青年会のみんなのサポートに追われて、浴衣に着替えることが出来ませんでした。あれからビニールに入ったままだったのですが、ようやく着れてよかったです。

帯が無かったのですが、ちょうど父の帯があったので、それで締めました。浴衣と帯の色がピッタリ合って、素敵でした。僕が着ていると単に白衣を着てるみたいになりますが、今年の夏は浴衣を着て歩きたいと思います。

京都、東京、福岡、そして京都で開催された青少年の一座は、本当に未来へ向けた希望、種まきの、素晴らしいご奉公だったと思います。辛いことや面倒なこともあったのですが、それぞれ青年会のみんなは前向きにご奉公を円成させました。550の記念大法要を大成功に導いた素地は、ここにあったと思います。

宗会でも何度か発言しているのですが、弘通局が変わったこともあり、今後どうなるのか分かりません。前回は当局の強い意向で青年会に参集いただき、参集いただいた上で実行委員会の自主的なご奉公を依頼しました。

青年会の、青年会による、青年会のための一座。身近な、同世代の、自分に身近な人から聞く佛立信心の体験談。特別なことじゃないということ。志を高く持つことの大切さ。菩薩の心。そして、海外に広がるご信心の素晴らしさを知り、海外の青年たちとコラボレーションして佛立信心の誇りと喜びを再発見してもらうプログラム。トンチとパンチが効いていました。

全世界の青年会が一つになれるような、それを体感できるような、そんな機会をまた作って欲しいです。ブラジルの大会と結んだりできないものかしら。

妙深寺の夏。夏期参詣、開導会、陸前高田 in サマー、ツリーハウスの完成。

今週末に迫った妙深寺の開導会。ツリーハウスのオープニング。「私と家族と妙深寺」をテーマに、奉修させていただきます。たゆまず、種まきのご奉公です。

身体が弱った時にしなければならないことは多くないはず。健康な時にすることとは違います。もっと弱ることをしてはいけないし。理屈っぽいことを言ってる間に倒れてしまうこともあるし。生き物ですから。戦いです。

弘通の器。器を大きくすることこそ修行です。器が小さいと、入りません。入れようとしてもこぼれます。だって器が小さいのだから。器が小さいと御法さまに傷がつくのです。だって御法さまは大きいのだから。

コレイア師からブラジルの偉大なご信者さんご一家の写真が届きました。なんとお祖母さまは110歳。強いご信心のお方で、左は息子さん、右はお孫さん。素晴らしいですねー。みんな、器が大きいなー。

孤独な旅です。

でも、今生で、やれるところまで、やりたい。

最近、ずっと、真実の仏教から見た「輪廻」と「転生」について御法門させていただいています。

今月の教区御講の御教歌。

「死ぬる時 たのしみのなき人はみな 世にあるをりに怠たれるなり」

説かせていただくのは難しいけれど、ここが分からないと、なんでご信心やご奉公しているのか、本当の意味が分からないはずだから。

日博上人のような活動的だった方が、病気になり、ベッドの上から立ち上がれなくなった時、とても辛かっただろうな、と想像しています。きっと、実際に、苦しいし、苦しかったと思います。

しかし、日博上人は佛立信心の真髄ともいえる辞世の句を遺してくださいました。

「ワッハッハ 良きも悪しきも今生は まずはこれまで あとは来世で」

「ワッハッハ」とは、すごいです。

僕も飛び回るのが好きだから、その動きが止まる時は、きっと苦しいと思う。

でも、「ワッハッハ」と言えるように、油断なく、怠りもなく、全身全霊で進みたい。

人生は、長さや短かさではないから。

気づいて生きたか、生きれたか、だから。

開導聖人は厳しい。阿呆の長生きは娑婆塞げとお示しになられた。アイロニーではなく、真っ向から生命の真の尊厳について戒めておられる。

口先、つま先、見せかけ、上辺だけ。全部つまらないし、関係がない。意味がない。

テクニックを学んでも、心根を磨かずにいるから器が小さくなる。

命の終わり際に、後悔で逝くか、楽しみを抱いて逝くか。

欲求のままに生きた、という自己満足では虚しい。未来永劫、それでは虚しい。

本質的な生き方が出来たかどうか。それしかないと思います。

「世にあるをりに」「怠たれるなり」こそ、戒めです。

最近、ここが分かるか、分からないか、で、ご奉公が変わると思っています。

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