2013年7月30日火曜日

僕たちのイーハトーヴ

お話をしていて、涙が浮かびました。来させていただいて、お会いできて、本当によかった。

「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」

宮沢賢治の弟・清六氏のお孫さんに当たられ、林風舎の代表として著書もある宮澤和樹さまにお会いして、お話を聞くことが出来ました。

京都佛立ミュージアムで秋に予定している「宮沢賢治と法華経展 〜雨ニモマケズとデクノボー〜」の企画について宮澤和樹さまにご相談させていただきました。林風舎の、素敵な、不思議な、空間の中で、素晴らしい時間が流れました。

この企画を推進してくれている中心人物・福岡清耀師も岩手県まで来て賢治ゆかりの地を取材してくれました。午後、宮沢賢治記念館の近くにある「注文の多い料理店・山猫軒」で待ち合わせました。清耀師と、長男と次男と私で食事をして、佐藤勝館長にご挨拶して、林風舎にお伺いしました。子どもたちは約2時間、車の中でいい子に待ってくれていました。

和樹さんとお話したこと。賢治がなぜ法華経に惹かれたか。賢治にとっての法華経とは如何なるものであったか。不軽菩薩の後を追う賢治。お祖師さまの生死一大事血脈抄の御文と賢治の法号、提婆達多品に解かれた言葉と賢治の作品の中に表れる同じ文章。法華文学。

私たちの説明を静かにお聞きくださり、聞き終わった後にはわざわざ資料を持ってきてくださってお話いただきました。

難しい話をしていたわけではなく、賢治の、その純粋な精神の、なぜ、あんな風に生きたのか、なぜ、報われないでいい、そう思えたのか、なぜ、生き急いだと思われるくらい、あんな風に、世界中の不幸の責任を背負うかのように、その不幸を無くすため、教師を辞め、貧しい農家の人々に寄り添い、童話によって子どもたちの心、思春期の子どもたちに、思いを届けようとしていたのか。

賢治は、お金持ちのサロンのようになっていた仏教の勉強会に、強い違和感を持っていたんです、と。賢治と、お父さんとの議論。葛藤。

有名なお坊さんが来て、裕福な人たちが集まって熱心に仏教を勉強していた。しかし、すぐそばに、貧しく、苦しんでいる農民がいた。そして、賢治は法華経に出会う。法華経の、実践の教え、菩薩行、行動する菩薩たちの教えに、魅了されたのだと。そこにこそ、真実の仏道がある。そこから、求道の日々が始まりました。

結局、法華経とは「行ッテ」という教えなのです。それが、法華経なのです。それが、真実の仏教なのです。テーブルの上、サロンの中にはないのです。

宮沢賢治の短い一生。作品に込められた法華経の精神。

『銀河鉄道の夜』に出てくるタイタニックで亡くなった方々のこと、キリスト教のこと、カンパネルラ、あの切符と御本尊。

早すぎる賢治の死。その遺言。

全部、思いが同じで、だからこそ、泣けました。夜、清耀師と話をしていて、また泣けました。

本当に、運転の疲れなんて一気に飛びました。またとない、貴重な一日を、過ごすことができました。和樹さまから、企画展へのご協力をいただきました。本当に、ありがたいです。ありがとうございます。

賢治が見た、賢治に見えていた、イーハトーヴ。

今でも、本門佛立宗の僕たちが見ている、僕たちに見えているイーハトーヴを、伝えたい。今の、ここが、そこであることを。常寂光土。浄仏国土。娑婆即寂光。生まれ変わり、死に変わり、永遠に続く道、続ける命。

本当に、ゼロから出発したミュージアムでしたが、一つ一つ、階段を上らせていただいています。

すべては一つ。そのことを伝えねば。まずはここから。

終わりの始まりだから、始まりの始まりを。

「願わくばこの功徳をもって普く一切に及ぼし、我らと衆生と皆共に仏道を成ぜん」

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