2016年1月22日金曜日

バンコク随想

バンコクまで到着しました。

この、北から南、南から北、というトランジットが、なかなか大変です。

寒い、暑い、寒い。

以前、日本からワシントンD.C.に行き、ワシントンD.C.からブラジルのサンパウロ、サンパウロからドイツのミュンヘン、イタリアのローマ、フィレンツェ、そして日本という出張をしたことがありましたが、夏物と冬物の服はグチャグチャ、身体もサーモスタットがおかしくなったことがありました。

バンコクはやはり暑いです。

スリランカは今日も31度だし、そんな悠長なことは言っていられませんね。

飛行機の中でも書いて書いて、バンコクのロビーでも書いて書いてしていましたが、原稿がまだまだあります(涙)。

本晨寺通信、妙深寺報、何よりも「トランクの中の日本 戦争、平和、そして仏教」の図録のあとがき。

バラバラなことをしているようで、その点と点が結びつき、太い線や大きな面になってきているのですが、まだ少し時間がかかります。

僕の中ではずっと同じ、一つの目標、描いている世界に向かっているのですが、まだまだ見ていたらバラバラ、点と点、細い線と線ですから、もう少し時間が必要だと思っています。

もっと努力したいです。

来週、学校は完成するでしょうか。

寝袋も持ってきましたし、精一杯ご奉公させていただきたいです。

とにかく、僕たちの出来る範囲でしかないけれど、子どもたちに未来を与えるために、「教育」を大切に、受けさせてあげたい。

過酷な人生は自分で切り開くしかないかもしれないけれど、教育を受けることで、彼らの人生は劇的に変わるし、オプションも増える、理不尽な偏見や差別も、コンプレックスもなくなるはずだから。

ネパールでも、インドでも。

もちろん、日本やその他の国々を見ていて、それだけで幸せになれるものでもない。

教育を受けていても、むしろ虚しく、偏って、空回りして生きている人もたくさんいるから。

知らないでいいことも、知ったら目の前にある豊かな、大切なものを見失うこともあります。

本質的な、人間にとっての、人生というものの矛盾。

しかし、教育は、やはり最低限の、子どもたちに与えられるべきチャンスであり、可能性を引き出す権利でもあるから。

そして、仏教。

私にとって「仏教」とは、どこまでも「佛立(人が立てた教義ではなく仏陀が立てた)」の「仏教」だから、最も偏りがなく、ジンクスやコンプレックスから離れた、不変の、不偏の、普遍の教えだから、伝えてゆきたいと思うのです。

しかし、人間はすごいなー。

こんなにいろいろな国や人種が入り乱れて、世界中を旅してる。

この100年は、地球史上、最もダイナミックな、経験したことのないフラットな世界になっています。

いや、フラットになったからこそ、軋轢ばかりが目立ち、確かに巨大なうねりも見えるけど、人間の心、人類の意識が、一つ上に行ける可能性は今しかないと言えるほど、ある。

そこに、人類が一つ上に行くアイデアの一つに、間違いなく「仏教」があると思います。

トランジットの、ハブ空港で、様々な人の渦の中に立っていると、そんなことを考えます。

これからカトマンズに向かいます。

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