カトマンズに無事到着し、清行師や良潤師、シェーカーと合流しました。
また、ネパールのチームとも合流。
日本大使館にもお伺いして、大変お世話になった福澤さまに御礼のご挨拶をさせていただくことも出来ました。
第一回の支援活動に参加してくれた猛者たちでした。
みんな、一様に旭のことに心を痛めていたけれど、それぞれが心の深いところで受け止め、さらに強く、純粋なご信心をつかんでくれたようでした。
ネパールで入信した青年たちの、熱い気持ちに感動します。
特に、ギャヌは、第一回の支援活動で、大雨で進退窮まった時、お看経しかないと言われてみんなで御題目をお唱えした時に、なんと降り続いていた雨が止んだのだ、あれから僕はこのマントラがユニバースとつながっていることを感じ続けているんだ、だからお唱えしているんだ、と熱く語ってくれました。
みんな、本当に立派な、初心の佛立信徒
法華経本門の、一念信解・初随喜の人ですね。
昨夕、合流までの時間を使い、空港からほど近いパシュパティナートに行きました。
長い時間、荼毘に付される人びとを見続けていました。
人間が、燃えてゆきます。
当たり前のことだけど、分かっていないから。
旭が亡くなった後、このネパールで荼毘に付しましょうという提案もありました。
しかし、妙深寺の本堂に連れて帰りたい、一目でもお父さまにご挨拶してもらいたいと決断し、そのようにしました。
そのようにして、よかったと思っています。
また、もう一つの理由は、「ネパールで荼毘に付すのは、日本とは全く異なります。」と福澤さまからアドバイスをいただいたこともありました。
「ご家族にとって、それがいいことならばいいのですが。」
人間は死に、その身体は朽ちて、滅びる。
こんな当たり前のことが、なかなか分からなくなってしまいます。
特に日本では、老いも、病も、死も、日常生活とは少し離れた場所に置かれてしまうから。
施設や、病院や、美しく整備された火葬場の扉の向こう側に。
パシュパティナートでは、毎日50人から60人の人びとが火葬されています。
24時間、絶え間なく火葬が続きます。
万が一、一人の火葬もなかったら、それに代わる人形を荼毘に付すことになっているとのことですが、そんな日はないようです。
ヒンドゥー教徒は、この川がインドのバラーナシを流れるガンジス河に通じていると信じ、ここで荼毘に付し、その遺灰を流せば母なるガンガーへ戻ることが出来ると信じているので、多くの人びと、家族が、ここで荼毘に付すことを求めてくるのだといいます。
川岸に座り、いくつもの炎と、いくつもの煙を、見つめていました。
また、次の人が運ばれてきた。
家族や友人が、故人を悼みながら、遺体の周りを回ります。
そして、口から火をつける。
太陽が沈み、夕闇の中で、口から立ち上る炎。
いつか順番が来る。
自分の番が来る。
都会の真ん中にある、オープンな火葬場。
立ち上る煙。
カトマンズの空を包む白い霧は、この場所から旅立つ人びと、荼毘に付す煙だと言われます。
信仰が、ある。
こうして、人間の有り様を、目をそらさず、目を閉じず、まっすぐに見つめていると、どんな人でも何かが変わるはずです。
「臨終の事を先に習ひて、後に他事を学ぶべし」
お祖師さま、日蓮聖人は、まず自分が「終わりに臨む」ということを習ってから、その後で他のことを勉強しなさいと言われていました。
自分の番のこと。
みんなで、御題目をお唱えしました。
何よりも、こうしてネパールのみんなと御題目をお唱えできたことが嬉しかった。
これまでのご奉公の結果です。
ここで人生を終えた、星の数ほどの、人びとの霊魂へ向けて、これからのご奉公、ネパールでのご弘通を祈り、御題目をお唱えしました。
仏教の創始者、仏陀の生まれた国、ネパール。
ネパール最高の聖地とされるパシュパティナート。
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