新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
初代清照院日博上人と先住松風院日爽上人は、法寿六十才を過ぎたばかりで今生のご奉公を終え、ご遷化になられてしまいました。あまりにも早いお別れに、言葉がなかなか見つかりません。
しかし、ゼロからの出発だった妙深寺が、今日のように見事なお寺として存在していること、その大きな恩恵の中で私たちがご信心させていただいていることを思いますと、戦中戦後の草創期、昭和から平成の発展期を、お二人の御導師が命を削られながら凄まじい指導力を発揮してご奉公くださった賜であることを痛感します。
戦後の平和が、戦没者の方々のおかげであるように、現在の妙深寺は両御導師方をはじめ、数え切れない教講の血と汗と涙の結晶、積み重ねられたご奉公のおかげです。今年お迎えする、日博上人の御五〇回忌、先住松風院日爽上人御十七回忌を契機に、現在の妙深寺教講として精一杯のご奉公をさせていただければと思います。どうか、皆々さまで奮起して、混沌とした時代の中だからこそ、真実の仏教、佛立信心の尊さを噛みしめ、実践いたしましょう。
今年の総祈願の冒頭は、
「一念信解 初随喜のご信心」
と掲げております。
何度も御法門を聴聞し、ご存じのことと思いますが、これこそ信行ご奉公の肝心要、何より大切な心、姿勢です。
瞑想でも決して到達できない。般若心経などでは何も得られない。仏道修行で大切と教えられてきた六波羅蜜、六度行を積み重ねてはじめて到達できる境地、頂戴できる功徳を、罪障の深い末法の衆生がすべて円満にいただけるのが「一念信解 初随喜」のご信心、ご奉公なのです。
だから、私たちは「初心(うぶ)な心」でご信心をさせていただき、喜んで前向きにご奉公させていただこうとしています。この心、この姿勢を定規として努力したいのです。これは現証の御利益に直結します。
何よりも、まずご宝前に向かう時の心をチェックしてみましょう。ご宝前を心からお敬いし、一目でも見たい、お会いしたい、そう恐れ入り、恥ずかしがり、お慕いすることがご信心の「心」というものです。
こうしたご信心の「心」を、誰もが一度は経験したことがあるはずの恋愛の心境に重ねて開導聖人は御教歌をお示しです。
御教歌
「恋したひ唱へかさねしこゝろより 法の光りの顕れにけり」
恋する人のように、御本尊、お祖師さま、ご宝前を拝見して、御題目を唱え重ねよう。想像してみてください。ご宝前でしてみてください。「恋い、慕う」という「気持ち」で唱えてみる。恋する人のように。恋人を待ちわびる人のように。愛する人を慕って、願う人のように、ご宝前に向かいましょう。
恋愛にも倦怠期があるものです。慣れてくると結婚した時の気持ちも薄れて、ワクワク、ドキドキすることも無くなり、感謝や感動もしなくなると言います。どれだけ年月を重ねても、愛情を上質な関係に昇華させるカップルもいます。もちろん、こうした関係を目指さなければなりません。
慣れたら、何にもなりません。
み仏は法華経如来寿量品にお諭しです。
「いつでも私に会えると考えているから、慢心してわがままに、怠けて欲望にまみれ、悪い道に堕ちて苦しんでいるのがこの世に生きる人々である」
恋い慕う人のように、思いやりと感謝でご奉公を開始しましょう。今年、みんなで「法の光」を見ようではありませんか。
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