2020年9月5日土曜日

『貴重な時間の使い方』 妙深寺報 令和2年9月号




『貴重な時間の使い方』

妙深寺報 令和2年9月号 住職 清潤


私たちはこの世界に重たい体を背負い、不自由な心をひきずって、生きています。この体を養うため、浮き沈みのある心を何とかしつつ毎日を営んでいます。


 「生きていく」ことは当然ですが簡単ではありません。働かなければなりません。何とか収入を得る。食っていく、食わせていく。


 自分のしたことに見合ったお金が入ってくるか。しっかりと対価が支払われているか。今の仕事が自分に合っているか、今の仕事は自分が本当にやりたかったことか、逡巡と考えることもあるでしょう。


 一方、たとえ収入が少なくてもやりたいことをして生きていけるならそれでいいという人もいます。仕事が一番の人もいれば、趣味が一番という人もいます。趣味さえ出来ればいい、趣味のための仕事だと割り切っている人もいます。


 心の中では一日に八億四千万の念慮が次々と湧き起こっています。それが心の科学・仏教の見解です。動物であれば本能に任せておけばいいものも、人間はそうならないのです。様々な種類の際限のない欲望につきまとわれ、仕事と生活、心と体のバランスを必死で取りながら毎日を営んでゆく。


 心の平穏を求めても、暮らしの安定を求めても、なかなか手には入らず、満タンにならず、不安は消えず、人をうらやみ、縛られてしまいます。楽しさやうれしさも感じながら、怒りや焦りや寂しさ、息苦しさ、悲しさも止まない。


 こうした状態から抜け出ること、真の自由と平穏をもたらすものが「ご信心」であることを、どうか忘れないでください。


 無常の世、喧騒の世の中。重い体に難儀な心。その心と体を解放する術と道がご信心です。仏教の根幹です。生きるための道しるべとなり、心と体の薬となり、目的や意志でもあります。


『妙講一座』の随喜段を拝見し、これを自分の心で感じられるようにしましょう。


「あゝ有難や、まれに人身(にんしん)を得、適(たまたま)仏法にあへえり。然らずは生涯衣食(えじき)の獄(ごく)につながれ、名利(みょうり)の網にかゝりて、いかでか六道の衢(ちまた)を出(いで)ん。如来の大悲にもれぬれば、人間の甲斐もなく、何を此の身の思ひ出とやせん。」


「ああ、なんと嬉しく有難いことでしょうか。私は稀にしか生まれ

てくることができない人間として生まれ、その上お出値いしにくい

妙法のご信心にたまたまお出値いすることができました。

 もし、お出値いできなかったなら、一生涯、衣食住にのみ追われる牢獄につながれ、あるいは名誉や利欲を追い求める網にかかり、どうして地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の六つの境涯をめぐる苦しみの迷路から抜け出ることができたでしょうか。み仏の大慈悲の救いから漏れてしまったなら、いったい何を一生の生き甲斐や思い出として残すことが出来たでしょうか」


 これはただ書いてあるだけではなく、御法にお出会い出来た者の

心境としての目標。心の置き所としての目標です。


 いま、社会に負のエネルギーが充満していて、正常な人も異常に

なる、賢い人もアホになる、戦争直前の状態、そんな様相と感じて

います。


 終戦から七十五年目の夏が過ぎ、各地で様々な式典が行われました。挨拶で語られる政治家の話は軽く、空虚にひびきます。今や世界中の政治家と民衆が民主主義に辟易し、自ら放り投げているようです。


「歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もある」


「歴史から学んだことは、人類は歴史に学ばないということだ」


 いま、貯金を使い果たし、借金まみれになって露頭に放り出され

るような怖さや悲しさがあります。

全ての果報を使い果たして、いざ刻々と破滅の時が近づいている。

そんな気持ちにもなります。


 偏狭な人物がアメリカの大統領にあり、ロシアのプーチンも中国の習近平も乱世に覇権を敷こうと虎視淡々と狙う権力者です。


 八月八日、NHKのETV特集で「焼き場に立つ少年をさがして」という番組がありました。番組の締めくくりはジョー・オダネル氏の肉声、インタビューでした。


【米国人記者】アメリカ人として原爆投下直後に街を歩いてどう思

ったか?


【オダネル氏】間違いだと思った。


【記者】原爆がアメリカ人や日本人の多くの命を救ったと言う人々

に言いたい事は?


【オダネル氏】何も救わなかった。罪のない人々を殺しただけ。私の考えに同意しない人がいるのはわかっている。でも我々はおばあさんやおじいさん、子どもを殺した。


【記者】無意味な虐殺だったと?


【オダネル氏】そうだ。


 このインタビューは、アメリカ国民が信じていたことを否定しています。オダネル氏は退役軍人会から大バッシングを受けましたが、考え方を変えることはありませんでした。


 末法の空気を吸い、その流れに身を任せているだけでは、真実など見出せず、真実を伝え、真実の生き方をしてゆくことも出来ません。佛立仏教徒の生き方は、人数の多少に寄らず、真実に従い、大事の道を歩むことです。


 今や日本も米国のように価値観が分断されています。貧富の差は開き、差別や区別も激しくなっています。自分の人生を、この世をより良くするために使わなければもったいない。混乱の時代にこそ「一乗の妙法」に回帰することが大切であり、欠かせないのです。


 開導聖人の御指南に、

「一日をいたづらにくらすといふ、いたづらとは我身罪滅 所願成就の信行修行の出来る一日を煩悩のために無益(むやく)にするをいたづらにくらす一日といふ(何ヲスルトナク。キョロキョロトクラス也)。

信行第一にせば今日も都合よし。これを思へ。

もしいたづらにくらせば人と生れしかひもなし。畜類にもおとる。

唯食ふのみにて死ぬるなれば鳥屋の竹垣の中のあひるにも劣れり。

彼は人をやしなふ。人間はあひるを食(くろ)ふて、世間に益なし」


上欄「是ヲ以テコレヲ思へえバあひるノ為ニハ人間ハ鬼也。又信者ハ菩薩也。如来ノ御使也。御使トシテ一日ヲいたづらにスベカラズ」(扇全二十九巻一二頁)


 なにもしないならアヒルの方がマシだ。自分のことばかり、人のことも、世の中のことも、罪障を消滅し、祈願を成就する、功徳を積むということにも関心も努力もない。そんな人はアヒルにも劣ると御指南されています。


 私たちの心境、私たちの生き方。相変わらず物事が見えていない、迷って、間違って、仕事に追われ、趣味に興じて、大切なことが出来ないようではアヒル以下です。


 人生の、貴重な時間の使い方です。

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