2020年9月22日火曜日

国際平和デー







































2020年の9月21日、国際平和デーは、大阪の万博記念公園。


また、一生分の一日を、ありがたく、尊く、特別に過ごすことが出来ました。


大阪万博が開催されたのは1970年。あれからピッタリ50年。2020年。


ニューヨークの国連本部には「国連平和の鐘」と呼ばれる日本の鐘が寄贈されています。


この鐘を寄贈したのは愛媛県宇和島市の市長を務めた故・中川千代治氏。中川氏は太平戦争末期、将校としてビルマに出征していました。その戦闘で部隊員が全滅、自身も被弾したのですが一命を取り止めたそうです。その苦悩は並大抵のものではなく、戦争の愚かさと恐ろしさ、平和絶対主義を貫くために行動を起こされました。


昭和26(1951)年に日本が加盟していない国連総会にオブザーバーとして出席し「平和の鐘を作りたい」と訴え、世界各国の硬貨や自身の軍刀などを溶かして鐘を作り、3年後の昭和29(1954)年に「世界絶対平和萬歳」と刻まれた鐘を寄贈したのです。


それから約15年が経過し、大阪万博が開催されることになりました。


この時、中川氏は自身が寄贈した国連の「平和の鐘」を大阪の万博会場に移動させて設置し、日本の地から世界の平和を祈るべきと考えたのです。そして、その夢は実現しました。当時の事務総長は中川氏が負傷したビルマ(現:ミャンマー)出身のウ・タント氏だったのです。


鐘が日本に移設されている間、国連本部の鐘が留守になってしまってはいけないと考えて鋳造されたのが「姉妹鐘」「留守鐘」と呼ばれる鐘でした。これは中川氏が戦地から帰国した時、お寺の鐘楼から鐘が無くなっていた時のショックに由来するそうです。


寺社の90%の鐘などが政府に接収されて武器となりました。そんなことをさせてはならないと強く思われたのですね。


万博終了後、万博会場の鐘はニューヨークの国連本部に戻り、国連本部で留守を守っていた鐘は万博記念公園に寄贈されたのでした。現在、EXPO’70 パビリオンの前、立派な鐘楼の中にあります。


国連は昭和56(1981)年に国際平和デーを宣言。平成14(2002)年に国連総会開会日としていた9月21日を国際平和デーと定めました。中川千代治氏の活動が深く影響しています。そして、毎年この国際平和デーに国連本部で平和の鐘を鳴らす式典が行われてきたのです。


今年はコロナ禍で国連本部での鐘打式が中止になるかもしれませんでした。しかし、中川氏の息女で現在「国連平和の鐘を守る会」の代表でもある高瀬聖子会長が継続を訴え、それに応えてか9月17日にグテーレス事務総長など少数が参加して平和の鐘を鳴らしてくださったそうです。


今日、御縁をいただいた私も鐘打式に参列させていただきました。50年ぶりの万博会場。太陽の塔を間近で見上げるのも50年ぶりということになります。1才だったのでハッキリした記憶はありませんが。


歌舞伎役者の中村橋吾さまによる奉納の演目がありました。心から感動しました。中川氏の功績を称え、世界平和を希求するオリジナル歌舞伎。ぜひ観ていただきたいと思いました。


私も鐘打させていただき、感動いたしました。


お彼岸でもあり、賢治さんの祥月ご命日でもあり、国際平和デーでもある日に、こんな素敵な過ごし方をさせていただき、本当にありがたく思いました。


これからの一生、さらに世界の平和のために力を尽くしたいと思います。


中川氏の生涯を振り返りながら、Appleのコマーシャルを思い出しました。「クレイジー」と言われるくらいの情熱がなければ世界は変わらない。クレイジーと呼ばれる人だけが世界を変えてきた。


クレイジーにならなければ。


ありがとうございます。

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