妙深寺にとってかけがえのない方々のご自宅で、今日はそれぞれ御講を奉修させていただきました。
白川さんが亡くなられてから今年で丸20年。早いものです。病院へお見舞いに行った日のことが忘れられません。まだ果たせていない約束があります。申し訳ないです。忘れてはいません。
東日本大震災の発生時間、白川さんのお家でした。お戒壇についた傷、吊り灯篭が激しく揺れてついたものです。為す術もありませんでした。これも忘れられない思い出です。
今日も、ハンサムな白川さんに見守られながら大切に御講を奉修させていただきました。ありがとうございます。
午後は石原さん。ご宝前が美しく輝いていました。お祖師さまのお綿、芸術的におかけくださっていました。代々に受け継がれてきたお給仕第一のご信心、さすがです。
最晩年の石原さんはこの部屋におられました。ご帰寂の少し前、お見舞いに来させていただき、この部屋で最後の会話をさせていただきました。あの時のお言葉一つ一つ、鮮明に覚えています。
時は巡り、巡ります。30年前から変わらないご宝前で営まれた素晴らしい御講でした。それぞれのご宝前は細部にまで気持ちが込められていて、本当に見事なご荘厳でした。ありがとうございます。
そして、今日の御講でお聞きした松永さんからの素晴らしい言葉。
「焦ることはありませんが、ゆっくりしてもいられません。」
みんなの幸せを願うから、そういう気持ちでいます、とお話くださいました。僕もまったく同じ気持ちです。焦ることは無いけれど、のんびりもしていられない。本当に、ありがたいです。
石原さんのお席では砂押さんと写真を撮らせていただきました。
10月の妙深寺の御会式、コレイア御導師のご奉修。砂押さんはブラジルの中央寺院建立のために大変な御有志をなさいました。
今は一人暮らしの砂押さん。ご高齢でなかなか思うようにお参り出来ないと言っておられましたが、「日博上人がいてくださったからこそ今の私があります。私は日博上人が〜、と聞くとさせていただかなくてはならない、と思うのです。」と言っておられました。
「若い頃、日博上人から優しく教えていただいたこと、忘れられません。」
本当に、ありがたいです。結局、すべてが過去からの種まきのご奉公で、私たちは恩恵の中に生きています。これが真実、尊い生き方。永遠に種まきを続けてゆかなくてはなりません。
砂押さん、ありがとうございます。
みなさま、ありがとうございます。
妙深寺に戻り、夕方からは教務会でした。厳しい時代の中、生きたお寺であるために、油断せず、異体同心でご奉公させていただきます。みんなで来年の弘通方針について話し合いました。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。
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