2009年12月24日木曜日

クリスマスイブの待合室

 今日は、朝参詣が終わった後、すぐに横須賀まで走りました。目の前に横須賀港が広がると、巨大な潜水艦が3隻停泊していました。いつもよりも1隻多い。年末だからなのか、大きな艦船がたくさん並んでいました。あ、世間はクリスマスイブだからかな。
 今日、横須賀に来たのは病院に行って診察を受けるため。定期的にチェックしなければならない部分があるのですが、忙しさにかまけて3年ぶりになってしまいました。これじゃまずい、と思い、いろいろなことも重なっていますし、予定を探して、今日の診察となりました。
 診ていただくのは先住(父)も診ていただいていた先生で、もう10年以上お世話になっています。いろいろなことがあり、私は心の底から信頼しています。本当に、素晴らしい先生です。
 先住の闘病の際、うちひしがれる私たち家族に対して、懇切丁寧に対応してくださいました。私のご奉公、先生の朝から晩まで患者に向き合う姿、手術の日には10時間近く執刀することあれば、外来で何十人もの人と向き合う、入院中の方々の回診をされる、そんなすごい医師、先生の姿に学ばせていただいている部分があります。
 いつも突然のお願い。勝手な時間になってしまいました。予約してくださった瓜生さん、そして藤田さん、ありがとうございます。
 昔、意識不明の父の看病をしていた頃のこと。床擦れを防ぐクッションを買いに行きました。そうしたグッズが高島屋にあるということで、病院から横浜駅に行ったのです。
 重苦しい病室から一転して、賑やかな高島屋の店内。その一角にある小さなお店。その小さな店内で介護用品を探している私たち。数人、同じように看病に疲れておられるような方々がおられました。賑やかな世の中とのギャップが痛切に感じられて、何故か涙が浮かびました。あの時のこと、その情景、気持ち、忘れられません。いや、忘れないようにしています。
 今日、病院でよかった。仏教徒である私には何の関係もありませんが、世の中は「クリスマスイブ」という賑やかな日だから。だからこそ、病院に行けて良かった。クリスマスイブ、そういう日にも、ここには病気で苦しむ人がいて、それを見守るご家族がいる。体調が悪かったり、病気を抱えていたり、不安だったり、元気がなかったり、心が晴れないであろう多くの方々と一緒に、待ち合い室に並んで座れて、よかったです。
 私は、ジョン・レノンが好きです。彼の才能、曲や声が好きなのは当然のことですが、それ以上に、彼の考え方や生き方に共感しますし、感銘を受けています。
 「レノン・レジェンド」というDVDがあります。オノ・ヨーコさんが映像・監修をされたものですが、この中に、ジョン・レノンのクリスマスソングである「ハッピー・クリスマス(戦争は終わった)」が収録されています。これが、猛烈な、痛烈な、辛辣な、哀しいほどの皮肉に満ちていて、はじめて観た時、僕は涙が出て仕方がありませんでした。
 その、曲の、綺麗な旋律が流れる直前、彼女と彼は、自分の子どもたちの名前をささやきます。そして、ジョン・レノンのクリスマスソングが始まる。
 しかし、そのクリスマスソングの映像は、冒頭から、キラキラと輝くクリスマスツリーや電飾などを映すのではなく、足を地雷によって吹き飛ばされた少年、戦闘に巻き込まれ、誤爆(そんなものは最初からないと思っていますが。確信的爆撃以外に何があるでしょう)され、死にかけた子どもたち、憎しみに燃えた少年たちの瞳、そのベッドの傍らで途方にくれる父親、民族衣装を着た老人が毛布に包まれ足だけ見えている赤ちゃんの死体を抱きながら震えながらむせび泣いている映像、死体、涙、喧嘩、兵隊、子ども、赤ちゃん、爆弾、硝煙、死体、死体、兵士、埋葬、涙、戦地、別れ、ヒロシマ、ナガサキ、ベトナム、戦車、人間、人間、人間…、涙、涙、涙、死体、少年兵、貧困、飢餓、子ども、子ども、と続きます。
 世の中、こんなに浮かれてるのに、クリスマスだとか、正月だとか、それらを祝っているのに、一向に愚かな戦争は終わらないじゃないか、なにがクリスマスだ、なにが正月だ、傷ついている子どもたちを見よ、嘆き悲しんでいる家族を見よ、苦悩する人々を見よ、これでもか、これでもか、これでもか、と、目を背けたくなるような映像が続くのでした。私には、これが彼らによる一流の皮肉、メッセージだと思います。
 誰もが、多くの戦争や紛争が宗教によって引き起こされてきたことを知っています。中でも、私は、イエスが「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、 と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。わたしは、敵対させるために来たからである。人をその父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして、 自分の家族の者が敵となる。」と、その聖書の中で明言しているとおり、多くの愚かな紛争が旧約聖書を起源とするユダヤ教やキリスト教、イスラム教などの一神教によって引き起こされてきたと考えています。
 この聖書の言葉でも明らかなように、特にイエスによって創始されたキリスト教によって、植民地支配や民族間、宗教間の争いが助長されてきたと考えていますし、それは歴史的な、時事的な面でも、事実だと思います。なんといっても、「私が家族に平和をもたらしに来たと思うな。私は家族に争いをもたらしに来た」ということを言っているのですから。
 だからこそ、この曲と、この歌詞、この映像の、何と皮肉に満ちたことか。明らかに、強く、世界に、多くの人々に、何を祝ってるのか、何をやってるのか、何をやらなければならないのか、と再考を促しています。私は、そういう意図があると確信しています。それを考えずに、「メリークリスマス」などと言って乾杯しているのは、愚かの極みではないでしょうか。それで大丈夫でしょうか。おかしくないでしょうか。
 「正しい信を持たないかぎり、この世界が抱えている問題は解決しない。穏やかな、平和な日々が訪れることはない」。これが答えです。仏教の帰結するところ。これが結論です。立正安国論で説き明かされた御意です。「平和ではなく剣をもたらすためにきた」というイエス。その誕生を祝って、今夜はクリスマスをするのですか?是非、このリンクから、あなたも映像を観てもらいたい。もちろん、「メリークリスマス」と曲の中には出てきますが、その深い意図を、考えてみていただきたい。
 私は、今日や明日という「クリスマス」という期間や日を、「仏教再考の日」にしてはどうかと思っています。これを言うと笑う人がいますが、冗談じゃないんです(笑)。「仏教最高の日」でも「仏教再興の日」でも良いのですが、とにかく、今一度、キリスト教と、その宗教、今の世界、紛争、命、人類、人間というようなことを考え、そして、仏教の教えるところを考えていただきたい、仏教の尊さを考えていただきたい、仏教こそ、人類の宝であることを考えていただきたいのです。そういう日に、してはいただけないでしょうか。やはり、冗談に聞こえるかな(汗)。
 自分の病院の後、待ち合わせをして別の病院にお見舞いに行ってきました。やはり、重苦しい病室の中でしたが、意識が混濁しておられる方の手を握り、ご家族と一緒に御題目をお唱えしていると、苦しみも哀しみも、一つになって溶け出し、幸せや喜びに代わっていくのを感じます。最大の不幸も、幸せへと変わる。そうでなければなりません。
 そして、横浜に戻りました。夕方の空の色が、あまりにも綺麗だったので、写真を撮りました。本当に、地球は美しいです。かけがえのない、美しさ、尊さです。ここに、住まわせていただいて、本当にありがたいと思います。私たちの愚かさで、壊すことのないようにしてゆきたいものです。
 本当に、日々に感謝。美しい空、星、人々に、感謝です。
 ありがとうございます。では、PCでも携帯電話でも最近は観れるようになってきましたので、ジョンの曲をお聴きいただきたい。お坊さんが、クリスマスソングを勧めるのは変?謗法?いや、だからこそ、菩薩の誓いを、ご弘通の使命を、噛みしめていただきたい。

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