2009年4月7日火曜日

山際素男氏への追悼

 山際素男氏が3月19日午前11時18分、間質性肺炎のため東京都内の病院で亡くなったと報道で知った。享年79歳。惜しい方を亡くしてしまったと、惜別の思いを抱く。
 私は氏の著作の多くに触れてきた。中村元氏とは違う、生のインド、インド社会と文化を、圧倒的な知識と洞察力で日本に紹介くださった。氏の功績で、日本人は幻想的な天竺から現実的なインドへ意識が昇華したと思う。
 著書「不可触民-もうひとつのインド」、訳書「アンベードカルの生涯」「ブッタとそのダンマ」などは、インド憲法の父、ドクター・アンベードカル(Bhimrao Ramji Ambedkar)を私が理解するために欠かせなかった。賛否両論あるとはいえ、不可触民階級出身だったアンベードカル博士は、近代インドにおける仏教革新運動の原動力となった人物である。
 彼は、かの世界から尊敬を集めるガンジーと真っ正面から対峙した。インドが抱える本当の問題、ガンジーが立ち入れなかった(立ち入ったが、それは不十分だった)インドの暗部・最深部・病巣、アンタッチャブル(アウト・オブ・カースト、不可触民)は「ヒンドゥー」という「宗教文化」によって派生し、数千年もの間、決して顧みられることのなかった虐げられた人々がいたことを訴えた。
 彼は、ヒンドゥーという宗教から、インドが生んだ唯一無比の存在・ブッダの教えに帰入しなければ真のインドの平和、人々の真の幸福も得られないと断言した。そして、30万人を超す民衆と共に、竜樹菩薩(ナーガルジュナ)が活躍されたというインド中央部の都市ナーグプルに於いて仏教への改宗式を行った。
 私が、アンベードカル博士の理解を深めるために山際氏の著書や訳書は不可欠だった。仏教学者としてではなく、インドという古代からアジアの中枢であった地域社会と文化を広く理解し、「マハーバーラタ」などヒンドゥーの深部まで造詣のあった山際氏の見解は、非常に重かった。「仏教」の価値、ブッダの説かれた「平和」と「平等」の意義を、深く理解するサポートをしてくださったような感覚でいる。
 実際、ぜひアンベードカル博士の生涯を日米印の三ヵ国で製作してもらいたいなぁ、とひろし君に話していた。何度も言うが、近代インドの仏教刷新運動やアンベードカルの説いた仏教については賛否がある。他の日本の仏教界でも良いように取り上げては利用されてしまっている。ただ、アンベードカル博士の実像を、その生涯を、黒人差別よりも根深い差別と戦う闘士、新興国として注目されるインドの憲法を書き上げた偉人、かのガンジーと対峙した政治家として実物大に描いていただきたい、と。
 そして、その生涯を描くことによって、真のインドの姿、インドの抱える問題と課題、インドの未来、真の平和とは何か、真の平等とは何か、そして仏教とは何か、真実の仏教をも示唆し、描いていただきたいと話していた。もし、その映画を作るとすれば、日本で山際氏以上のアドバイザーはいなかっただろう。ぜひ、ご指導をいただきたいと思っていたのだが。もう、それも叶わない。
 映画を作るなど、自分の夢について語り、その夢の中に登場する山際氏が亡くなったことで惜別の思いを抱いているのはおかしく思うかもしれないが、それでもいい。ダライ・ラマ氏と面会する前にも、氏の訳書を読みあさった。本当に、惜しい方を亡くした。本当に、感謝している。残念でならない。

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