2007年11月4日日曜日

今朝の空

 今朝の空は、思わず息を飲んだほど綺麗だった。

 本堂に入る直前、そこに窓があり、遠くに横浜の港が見えると何度か書いてきたが、今朝は本堂に入る前に立ち止まってしまうほど、朝焼け、雲、光のコントラスト、高層のビルや風車の影がぼんやりと浮かび上がっていて、何とも言えなかった。

 随行の清仁師にカメラを持ってきてくれるように頼んだ。走って持ってきてくれたカメラでパチリ。空が青い。

 何年前だろう。マウイ島のハレアカラ山から朝焼けを見た。ハレアカラ山は標高3000mを超える火山だが、何と車で頂上まで行くことが出来る。真夏であろうとものすごい寒さで、その時もIwasakiさんの家から毛布をたくさん持って行って、毛布にくるまって外に出る。空気が薄い。私たちが頂上に着いた時、空はまだ真っ暗だった。

 そこでガチガチ震えながら夜明けを待つ。太平洋のど真ん中に浮かぶ島。その島にある富士山に近い標高から日の出が見えるなんて。太平洋の向こうから太陽が上がってくるのを、観光客だろうか、大勢の人たちが見守っている。お年寄りもいれば、星座の説明を受けている観光客もいるし、ホテルから抜け出してきたような若いカップルもいる。みんな毛布にくるまっていた。

 今もそうだが、その頃も松井孝典氏の著作を読みあさっていて、ちょっとした天文少年だった。天体望遠鏡を持って、そこに映る何千万キロ、何光年も先の星に思いを馳せる。星たち、星座、星雲。そんな世界、宇宙を感じながら、俯瞰的に地球、人間圏を眺める。その繰り返し。ありがたい。

 熱心な法華経の信者、宮沢賢治が御仏の説かれた壮大な宇宙論から「銀河鉄道の夜」を書いたように、法華経のスケールの大きさは旧約聖書の創世記などの比ではない。法華経を拝見していると、何個も、何個も、星雲や、生命の存在した星を飛び越えていく感覚が湧いてくる。時間も、空間も、飛び越えて宇宙に存在、偏在していく感覚。そうした世界から地球という天体に集まってくる感覚。帰って行く感覚。戻っていく感覚。

 そうしたものを宮沢賢治は彼独特の感性で受け止め、豊かなイメージと壮大なスケールの童話を書き上げたのだろう。本当に、彼のように御仏の世界を描き、実践できる人も素晴らしいと思う。

 私はと言えば、もっと現実的だし、小賢しい。『宇宙からの贈り物』として「ドレイクの方程式」などを紹介して、宇宙を正しく見据えることを薦めた。壮大な宇宙を小馬鹿にしたような占いや風潮があるのを嘆かわしいと思って。

 とにかく、私は空と雲が大好きで、いつまでも眺めていられる。そして、地球を体験できる朝焼けや夕陽を見ることが好きである。さらに飛躍すると、地球と宇宙を大実感できる『スカイダイビング』だって好きであった。先輩に連れて行かれて、ライセンスまで取ってしまったのが『スカイダイビング』であった。これはまた別の機会に話をしたい。そして、実は隕石も好きである。特に、『アエンデ(Allende)隕石』には興味が尽きず、ワシントンのスミソニアン博物館で見た時には大感激した。

 この隕石は、1969年2月8日、現地時間の午前1時に、メキシコのアエンデ(Allende)近郊に落下した隕石。落下の際には周囲が明るくなるほどの大火球が目撃され、大きな爆発音で村人が目を覚ましたという。全部で2トン以上の隕石がバラバラになって落下し、その範囲は150平方キロメートル以上に及んだ。
 アエンデ隕石は、太陽系が超新星爆発のガスなどが集まって出来始めた時、最初の高温の段階でガスから凝縮した塵が45.66億年前に固まった太陽系で最も古い物質であることが分かっている。当初、歴史上はじめて太陽系外から飛来した隕石と考えられていた。この壮大なスケール、想像がつくだろうか。

 そういう経緯もあって、太陽系外物質の発見や、アミノ酸の検出により生命の起源の問題にまで謎を投げかけたのであった。まぁ、とにかく、そういうことの大好きな天体少年なのであった。

 ここに出した2つの写真は、スミソニアン博物館を歩いていた時、偶然目の前に飛び込んできたアエンデ隕石の展示。感動して写真を撮った。

 小さなアエンデ隕石の欠片は、私の宝物でもある。

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