2012年8月21日火曜日

虚しく天を仰ぐ。山本美香さんの訃報に接して。

シリア北部のアレッポで、ジャーナリスト・山本美香さんが亡くなった。志の高い、本物のジャーナリストの死に、ただ虚しく天を仰ぎ見る。

彼女の存在は、独立系通信社ジャパンプレスの佐藤和孝氏と共に、戦時下のバグダッドからイラク戦争の状況を生々しく伝えた時から知られるようになった。

あのバグダッドからの報道。食い入るように観た。大手の報道機関が腰を引いて行かせなない戦場。情報が少ない中、現地から届く映像、音、光、兵士や市民の表情。特に、彼女の報道は戦争や紛争の中にいる女性や子どもたちの姿だった。

イラク戦争の開戦から半年。私も中東に入った。イスラエル、エルサレム、パレスチナ。私はこの戦争や紛争が「宗教」に起因していると考えていたし、今もそう考えている。

ジャーナリストではないが、宗教者として、一人の仏教徒として、聖書を片手に、イスラエルを回った。ゴラン高原に車を走らせ、レバノン、シリア、ヨルダンの国境を見上げた。シリアの軍事ヘリコプターが絶え間なく旋回していた。

イラク戦争に大義などなかった。
ただ、米国同時多発テロを引き金として、米国の極端な保守勢力、つまり新保守主義勢力、さらにキリスト教右派勢力が、「中東」の新基軸を強引に創り上げようとしていた。政治家、狂信者、強欲な投資家やビジネスマンたちの思惑は見事に合致した。こうして、イラクや中東は今に至っているし、今なお彼らの「目的」の途上や過程の中にある。私には、イラク戦争以降、中東政策は、明確な一つの目的に従って進められていると思えてならない。

恐ろしいことであり、あってはならないことだった。現在のシリアの混迷も、その裏側に大国の思惑がある。イスラエルは、米国や英国、国連を通じて、「目的」に近づくための強力な活動をしている。ロシアや中国も、アサド後を睨んで対峙し、包囲網が狭められていることを肌で感じているイランも動きを活発化させている。

こうしてシリア国内は全ての市街地が血で血を洗う場所となってしまった。反政府軍はゲリラ戦を開始し、市民の中に混じり、市街地を拠点とし、追い詰められた政府軍は兵士か市民か判別できなくなった状況の中で、無差別に攻撃を繰り返している。何度も何度も、あらゆる戦場で繰り返されてきたことが、また起こっているのだと思う。

山本美香さんは戦場にいた。しかし、彼女は死ぬために戦場に行ったわけではない。ただ、彼女は、ここに戦場があること、その真実の姿、特に女性や子どもたちが苦しんでいることを、日本にいる私たちに伝えようとしていた。佐藤氏は、今なお彼女はそれを伝えようとしていると言っていた。そうだと思う。

誰かが、それを伝えなければならない。目を開くために。また、「誰かがやるだろう。僕はその誰かになりたい。」という言葉も浮かぶ。

日本近海で硝煙がくすぶりつつある。日本も、日本人も、戦争が遠くにあるもの、と片付けられない時を迎えている。

私は『仏教徒 坂本龍馬』で「戦争と平和」という項を書いた。私は、日本の現在の「国防」を正常だと思っていない。そして、その異常さは明治維新の誤謬によると考えている。

坂本龍馬らは船中八策や新政府綱領八策に軍備を整える大事を明言していた。覇権的な列強諸国との厳しい交渉に、強力な軍備を整える大事を痛感していた。彼らは、極めて現実的な政治家であったし、何よりも「武士」「武人」だったのである。「兵法」「戦闘」について常に備え、考えていた。佐久間象山、吉田松陰、勝海舟などの富国強兵政策は、国家を守るための政策であったことは言うまでもない。

ただし、坂本龍馬らは日本国民の心を、平和と平等の思想である「仏教」で満たそうではないかと説いていたのだ。私は、今一度、このことを強調したい。今だからこそ、このことを伝えたい。

外国との交渉は極めて厳しい過程を経る。自国を自国民で守るべきなのは当然のことだと思う。ただし、日本国は徳ある行動が出来る。仏教的な徳を以って世界と対峙できるはずだ。愚かなレベルに下りてゆく必要もない。静かな、文武を究めたような、「侍」の姿を以って臨みたいものだ。

国旗を燃やす映像。蛮行に走る人々の顔が恐ろしい。仏教的に見て、尖閣諸島に上陸した香港の活動家の顔が悪い。修羅か、餓鬼か、畜生か。中国にも韓国にも大切な友人たちがいるが、個人的に感じるのは韓国の大統領も顔が悪い。お徳が低いと思う。やはり、これではいけない。私たちの顔も、焦燥や強欲さ、怒りや妬みが出ているようではいけない。

仏教徒としての自覚を強めたい。

いずれにしても、山本美香さんが命をかけて伝えようとしていたことを、少しでも感じて、学ばなければならないと思う。国土が焦土に化すような事態への備え、すでに焦土となっている国や地域への支援。

届かない声を届けようと、正義感や使命感を抱いて生きた彼女のことを忘れない。

3 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「牽強付会」あるいは「我田引水」かしら。自著の宣伝のために一人の人間の死を利用しているかの如き、不潔さを感じてならない。ホンモノはこんなマネは決してしないとおもう。お気に召さねば削除なさいませ。あえて名は伏せさせていただきます。

Seijun Nagamatsu さんのコメント...

ありがとうございます。
全くそのようなつもりはありませんが、そう感じられたなら残念です。

長松清潤拝、

Hiroshi さんのコメント...

ありがとうございます。

人に意見をなさる時は匿名ではなく、
まず、自分が何者かを明確にされるべきだと思います。それが最低限の礼儀だと思います。

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