泣きながらでもいいことをせよ、悪いことはするな。
功徳を積みなさい。罪障を消滅しなさい。
功徳は堅牢。火にも焼かれず、水にも漂わず、永遠にあなたから離れないのだから。
いつも教えていただいていることを、今回もまざまざと痛感しました。
生まれ変わり死に変わり、巡り巡る、師となり、弟子となり、檀那となり、無令断絶、出会い、別れ、また出会い、巡り会ってゆくは疑いなきことと。
コレイア清行師の花嫁、ウィニーちゃん。日本名はリカちゃん。旧姓は橋本。
清行師がブラジル青年会の女の子とお付き合いしていると聞いたのは数年も前のこと。
ネパールにも駆けつける、ドラマのような遠距離恋愛、そして本山に入ってからの2年間、ずっと愛を育んできたことは知っていました。
清行が京都の学校を卒業し、コロナ禍ではありましたが2年ぶりにネパールのご奉公に行かせることとしました。その際、清行師から結婚を前提に、ブラジルからウィニーちゃんにも合流してご奉公してもらいたいと申し出があったのです。
何があるか分からない、地球を半周する旅になります。しかも、コロナ禍。師匠として、コレイア御導師ご夫妻にもお話をしなければなりませんし、ウィニーちゃんのご両親にもご許可をいただかなければなりません。
インターネットを結び、それぞれとお話することが出来ました。この時、初めてウィニーちゃんのご両親とパソコンの画面越しにご挨拶できたのです。素晴らしいご両親でした。ご許可をいただき、ウィニーちゃんは3ヶ月間、清行師とネパールでご奉公してくれました。
そして、いよいよ結婚の日取りを決めつつあった頃、清行が結婚相手に選んだウィニーちゃんが、実は神奈川県の伊勢原市で生まれ、清水御導師とのご縁をたどり、妙深寺で初参りをしたことを聞きました。驚愕しました。その時の写真を見て、本当に驚きました。真ん中には清水御導師と齋藤幾子(日博上人の妹)がいて、満面の笑顔のご両親。もちろん、背後には妙深寺のご宝前が輝いています。
そんなご縁もあるものかと、驚いていたところ、結婚式の前日になって、さらに驚きの事実を知りました。
昭和30年、1955年、妙深寺初代ご住職・清水日博上人が全米布教総監として梶本日颯上人のブラジルへのご巡教に随行された時、あの時の、ブラジルの土をふむ瞬間の、私たちが目に焼き付いているほど見てきたタラップを降りる写真の、日颯上人の手をひいている御方が、ウィニーちゃんの曽祖父ちゃんだというのです。ウィニーちゃんのお母さんのお祖父さま。
1955年のブラジル巡教は、まさに命がけのご奉公でした。その様子は日博上人著『コーヒーの壺』に全て収録されています。濃密な日博上人のご生涯における最大のご奉公のお一つでした。その時の、これほど記憶に残る瞬間におられた方が、清行師が結婚するお相手の曽祖父さまだとは。
もはや、なんとも言葉が見つからず、ただただ御法のご縁の妙不可思議を感じさせていただいたのでした。
このように、生涯の伴侶とのご縁は、それこそ生まれ変わり死に変わり、不思議なご縁があってのことと思いますが、「運命の人」というだけではなく、御法さまの大慈大悲の中に巡り合わせていただいた「約束の人」だと思いました。
素晴らしいことだと思います。本当に、目出度いことです。ありがたいことです。
おめでとうございます。
ありがとうございます。
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