2022年5月7日土曜日

骨を折ること




時間は命であり、命は時間。だから、何よりも時間が大切で、時間を大事にしています。


月始総講から青年会の住職御講、そして妙深寺報の巻頭言と、タイムリミットのある重要なご奉公が続き、心身ともにボロボロになりました(汗)。


昨夜、なんとか巻頭言を脱稿できました。ドドーッと疲れたまま、朝を迎えました。でも、これでいいのです。


6月に御23回忌をお迎えする妙深寺の先代ご住職・松風院日爽上人は、斬新な体裁の『妙深寺報』を発刊し、その巻頭言を欠かさずご執筆になっておられました。


寺報は義納金を奉納する所属信徒へ必ず届けるべきお寺の刊行物であり、巻頭言は住職の責任と言っておられました。


この教えを受け継いで、22年間、必死に続けてきたのが月刊『妙深寺報」の巻頭言です。先師の文章や御指南の解説の方が尊いと思いつつ、毎月こうして苦しみ続けてきたことで得たものは計り知れません。心から先住に感謝しております。


御教歌「つとむればやがて其身のさいはひと なるをたのしみをこたるなゆめ」


先住は「御法門はナマモノ」と教えてくださいました。できるだけ、その日、その時、その場、その人の、心へ届くように、説くのだ、と。なんとも難しいことです。


御法門の勉強は、頭でするのでなく、半分は心でする。御法門を謹製させていただく時も、頭ではなく、半分は心で綴る。


私は御講でもギリギリまで勉強し、手を入れていることが多いです。冗談まで原稿に書いてあるような感じです。春秋の御法門集などをコピーして御講やお総講で御法門することなど許されない。先住はレトルト、インスタントと厳しくお戒めになり、それではお参詣の方々に申し訳ない、教務の懈怠の最たるものとお折伏されました。


毎月の巻頭言も、度重なる御法門も、苦しみながら向き合わせていただいて、本当にありがたかったです。


今からでも遅くはないけれど、時間は取り戻せません。先住が示したことを、ずっと続けてきて、今でも苦しいのですが、得たものの方が多いです。


御教歌「たゞなりのデモの坊主と清風は 骨のをりよがチトちがふなり」


アイデンティティに迷わず、しっかりご奉公させていただきたいものです。


今日は神奈川布教区の総会でした。素晴らしいご奉公が展開されています。ワクワクします。


明日から、今月の教区御講が始まります。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

0 件のコメント:

The Spirit of Primordial Buddhism, HBS (April and Butsuryu Damashii)

April and Butsuryu Damashii (the Spirit of Primordial Buddhism, HBS) In April, we have been sharing the account of the profound incident th...