2010年12月21日火曜日

「怠薬」と「断薬」

 心の病について、佛立教務として書きたいと思います。

 私は、統合失調症やうつ病、自律神経失調症の方々へのご奉公を重ねさせていただき、この中で、たくさんのご利益を見て、本人同様に、私も感激し、本当に嬉しく、有難い体験をしてきました。

 ただ、この中で感じたことや体験的にお伝えしていることがあるので、「罪障」や「障礙」というご信心の用語や難しい理論を使わずに、少し書いておきたいと思います。

 特に、今回は、「怠薬」と「断薬」の危険性について書きます。

 こうした心の病気には、お医者さんで様々なお薬が出ます。この「お薬」を飲むということは病気の症状があるということで、出来るならば「お薬」を飲まないようにできれば一番です。お医者さまにも、「薬を出すのが仕事」と「薬を減らすのが仕事」という2つのタイプがおられます。というか、その一方ではなく、その両方を医療の目的とするのが本当のお医者さまです。

 特に、抗うつ剤や安定剤や眠剤は、とてもだるくなるお薬です。病気を持っておられる方でも、このお薬のもたらす作用と精神的な安心感に依存する方と、このお薬を忌み嫌う方に大きく分かれます。これは、どちらも正しくありません。

 ご信心では、精神的な病気に限りませんが、こうした強いお薬を、できる限り減らして、自分自身に与えられた免疫や大自然の理をもって生きてゆけるようになるのが目標です。御題目という薬と同列に医学的な薬を並べて考えたり、そうした比べ方をして御題目を軽んじたりすることは御利益の妨げです。しかし、「宗教と科学はあざなえる縄の如し」「信仰と医療はあざなえる縄の如し」と言うように、この両方を、丁寧に結んでご奉公させていただかなければなりません。極端から極端は、下手が名人の真似をするようなもので、結果的に現証の御利益も、ご弘通のご奉公も叶いません。
 いずれにしても、まず大事なのは、御題目のお薬をいただくこと。これが大前提で、すべての基本。「信じる」という心の機能を取り戻さないかぎり、心の闇からは抜け出せません。しかも、インチキな「モノ」や「人」を信じても仕方ない。あとで「裏切られた」となれば、さらに以前より心の状態は悪くなり、回復不能になります。だから、「人」でも「理屈」でもなく、「南無妙法蓮華経」という万法具足の御題目を信じることで、まず、心の病気と戦う最低限の準備が整うと考えます。

 その上で、お医者さまからいただいたお薬を飲み、それをお医者さまと相談しながら、症状を見て、しっかりと先生の言うことを聞いて、減らしていくことができれば道は開けてゆきます。そうした病院や先生と出会うことも、大切です。心の病は、身体の癌や重篤な病気と同じくらい、恐ろしい病気です。簡単に済ます、ということは出来ません。

 しかし、問題なのは、「心」に闇を抱えているということは、「疑い」に心が支配されている場合が多く、自分自身で正確に、客観的に判断する能力が、本人から奪われている場合が多いことです。つまり、そのお医者さまが、「いいのか」「悪いのか」を、客観的に判断することが出来ません。そして、多くの場合、自分自身で、「このお医者さんは駄目だ」「分かっていない」と決めてつけてしまいます。もちろん、先ほど書いたように、本当に強い薬を出すだけのお医者さまもいて、違う病院を探した方がいいこともあります。しかし、この病気の場合、本人だけで決められるものではないのです。こうして、次から次へと、「信じられる先生に出会えない」と言い続けて、病院を巡っている方が多くいます。

 お医者さまも、まず、信頼関係を作る努力をされており、その苦心は窺えます。きついことを言わず、理解を深めようと努力してくださいます。しかし、圧倒的に患者さんが多く、本人が転院したり、違う病院に行き始めれば、それ以上は何もできません。こんな風に、悪循環が続いてしまいます。だからこそ、ここで、ご家族や、私たちのようなお寺の住職や教務が寄り添って、ご奉公させていただくことになるのです。

 ご奉公していて一番こわいことに、薬をのむのをサボってしまう「怠薬」と、何らかの理由をつけて意図的に服薬を中止する「断薬」があります。どちらもよくないこと、いけないことで、抗うつ剤等は、自分勝手に止めたり出来るような簡単な薬ではないのです。飲み始めて、数日であれば何とかなりますが、何ヶ月、何年間も飲んでいるなら、なおさら、絶対に途中で、勝手に止めてはいけません。先生の指導を受けながら調整しないと、「薬を減らす」「健康になる」どころか、元に戻ってしまいます。

 一生懸命に治療してある程度まで来ると、多くの人は「よくなったから薬を止めてみたい」と考えます。たしかに、薬が強いですから、飲んだら身体がだるくなるのです。本人が一番知っています。そして、その薬を止めたらシャキッとする。だから勝手に止めてしまう。そして、バラバラ、ドタドタ、ドカン、と来て、元に戻ってしまう。これが「怠薬」や「断薬」の怖さです。

 そういうことを、何度も何度も見てきました。もちろん、お看経とご信心があれば、いつか薬も止められる。でも、薬が止められるほど、固くて、強いご信心を持てたかどうか、教務も本当にチェックしなければならないのです。先ほど書いたように、下手が名人の真似をしてケガをしたら大変です。私は、こうしたご奉公の中で寄り添いながら、本当に、こうした状態から、完全に良くなっていく方々を見てきました。御題目があって、しっかり指導をいただけば、必ずよくなります。勝手にしていたら駄目。

 お助行は、御題目の「怠薬」や「断薬」が起きないようにする最高のご奉公です。こうしたご病気の方に限らず、末法の私たちは全員が病気を抱えているようなもので、御題目の「怠薬」や「断薬」を常に起こしています。お看経も、なかなか一人ではできません。言うまでもなく、お看経は心のお薬です。しかし、やはり、みんな薬は好きじゃない。一人では出来ない。一人ではしない。

 それを、自分の家までお講師やご信者さんが来てくださり、横に座ってお薬を飲ませてくださる。こんなに有難いことはありません。

 御題目やお助行も、病気のお薬も、自分勝手な「怠薬」や「断薬」は、本当によくありません。三毒の病気も、不安も、薬が切れて出てくる、元に戻る。だから、自分で決めて止めてはいけません。飲みにくいかもしれないけど飲んでくださいね、一人で飲めないなら、隣に行って飲めるようにしてあげます。それがお助行。

 そうして、いつか、御題目は「心の薬」「心のサプリメント」だから飲み続けるとしても、副作用の強い科学薬は止められる日が来る。こうした科学薬を止めても、心豊かに、心晴れやかに、生きてる日が来ます。

 そこを目指して、ご奉公させていただきます。それが佛立信心、仏教のメソッドです。

 ここに、仏教があります。

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