2023年3月12日日曜日

東日本大震災から2ヶ月間の妙深寺の支援活動について

2011年5月11日にYouTubeにアップした動画。東日本大震災の発生から2ヶ月間の妙深寺の支援活動を紹介しています。

妙深寺では東日本大震災の発生直後から支援活動を開始し、3月18日に支援物資をトラックに積載、茨城県水戸市から福島県いわき市を経由し、仙台、気仙沼へとお届けしました。

その後も交代で被災地へ支援物資をお届けし、特に陸前高田との御縁が深まりました。これは鹿島アントラーズの田代選手から小笠原選手の奥さまの実家が被災し、そのご実家に支援物資をお届けしたことから始まります。そのお宅で仮眠させていただくこととなり、サッカー部だった清顕師は小笠原選手のパジャマをお借りしたそうで、大変恐縮、感激したそうです。

陸前高田で初めて炊き出しをさせていただいたのは2011年4月29日。これは高寿園という施設に避難していた500名を超える被災者の方から「あたたかいものを口にできていない」という声を聞いたことに始まります。

妙深寺をあげて炊き出しの準備をしました。炊き出しは炭水化物が多いということも聞き、新鮮な魚介類、お肉、サラダもご用意しました。総勢90名。ゴミ一つ、自分たちの排泄物すら被災地には残さないことを決め、テントのトイレを3つ持って行きました。

みんな、泣きながら焼いていました。博さんがUSMEF(米国食肉輸出連合会)と交渉して大量の食材を確保してくださったことも特筆すべきことでした。妙深寺の参加者は本当に凄かったです。これまでの教養会活動の全てをここで見せてくださいました。さらに、毎日テレビで活躍なさっているヒロミさんも、マグマスパの小泉代表や得平くんも参加してくれました。

おじいさんから「あの津波も想定外だったが、この炊き出しも想定外だった!」という言葉、部活の子どもたちの明るい「ごちそうさまでした!」という声を聞き、みんなで泣きました。

あれから、12年が経ちました。ささやかでしたが、陸前高田で、妙深寺としての第13回忌法要を営むことが出来ました。

胸がいっぱいで、昨夜は泣きました。昨夜、この動画を見直したり、当時の写真を見ていたからです。花粉症もひどいですが、泣いて泣いて目が腫れています。

先ほど、動くお寺で横浜まで戻りました。
本当に、ありがとうございます。

あらためて、心から、去る平成23年3月11日 午後2時46分に発生した東日本大震災、その後の大津波によって命終せられし一切の諸精霊、殊には御縁を結ばせていただいた陸前高田市で亡くなられた全ての方々の安寧を願い、祈ります。

東日本大震災によりて命終せる一切の諸精霊、第13回忌、妙法経力追福作善証大菩提の為。南無妙法蓮華経。

重ねて、東日本大震災によって被災されたすべての方々の苦しみや悩みが取り除かれ、健康にて災難なく、真の復興が遂げられますよう、お願い、お祈り申し上げます。

さらに、行方不明の方々の発見が叶いますように。そして、原発事故の根本的な終息、廃炉作業の完了、余震や今般の新型コロナウイルス感染症の早期収束、トルコ・シリアの大地震、ウクライナで危機に瀕する全ての方々の安寧を、心の奥底から、お祈り申し上げます。

陸前高田の復興と繁栄が実現いたしますように。

これからも、この地球、この世界にあって、甲斐のあるお寺、甲斐のある私たちでありますように、御仏の教えである菩薩行、その実践と実現を心がけます。本来の仏教は宗教宗派の垣根を取り払い、人間性を追求し実現するものであると信じます。

ありがとうございます。
令和5年3月12日
長松清潤拝、

0 件のコメント:

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...