フィレンツェに到着した日、ランチに福岡御導師とダニエレ・良誓師が加わってくださり、一同感激した。そう、このイタリア旅行のランチやディナーは、すべて麻樹ちゃんやフィレンツェのエンリーカが手配してくださった。普通のツアーでは食事が非常に高くて貧相になってしまうらしい。イタリアまで来て、美味しいイタリア料理が食べられないのはかわいそうというご助言を福岡御導師からいただいて、お言葉に甘えてしまった。さすが、地元の人たちが通うリストランテやピッツァリアで、美味しいこと極まりなかった。地元で味わうトスカーナ料理にお参詣者も大満足だった。ありがとうございます、麻樹ちゃん、エンリーカさん。
お寺に向かう前にミケランジェロの丘というフィレンツェの街を一望できる展望台に寄らせていただいた。フィレンツェ5度目の私も初めて行かせていただいた(というか、いつも観光する時間が無く、ジョギング程度で終わってしまっているのだが)。
なんと素晴らしい眺めだったことか。地元の人も誇りに思っている場所のようで、何組もの結婚式のカップルが記念写真やビデオを撮りにこの場所を訪れていた。こんな素敵な場所での記念写真は、一生の宝物になるに違いない。このカップルは私たちが到着した時、ちょうど記念撮影の真っ最中で、私たちは「コングラティオーネ!」とお祝いしながら図々しく写真を撮らせていただいた。暑そうなタキシードを着つつも、新郎は満面の笑顔で応えてくれたのだった。
私たちも、この丘の上で記念写真を撮った。日本では見られないような青空の下、ローマ同様炎天下の中の記念写真。突然「そうだ!写真撮ろう」ということになったから全員揃っての写真ではないかもしれないが、思い出に残る一枚となった。
実はこの日、はじめてウッフィツィ美術館を訪れた。この美術館の前は何度も通ったことがあり、そこに並んでいるダヴィンチやミケランジェロ、ラファエロやジョットの立像を何度も眺めていた。隣にあるパラッツォ・ヴェッキオにはマキアヴェッリの働いていた執務室が見たくて入ったことがあったのだが、いつも混んでいるウッフィツィ美術館に入って見学することはなかった。
大変な混雑だったが、入ってみてさすがはフィレンツェを代表する美術館だと舌を巻いた。ルネサンスを代表する作品が所蔵されいる。時代の一翼を担ったメディチ家所有の美術作品は他からすれば群を抜いている。丁寧に現地のガイドさんの案内を聞きながら観ていくのだが、ヴァチカン美術館などより規模は格段に小さいが何か特別なものを感じた。
仏教徒であろうと、キリスト教美術に対しては歴史的・美術的にも尊敬の念を抱く。しかし、「ルネサンス」という時代をキリストの「復活」「再生」と同義に説明されると興ざめする。そうではない、と聞いているし、事実そうだと思う。展示されている「ルネサンス」の美術を何でもかんでもキリスト教に結びつけ、「ダチョウの卵には復活の意味があり、円柱にもイエスさまの復活の意味があるのです」「ルネサンス、つまり、全てはイエスさまの再生、復活というキリストの教義、それがルネサンスなのです」などと日本人のガイドさんから言われると、アジア人の薄っぺらな理解はそんなものかと頭を抱えてしまう。「日本人の観光客の多くは、こうして説明を聞いているのだろうなぁ」と。私の理解が足りないのかなぁ。(ごめんなさい、フィレンツェを担当してくれたガイドさんではないです)。
本来の「ルネサンス」という意味は、キリスト教を1000年信仰してきた旧ローマ帝国領とそこに生きる人々が、圧倒的なキリスト教文化の下で窒息しそうになったところから生まれたのではなかったか。それは教条的・儀礼的で人間性を失った社会が見出した世界、「人間性」に回帰する運動として生まれたのではなかったか。故に、ルネサンスを代表する中世の教皇すらアレッサンドロ6世をはじめとして限りなく俗っぽく、人間ぽかった(言い方は変だが)。
本質的には、キリスト教信仰ではなく、圧倒的な人間への回帰から花開いたのがルネサンスという文化の本質だと思う。つまり、それはキリスト教が入る前の、ローマ時代、古典古代の文化への回帰、復興だった。その歴史的・文化的諸運動を「ルネサンス」と呼ぶのではないか。私はそういう視点でルネサンス期の美術を観ている。「人間」というものへの回帰。
実は、このウッフィツィ美術館ではどうしても見たい絵があった。それは「ルターの(夫婦の)絵」であった。ルターといえば、まぎれもなくプロテスタント教会の源流を作った中心人物の一人。その他プロテスタント運動の巨人は多くいるが、誰より「95ヵ条の提題」を発表して宗教改革のさきがけを演じたのは彼である。現在、新大陸アメリカのプロテスタント信仰者の数と彼らの世界への影響力を考えれば、彼はキリスト教世界を理解するための重要人物の一人には違いない。
そのルターの絵。実は塩野七生さんの「イタリア遺聞」という著作の第21話「容貌について」という部分を、私は非常に興味深く読んでいた。ルター自身の容貌とその妻について。興味がある方は是非本を買って読んでみてもらいたいと思う。抜粋させていただくと、こうあった。
『ルターの妻は醜いが悪女の感じはしない。それどころか、模範的な家庭の女に見える。ただ、これが女というものであろうか。この絵を何回か通って眺めているうちに、あの、ぎくしゃくした、真面目かもしれないが、私には必要と思わなければ読む気になれない、人間的なゆとりの少しもない、「キリスト者の自由」を書いた男が、理解できるような気になったものである。書く私の立場が、寝取られ男にさえ守護聖人をつくってやる、ルネサンス風のカトリックに傾いたのも当然だ』
さすが、塩野女史であって、その感性には敬服する。「寝取られ男に守護聖人」という部分についてはコメントを避けたいが、肖像画を見てルターの精神性、宗教性にまで思いを馳せ、キリスト教世界に於けるプロテスタント運動の中心人物を切るところがすごい。必要なことであったとはいえ、ルネサンスの気風に抗してあまりにも人間性を欠くガチガチの神学を展開するあたり、夫婦の顔、その在り方を見て垣間見れたのだという。さすが。
そのルターが妻と共に並んでいるという絵を、どうしても見たいと思った。キリスト教世界の中心で上行所伝の御題目をご弘通する、広宣流布のご弘通に励もうとする仏教徒として、キリスト教世界の巨人を見てみることも、ウッフィツィ美術館に来たのなら必要だと感じて。
うー、考え込んでしまった。うー。なるほど、そうか。うーん。この美術館はカメラの撮影が禁止されているので、その絵を直接紹介することはできない。インターネットでも見つからない。奥さんの絵も紹介したら気の毒だし。とにかく、その顔から、「暗黒の中世」という歴史も含めて考えてみた。当時の、退廃の極みにあったカトリック教会世界に生きたルターと妻。うーん、なるほど。
キリスト教世界にとって宗教改革は必要であったといえるかもしれない。それは、プロテスタント運動側だけではなく、カトリック教会自身が「反・宗教改革」という動きの中から自浄的運動を起こしていったことからも明らかだと思う。
宗教界の退廃はキリスト教世界に限ったことではないだろう。仏教ですら何度も「出家」「僧侶」や宗教団体のリーダーたちが特権化し、何らかの権益を独占した。その度に信仰者たちは「信仰」の大切さを説き、既得権益をかざしてブッダの教えを曲げることの誤りを説いた。
佛立開導日扇聖人も、退廃した日本仏教界、江戸時代の檀家制度で骨抜きとなり、儀礼化した仏教界に疑義を唱え、真義を明らかにした。それは、江戸末期から明治期に於ける日本の宗教改革とも位置づけられ、そのさきがけとして本門佛立講、開導聖人は社会的に認識されている。
もっと幅広い視点で本門佛立宗の御開講を見据えなければならないと思う。それにしても、当然ながら開導聖人はルターの比ではない。また、全世界の宗教者と比べて開導聖人ほど人間的な魅力に満ちている御方はおられないとも思う。私たちこそ開導聖人のご人格こそ、より深い認識を持つべきなのだ。そう認識できるように、私たちが開導聖人の御意、御開講の意義、その魅力溢れるご人格を伝えてゆかなければ。