2008年6月12日木曜日

本心を取り戻す

 迷う心、心配する心、案じる心。グルグルと心の中、頭の中を思い巡ってしまう。そうした精神的な苦しみに喘いでいる方々が、驚くほど多い。
 昨今の「心の闇」を象徴するような事件。犯人は孤独の中で自分自答を繰り返していた。供述内容や報道を見聞きすると、「心の闇」に迷い込んでいく彼の道のりが見えてくる。
 「孤独」「孤立」した中で、彼の住んでいる世界、生きている世界は無機的なものになり、人の息吹も命も感じられなくなったのだろうか。行き着く先は、全ての責任を何者かに転嫁すること。両親、友人、同僚、近隣者、学校、会社、社会を恨み、それらを破壊して自分を止めることだと思い詰めているようだ。
 ある意味で身体の病気よりも心の病は恐ろしい。自分ではどうにもならないと自分でも思う。本人は救いを求める。しかし、自分自身の中にある、自分自身を「傷つけよう」「殺そう」という心に勝てない。仏教では、自分の心の中に自分を不幸に導こう導こうとする力、自分がいることを知っている。アルコール依存症など、本人は助かりたい気持ちがあるのに、自分の中にある自分に勝てなくなる。それは一体何か。
 仏教では、自分を「殺そう」というのは「自分」に違いないが、それを誘引する原因を「三毒」と言い、端的に「煩悩」という。一般的にも聞き慣れた言葉かも知れないが、「煩悩」とは実に恐ろしい。「三毒」とは、貪欲、瞋恚、愚癡という3つの要素を指し、簡単に言えば、この三毒は、私たち人間の感情に最も影響を与えながら、幸せとは逆の方向に自分を連れて行こうとする。
 感情に支配されて生きることの危険性を、ブッダは説かれた。無論、「愛すること」「喜び」など、「喜怒哀楽」と表現される「感情」の中でも素晴らしい「感情」はたくさんある。しかし、それとて無条件に素晴らしいとは言い難い。愛は「愛執」になれば苦しみを生み出すだけだし、「喜び」も人の不幸を喜んでいるようでは苦しみを増すばかりだろう。
 無味乾燥の人生を送れということを仏教は説いているのではない。三毒の影響を受けているままでは、必ず迷いの悪循環に入る、ということを説いている。しかも、世が世だ。感情に訴えて、煩悩を刺激して消費者に行動を、購買を、リピートを、アクションを促し続けている世の中だ。それを「誘惑」といえば少し言い過ぎかも知れない。しかし、たとえばアルコール依存にしても肥満の問題にしても、テレビやラジオ、POPで流されてくる情報に身も心も溺れてしまえば逃れることは非常に難しい。
 そこから逃れる道。苦悩から逃れる道。悪循環から逃れる道。三毒の影響を受けて永遠に一喜一憂、右往左往する感情から逃れる道はないか。いっそ物理的な病気の方が楽だと思える心の病から逃れる道。睡眠薬、抗うつ薬から逃れる道はないか。
 仏教では、それぞれの心に浮かび上がっている「苦しみ」「迷い」を、「本心」の上に降り積もった「罪障」「煩悩」の故だとする。では、「本心」とは何か?
 一般的に「本心」といえば、どんな時に使うか。「本心を明かせ」「本音を言えよ」と使うことが多いので、現代では、何か「普段は口に出せない個人個人が内側に秘めた思い」というように使われている。しかし、仏教的には本来個人的な思いを指す言葉ではないのだ。「本心」という言葉は個人レベルで語るものではない。
 お祖師さまは、「本心と申すは法華経を信ずる心なり(兄弟抄)」とお諭しくださっている。本心は、「信じる心」なのだ、と。また、「今日蓮等の類ひ、南無妙法蓮華経と唱へ奉るは本心を失はざるなり」とお諭しになられている。
 迷い苦しみのは、複雑怪奇になってしまった人間の心、「本心」の上に降り積もった重たいアクセサリー、付属品、オプションの部分。「本体」「本心」よりも、そっちの方が大きく、重たくなってしまって、苦しみや迷いから抜け出せなくなってしまう。恐ろしいまでの欲望、激しいまでの煩悩、感情。でも、それらが邪魔しても、根っこの部分は真っ直ぐで、迷っていない、曇っていない。それが私たちの本心なのだから。
 「本心は信じる心」「信心だ」と教えていただく。私たちの人生には色々なことが起こる。毎日が複雑な選択の連続。すべて簡単じゃない。不透明なことも多い。油断も出来ない。戸惑ったり、疑ったり、迷ったりもする。
 しかし、「本心」は信じる心、「疑い」「迷い」を捨てて、日々夜々に、「本心」に立ち返るところに迷いの森から抜け出る「現証の御利益」がある。
 アクセサリー、付属品、オプションを横に置いて、御宝前に据わって「南無妙法蓮華経」と唱え重ねていただきたい。特に、「本心」を失っている状態、自分でどうしようもない心の中の苦しみに喘いでいる人がいるとしたら、お祖師さまの「本心と申すは法華経を信ずる心」「今日蓮等の類ひ、南無妙法蓮華経と唱へ奉るは本心を失はざるなり」との御妙判を思い返して、とにかく御宝前に、泣いても、イヤでも、迷いや恐怖が出てきても、座っていられなくて何度も立ち上がっても、御題目をお唱えして、お唱えして、「本心」を取り戻す。
 いま、「本心」を取り戻すことの大切さを、思い返さなければならないと思う。連日の報道で、圧倒的な勢いで、孤独の中にいる人々に、心の闇が広がりつつあるように感じられてならないから。
 御教歌に「わたくしの迷ひを捨てまごゝろに 願へば妙ぞ顕れにける」

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