朝日新聞
2015年(平成27年)2月17日火曜日
被災者と飲んで語って「心の支えに」
横浜から大船渡へ 月命日の前夜に開店
「坊主バー」の参加者と話す阿部さん。会話は深夜まで続いた=いずれも岩手県大船渡市
毎月10日夜、坊主バーの明かりがともる
東日本大震災で被災した岩手県大船渡市に横浜から毎月通い、被災者と酒を飲んで語り合う「坊主バー」を開き続けている僧侶がいる。亡くなった人の名前を読み上げ供養し、仏教の教えも説く。「被災者の心を少しでも支えられれば」と話す。
「亡くなった方たちには献杯、私たちは乾杯しましょう」。10日夜、大船渡市。僧侶の阿部信仰(しんごう)さん(49)が犠牲者の名前を読み上げて供養した後、ビールを手にそう呼びかけた。集まった約20人の地元の人達はビールや日本酒を飲みながら、思い思いに話し始めた。近況報告などの雑談が主だが、阿部さんにお釈迦様について尋ねる人も。深夜まで続いた。
阿部さんは横浜市神奈川区にある「妙深寺」の僧侶だ。寺では被災後、岩手県陸前高田の避難所や仮設住宅に僧侶らが通った。物資を届けたり、夏には祭りを手伝ったり。被災1年後には同市に供養塔を作り、「月命日」の毎月11日に通って供養を続けた。
被災の2年後、現地の知人が阿部さんに「この状態はいつまで続くんだろう」と漏らした。がれきは減ったが街再建への道のりは遠い。地元の人の辛さや葛藤を受け止め、支える場が必要だと思い始めた。
ちょうどその頃、妙深寺の檀家の佐藤典之さん(51)=鎌倉市=も、陸前高田の近隣の大船渡市で支援活動に取り組んでいた。
佐藤さんはCMディレクターで、アーティストの知り合いが多い。支援団体「ふんばろう東日本支援プロジェクト」の活動で、震災後2年間は仲間たちと被災地を巡り、ダンスや音楽のイベントを開いていた。
空き店舗改装
だが、一過性のイベントでは地元の人との交流が深まらない。アートや文化の拠点を作って交流を深めようと、同団体のメンバーで2013年4月に大船渡市の空き店舗を改装し、「来渡(らいと)ハウス」を開いた。
来渡ハウスで何をやろうかと考え、佐藤さんが思いついたのが坊主バーだ。妙深寺では以前から毎月、お酒を飲みながら語り合う坊主バーを開いてきた。
阿部さんに話すと、2人の思いは一致。阿部さんは毎月11日に陸前高田を訪れるので、その前日の毎月10日に来渡ハウスで坊主バーを開くことに決めた。会費は千円で、お酒や食べ物も用意する。13年4月に始めたところ、口コミで少しずつ参加者が増えて今では毎回10~30人が集まる。
1年ほど前から毎回来る伊藤浩喜さん(41)は津波が襲った時、高台に逃れ、逃げ惑う車が波にのまれるのを目の当たりにした。昔の職場の同僚など、親しかった4人が亡くなった。
「亡くなった人のためにいきなくては。」がれき撤去に打ち込んだ。がれきからは生活の面影が感じられ、つらい作業だった。
阿部さんに話を聴いてもらい、張り詰めていた気持ちが楽になった。「会うと、『ああ、明日は月命日だ』と思う。供養をしてもらえるのがありがたい」
唯一の楽しみ
市内に住む女性(27)は4歳の長男を連れてきた。
震災当時は長男が生まれたばかり。原発作業員の夫が震災の数日後に福島第一原発に派遣されることになり、止めようとして言い争いになった。他にも理由があって離婚し、今は実家で両親と暮らす。「不安になったり行き詰ったりすると阿部さんに相談する。ここで話すのが唯一の楽しみになりました」
被災地では家族や住宅を津波で失った人もいれば、目立った被害はなかった人もいる。被害の程度が様々で、地元の人同士では思いを話しづらいと阿部さんは感じている。「話を聴くことで、少しでも心を整える力になれば」。今後もできるだけ続けていくつもりだ。(太田泉生)
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