2018年12月1日土曜日

「ペイル・ブルー・ドット」 妙深寺報 平成30年12月号












「ペイル・ブルー・ドット」 妙深寺報 平成30年12月号


自分の顔は自分で見られません。鏡を使えば見られますが、永い間それは特別で神秘的なことでした。「ミラー(鏡)」の語源はラテン語の「mirari」で「ミラクル(驚く・驚異・奇跡)」と語源が同じです。それほど「鏡を見ること」は特別で神秘的な体験だったのでしょう。


最初の鏡は約6千年前に黒曜石を磨いて作られ、古代文明は銀や銅を用いてこれを製造しました。それらは宗教的権威を表し、日本ではまさに神器として最高位に位置づけられていました。


鏡が生まれる以前から人は水面に自分の姿を映していたはずです。これは「自己鏡映像認知能力」と呼ばれ、「自己認識」の第一歩です。チンパンジーなどの大型類人猿やイルカやシャチ、ゾウやカササギという鳥もこの能力はありますが、自己認識とはいきません。人間も三歳頃までこの能力はないのです。大人でも脳にダメージを受けると認識できなくなることがあります。


この能力は特に集団生活を行う動物が持っているといいます。人類が高度な知性を持つまでに進化したのは、自分の姿を鏡に映して現在の在り方を客観的に認識し、改良や改善に努めてきたからではないでしょうか。


鏡だけではなく、すでに人間は様々な方法によって自分の姿を見ることが出来るようになりました。撮影機能の付いたスマートフォンや携帯電話ら進化し、自分の姿を見る機会が圧倒的に増えています。自分の悪いクセに気づき、成長や改良するチャンスが増えているということです。進化のチャンスと言うことも出来ます。


開導聖人は「本門佛立宗の信者であれば知らなければならない歌」として、

「本尊は行者のこゝろつねづねに

みがけばひかりますかゞみ也」

と御教歌をお示しです。御本尊は私たちの心の姿を映す鏡であり、曇らさず磨くことが大事であるとお示しになられているのです。


「みがくは口唱」「ひかりは御利益」「磨くということは御題目口唱。口唱を怠ると鏡は曇る。自分の姿が見えなくなる。迷う。」


御本尊という鏡は、心の鏡です。家の鏡を見ても、スマホで撮った写真を見ても、本当の自分の姿は映っていません。本当の自分の心、自分の姿を映し出すのが、御本尊という鏡なのてす。御本尊に向かい、御題目をお唱えすればあなたにも見えてきます。ぜひ体験してみてください。


自己を認識し、その幅を広げてゆけばさらに進化できるはずです。チャンスを掴む可能性も広がってゆきます。幸せになる確率も高くなります。大切なことは、自分を知っているか、知らないか、です。 


「我が心眼は貧の迷ひにくらむ故に一寸先は闇。故に真っ先を信行の提灯に照らし今日の闇を除くべきを、灯を背にして向ふの見えぬ眼にて向ふをにらむ。故に不祥の災難、火盗病の坑に落ちる也。」 


鏡を手にするか、新しい視点を見つけるか。どちらにしても人間の進化に自己認識は欠かせません。


あなたは、鏡を持っているでしょうか?


あなたは、毎日きちんと鏡を見ているでしょうか?


古代人が鏡に抱いた感情と同じくらい神秘的に感じるものがあります。それは宇宙から地球を映した写真です。


今から235年前の1783年、人間は熱気球によって初めて空を飛びました。1903年、飛行機が初めて空を飛びました。今から115年前のことです。


こうして人間は空から地上を眺められるようになりました。それまで見ることが出来なかった視点から、初めて自分たちを見ることが出来るようになったのです。


しかし、さらに人類に強烈なインパクトを与えた出来事がありました。それは、宇宙から地球を捉えた一枚の写真でした。


今からちょうど50年前の1968年の12月24日、アポロ8号は人類初の有人月周回飛行を行い、アポロ11号が月面着陸できる場所を探していました。月の裏側に入り、地球との無線が切れていました。無線が再び通じ、宇宙飛行士たちが顔を上げた時、真っ暗闇の宇宙から浮かび上がる、真っ青な地球が目に飛び込んできたというのです。


息を呑む光景をウィリアム・アンダース飛行士はカラーフィルムで撮影しました。後に「地球の出(アースライズ)」と名付けられた写真です。この写真は、まさに圧倒的な力を持って人間の自己認識を変えてゆきます。


翌日、米国の詩人、アーチボルド・マクリーシュは書いています。


「ありのままの地球を見ると、つまり、その永遠の沈黙の中に漂う、小さく青く美しい姿を見ることは、自分たち自身をみんなこの地球の乗客だと見ることだ。永遠の冷たさの中にある、あの明るく、輝く愛らしさの上にいる兄弟たちー。今や自分たちが本当に兄弟であることを知っている兄弟たちだ。」


この写真はライフ誌で組まれた「世界を変えた100枚の写真」特集で「史上最も影響力を持った写真(写真家ガレン・ローウェル)」と讃えられています。事実、この写真は人類の認識を大きく変え、この2年後から近代的な環境保護活動が生まれました。


また、1972年12月、アポロ17号は太陽と地球の真ん中に入り、太陽が地球全体を照らしている写真を撮影することに成功しました。これは完全に輝く地球の姿を捉えた唯一の写真として「ザ・ブルー・マーブル(青いビー玉)」と呼ばれるようになりました。それまでの地球の姿は、三日月がそうであるようにどこかが欠けていたということです。


この二枚の写真は人類に全く新しい視点をもたらしました。地球は巨大ではない。無限でもない。孤独で、かよわく、いじらしく、守らなければならない存在であると気づかせてくれたのです。


さらに、1990年、約60億キロメートル離れた宇宙から送られてきた一枚の写真があります。


NASAで惑星探査を担当していたカール・セーガン教授は、太陽系の外に向かって猛烈な速度で飛んでいるボイジャー1号のカメラを、もう一度地球に向けさせて、撮影を行いました。広大な宇宙に浮かぶ地球は、たった0.12ピクセルの小さな点でしかありませんでした。セーガンはこれを「ペイル・ブルー・ドット(淡い青の点)」と名付けました。弱々しく、寂しげな、母なる地球の姿です。


宇宙からの視点によって人類が自己認識をアップデート出来れば直面している危機に立ち向かえるはずです。


開導聖人の御教歌に。

「空は顔 月日はまなこ山は鼻

海山かけて我身也けり」


人体と地球を重ね、大空は顔に、月や太陽は両眼、山を鼻、海も山も押しなべて我が身であると詠まれています。この歌のとおりならば、地球を汚すことは仏を汚すことであり、それは即ち自分を汚すことであると気づきます。飛行機のない時代に、こうした視点を得られるのが、仏教の凄さであり、この御教歌はその証明です。


ただし、これは真理であってもあくまで法華経前半の法理です。宇宙的視点を得た上で、その真理の実践と行動は法華経の後半部分、本門八品に説かれてゆくのです。


真実の仏教は科学に匹敵します。佛立仏教徒の視点。御本尊という鏡をいただいていること。自分だけでは到底得られない視点や、教えの尊さを実感していただきたいと思います。


南無妙法蓮華経ー。


写真素材は以下の提供。

NASA, National Aeronautics and Space Administration

NASA

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