さすがに息が上がりました。でも無事に6月の住職御講をすべて終えて新幹線に飛び乗り、京都まで帰ってきました。
長松寺で準備ご奉公をしてくれていた学生師たちと合流し、毎年恒例のご供養をいただきました。
麩屋町に戻ると気絶、そのまま寝てしまいました。
夜が明けたら長松寺の開導会、先住松風院日爽上人の御23回忌、そして長松小千代お祖母さま・長松院法勲清峰日護大姉の33回忌を、ご講有にお出ましをいただいて、奉修いたします。
僕がプロテストに合格した数日後、大僧正日峰上人がご遷化になられました。宗葬などがあり、長松家の男子として当然剃髪して参列しました。しかし、大学生とはいえ、すでにスポンサーも決まり、沖縄でのJAL CUP、そしてワールドカップが迫る中、突然スキンヘッドのままでは困ると言われました。
長松寺のご宝前に親族が集まり、僕の髪の毛のことでワイワイ話をしていると、奥の部屋からコツンコツンと杖の音がして扉が開き、小千代お祖母ちゃんが入ってきました。そして、僕の頭を手で握り、言いました。
「延博、もう切らんでええ。この子は分かってる。」
この一言で静まり返り、僕はスキンヘッドではなく、少し伸びたスポーツ刈りのような状態で日峰上人の49日忌の法要に参列しました。
その後、プロとしての活動が始まり、全国各地でのレース、デモンストレーション、映画撮影など、大学卒業まで走り続けることが出来ました。
祖母は日峰上人のご遷化からちょうど110日目に亡くなられました。最後の最後まで深く見守り、強く信じ、大切なことを教えてくれました。
今の自分を見てどう思っているか分かりませんが、見守っていていただきたいです。
南無妙法蓮華経
ありがとうございます。
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