2024年2月18日日曜日

御教歌「あひがたきみ法にあひてあひがたき みのりと所作にせぬは謗法」@門祖会 第一座


妙深寺 令和6年度 門祖会 第一座
御教歌「あひがたきみ法にあひてあひがたき みのりと所作にせぬは謗法」

笑顔でいることが修行。
楽しく生きることが仏教。
これが結論。
しかめっ面をしてる。心貧しく、病んで、悩んで、イライラ、ムカムカしてる。
それが謗法、それは罪障。
御法さまに出会えたから、強く、明るく、楽しめる。
ご信心しているから、強く、明るく、楽しんで、生きてゆこう。
信心修行の正解と不正解。
随喜と感動の人生を歩め、取り戻せと、お教えいただく御教歌。

ただ一つの命、たった一度の人生、トライ&エラー、いいことも悪いこともある。
大切なものをなくなさいように、壊さないように、守れるように。
大切なものを失った時にも、負けないように、崩れないように、諦めないように。

国語、算数、理科、社会。学校で学ぶことの中に、人間の取扱説明書はありません。
家庭の中でも、親子関係でも、なかなか伝えられなくなっている、人間とは何なのか、人生とは何なのか、生きるとはどんなことなのか。
家庭の中でも、親子関係でも、なかなか伝えられなくなっている。

お寺はこのことを伝える場所、学ぶ場所。
この世界はどんな世界なのか。
私たちはどんな存在なのか。
どんな特徴があるのか。
背負っているものは何か。
注意すべき点は何か。
どうしたら幸せになれるのか。
どうしたら不幸になるのか。
どうしたら、もっとこの命を輝かすことができるのか。

お寺は心を磨く場所、心を育む場所、心を整える場所。毎日、人間の、命の、心のトリセツがある。リトリートセンター、心のリハビリセンター。

仏教の結論、究極の人生哲学、人生論の答えは、随喜。感謝。喜びです。
人生いろいろ。いいこともあれば、悪いこともある。
しかし、突き詰めて、自分を省みて、つくづく、とことん、感謝があるかないか、その感謝が、あなたの所作振る舞いに表れているかいないか、そこが大事。
それがあれば、マル。それが出来ていれば、マル。
それがなければバツ。

感謝できないのは、慢心しているから。
笑顔がないのは、我が強いから。
しかめっ面をしているのは罪障が強いから。
謗法と罪障にやられると、それが強くなると、笑えなくなる、楽しくなくなる。

南無妙法蓮華経は、随喜と感動の教え、心を揺さぶる修行、心の特効薬。
南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とお唱えすれば、み仏が歓喜して、お喜びになって、悲しんでる人も、泣いている人も、明るくなる、楽しくなる、前を向けるようになる。
そういう教え。
だから、「生きている」とおっしゃってる。だから、「生きたお寺」という。

御題「「思ひ内にあれば色外に顕はる」

「齊国の華周と杞梁の妻は、夫の戦死を悲しみ、泣き叫ぶ声がまことに悲痛を極めたので、一国の風俗までこれに感化され、夫婦の仲が皆よくなった。
このように、内にそれだけのものがあれば、必ず外に影響がでるものである。何かを行って何の効果もないということは、私は未だかつて見たことがない。」

この故事をひいてこの御教歌を詠まれた意味。

それこそ、一人が感情豊かにすれば、それを姿形に表せば、家族も、友だちも、周囲の人も、お寺も、国も、変わるという教え。

もっと感激しなさいよ。
もっと感動しなさいよ。
それを態度で示そうよ。

しかめっ面をして、渋々やるご奉公はありません。
様々な問題があっても、菩薩は「有難い!」「ありがたいです」「ありがとうございます。」とご奉公する。ご奉公させていただきます。ありがたくて仕方ないのです。

やってやってるというご奉公はない。
「願くはつかひ給はれ奉公を するなんどいふ身分ではなし」

「うれしさはみのりの為にする苦労」

一人が変われば世界が変わります。
一人が変わればお寺が変わります。
一人が変われば家族も友だちも同僚も、みんな変わります。

しかめっ面をしてる。心貧しく、病んで、悩んで、イライラ、ムカムカしてる。
それが謗法、それは罪障。

御法さまに出会えたから、強く、明るく、楽しめる。
ご信心しているから、強く、明るく、楽しんで、生きてゆこう。
信心修行の正解と不正解。
随喜と感動の人生を歩め、取り戻せと、お教えいただく御教歌です。

「あひがたきみ法にあひてあひがたき みのりと所作にせぬは謗法」

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