2008年3月29日土曜日

『寂光祭(Festa da Iluminacao)』

 無事に寂光祭が終了した。

 南米の雰囲気。私たち日本人の想像できることとは違って、全く新鮮な感覚の奉修となった。これは、この紙面では到底伝えられそうにない。コレイア御導師の感覚から湧き出したものだ。私も大変勉強になった。
 日本からのある団参の方は「寂光祭」と聞かれて、「喪服を着た方がいいでしょうか」と心配してくださっていたほど。多くの人がタイトルと内容のイメージが結びつきにくかっただろうと思う。

 簡単に言えば、「同帰常寂」という意味だと考えれば分かりやすいかもしれない。「共に、寂光に帰りましょう」「成仏の大果報がいただけますように」「成仏の大果報がいただけるような生き方をしましょう」と呼び掛け合うのが「寂光祭」という意味であった。

 御講有にはポルトガル語での言上など、無理な御願いを重ねてすることとなった。寂光祭の中では、エメルソンという青年の得度式も行われたのだが、その剃髪の時に言上する「流転三界中~」という御文も、すべてポルトガル語での言上となった。その大変なプログラムを、すべて順調にしてくださったのだから、本当に有難かった。

 有難いことに、このプログラムには約1000名の方々が参加した。また、御講有の警護をしている連邦警察の警察官たちも自然に参加することになったわけだが、この中の3名が昼間から夜にかけてのご奉公でお教化になったという。これも有難いことだ。全てはご弘通のためなのだから。

 その寂光祭は21時過ぎに終わった。御講有は上院議員のウィリアム・ウー氏の挨拶を受けたり、エメルソン(得度名・教行)に訓辞を与えてくださったりして、お疲れの中、21時30分に警護の隊列を受けながらホテルまでお戻りいただいた。大変に忙しい一日。それでも、トラブルもなく無事にご奉公できたことが御法さまのお計らいとしか言いようがない。

 私たちは23時過ぎに日教寺を出発して、明日御講有が飛行機で到着される街まで移動した。夜中の高速道路を斉藤御導師と信徳師の運転で走りに走った。約6時間。満天の星空、南十字星を見ながら、南米ブラジルの平原をひた走る。サンジョゼ・ド・リオプレートという街まで移動して、明日の午後のご到着を待つ。朝5時前に町中に入り、ホテルで仮眠を取ることにした。

 朝、7時前に日本からの電話で目覚める。名嘉村さんが帰寂されたことと枕経の報告だった。82才だった。
 受持の信仰師にも伝えたが、名嘉村さんを思う時、胸が熱くなる。なぜなら、氏は帰寂まで信心を増進し続けた方だと思い起こしていたからだ。寂光祭が終了し、法宅に控えていた時、メールで名嘉村さんの帰寂を知った。思わず声を上げた。寂光祭の途中、名嘉村さんを思って唱題をあげた。臨港教区の教区御講で「私は、この年になって、同僚に妙深寺のパンフレットを見せて、こんなに良いお寺があるんだ、とお教化しようと思っているんです」とご披露された姿が浮かんだ。晩年から、どんどんご奉公くださるようになり、ご信心は帰寂する直前までゆっくりと上昇し続けたと思う。

 9時、ウトウトしていた中、サンパウロからの電話で目が覚める。よし、起きよう。ご奉公は全身全霊でさせていただく。入る息は出る息を待たない。当たり前だが今日は今日しかない。精一杯のご奉公をさせていただく。ありがたい。

 朝の街、今日はリンス大宣寺でのご奉公である。

お出迎えのよろこび

 既に、日本からの本隊が到着して、二日目となった。もはや、連日100%のご奉公で、ブログを更新する時間がない。
 お出迎えには朝5時起床で準備。5時30分に日教寺を出発。ご奉公教務の全員がトランシーバーを持ち、イヤホンを耳にさし、暗闇の中を高速道路を疾走して空港へ。空港で御講有がお乗りになる特別車と連邦警察のシークレットサービスと合流。それぞれに部署に分かれる。待ち時間にブラジリアン・コーヒーを一口いただいて、眠気を飛ばす。
 斉藤御導師と吉川氏、そして私の3人だけpassをもらい、連邦警察の方々と共に税関の中へ。出発ゲート側からJALの到着ゲートに抜けて、本隊が乗っておられる便が到着するのを待った。皆さんが乗っておられる飛行機の到着する瞬間を見守るなんて経験はなかった。しばらくゲートの前に立っていると、滑走路にJALの機体が降下してきて、白い煙を上げながら着陸した。あぁ、無事に着陸しくれた、いよいよご到着である。
 御講有をはじめ、総勢約70名が無事にブラジルに到着された。飛行機のドアの外側まで行かせていただいて、斉藤御導師が御講有にご挨拶。そのまま入国審査をパスしてドアの外へ。特別車は連邦警察の最大限の護衛を受け、バイクが交差点で車を制止しながら日教寺まで先導してくれた。
 私は団参者の方々をバスにお乗せして、その中でご挨拶と日程の説明をさせていただいた。ありがたい。本当に遠くから、しかも大変な金額の団参費にもかかわらず、強いご信心でブラジル本門佛立宗100周年のためにご参加をいただき、心からの御礼を申し上げた。また、これから数日間、何より安全に、無事に、健康に、楽しく有意義にお過ごしいただけるようにご奉公させていただくのが私たちの使命だということも痛感した。
 団参のバスは少し渋滞に巻き込まれ、遅れて日教寺に到着。24時間近くのフライトである。家を出てからの時間を考えたら、もっとだ。疲れておられることは間違いない。
 しかし、日教寺の方々の真心の、温かい出迎え、ご歓迎をいただいて、団参の皆さまも大変に喜んでくださっていた。有難い。

2008年3月27日木曜日

Press Release

 あと数時間で、御講有をはじめ日本からの本隊がブラジル・サンパウロのゲアルーリョス空港に到着する。
 20日に日本を発ってから約1週間、ブラジルでの準備ご奉公も最終段階。ニューヨークと連絡を取り合いながら、15分遅れのフライトスケジュールであることを確認した。残すところ12時間弱で本番のスタートである。
 リンスの大宣寺で準備ご奉公に当たっていた斉藤教区長と現薫師らもサンパウロに帰ってきた。リンスの天候は非常に穏やかで、数日前まで36度を上回っていたことが嘘のようだと言っておられた。天候不順がリンス市周辺の特徴であるから、これは有難い。田園風景が広がるリンスまでの道のり。のどかな風景を65名の団参者も楽しめることだろう。
 サンパウロでは『寂光祭(Festival da Iluminacao)』の会場設営、進行台本や司会者のナレーションなどの打ち合わせ、開拓慰霊碑法要と水野家墓地回向の差定や言上文を作成を続けていた。相変わらずペンキ塗りは続いていて、本当に日本人の感覚からするとクスッと笑いたくなるのだが、みんな必死で、明るく、ご奉公を続けていた。
 ラテンの気質というのは余裕がある。日本人は心配性だと言われる。グランデ・ファミリアなどでは何回リハーサルを行ったか分からないのだが、この寂光祭のコレイア御導師などは余裕がある。これも南米独特の気質かもしれない。
 笑い話のように話していたのだが、高崎御導師のお寺で「開堂式」が行われた時など、3日前に準備ご奉公でお寺に行った時に壁がなかったという。もう、この話で大笑いした。「開堂式」である。その「本堂」の「壁」が無いなんて(笑)。
 その状態に驚いて、「これで大丈夫ですか?」とコレイア御導師が聞くと、高崎御導師は「全く問題ない」と落ち着き払って言っておられたという。事実、3日後の開堂式には見事に「壁」ができあがっていた(壁の後ろ側がどうなっているかは知らないが)。もう、すっごい綱渡り(笑)。三大会ですらリハーサルをやっている妙深寺では考えられない(笑)。ちょっと、こういうのも良いかもなぁ。良い意味の危機感は大切だが、ナーバスになり過ぎてもいけないものだ。
 新聞各社が、HBSの100周年、同時に仏教伝来100周年と日系移民100周年があること、大法要が行われることなどを記事として掲載してくれた。今朝も「Metro News」が御講有の写真付きで詳細な記事を掲載してくれていた。
 また、サンパウロ新聞も本日付の紙面にて掲載(なぜか、取材申請に行った私たちの写真を載せておられて恐縮)してくれており、続いて「ニッケイ新聞」が3月27日号、「Jornal Nippo-Brasil」が3月31日号でHBSの盛儀について記事を掲載してくれることとなった。
 また、「Isto é」という全国的に有名な週刊誌があるのだが、今回の御講有来伯に際してインタビューが行われ、その内容が掲載されることになっている。この週刊誌は、時事問題などを精力的に取り上げることで有名で、今回も非常に突っ込んだインタビューとなっている。
 私のブログで全回答を紹介出来ないのが残念で仕方がない。しかし、せめて質問事項だけ掲載したい。
1. Qual a sua avaliação dos 100 anos de budismo no Brasil? (ブラジル仏教伝来100周年をどのように評価されますか?)
2. Como o Brasil é visto internacionalmente em relação à prática da religião? (ブラジルの宗教情勢は、日本において、また、国際的にどのようにみられていますか?)
3. O que leva o budismo a se tornar cada vez mais popular no mundo? (今はなぜ、仏教が世界的に評判なのか、なぜ段々ポピュラーになって来ているのか、その原因は?)
4. Qual a sua opinião sobre as mudanças no budismo tradicional, que tem sido cada vez mais associado à prática de Yoga, estilo de vida e alimentação natural? Aprova estas adaptações da religião? (伝統的な仏教がヨガ行を影響し、また日常生活や自然食法などに取り込まれていく現象をどのように思われますか。そのような宗教の適応性を認めますか?)
5. Acredita que os fundamentos básicos do budismo (desapego e contemplação do vazio) que conduz o indivíduo a uma atitude sem vícios e de dedicação à religião vem sendo respeitada na prática após a popularização do budismo? (仏教の基礎的な教え(無欲、空等)は、現代人を依存症(麻薬等の悪癖)から遠ざけ、その力は仏教の社会化において大きな影響をもたらしていると思いますか?)
6. Qual a sua opinião sobre os diferentes estilos de prática budista? Acredita que a diversidade compromete a identidade da religião? (仏教にも色々修行法がある。修行法が違うことによって仏教の宗教性がゆるがされると思いますか?)
7. Como o senhor analisa os recentes conflitos no Tibet? (最近チベットで起こった闘争事件をどのように思いますか?)
8. Alguns manifestantes tibetanos atearam fogo em lojas de chineses em Lhasa. O senhor concorda com a reação violenta dos manifestantes contra a ofensiva das autoridades chinesas? (数人のチベット人暴動者は、ラサにおいて中国人店に放火した。(仏教徒たる)そのようなチベット人の中国政府に対する暴力的な反応に同意しますか?)
9. Qual seria a solução para o conflito? (このような闘争の解決法には何が一番適切ですか?)
10. Acha que os Jogos Olímpicos deveriam ser suspensos em Pequim? (北京オリンピックは中止されるべきだと思いますか?)
11. Qual a sua opinião sobre a atuação política do Dalai-Lama? (現在のダライラマの政治的活動をどのように思いますか?)
12. Quais os principais desafios dos líderes budistas nos dias atuais? (現代における、仏教各宗のリーダーの課題、挑戦はなんだと思いますか?)
13. Acredita que a crescente industrialização no Japão compromete a manutenção da cultura tradicional no país?(近代日本の産業化は日本特有文化の維持に差し支えるものと思われますか。最後にメッセージを述べられてください?)
 上記の質疑応答は、誠に示唆に富んだものであり、佛立信者として大変に有難く思った。常日頃教えていただいていることとはいえ、あらためて問いかけられた時にしっかりと応えられるかどうか。答えを持っているかどうか。佛立教務道、宗教者としても考えさせられる宇宙観、世界観、社会観。
 機会を見つけて、これらのことをご紹介していきたい。ありがたい。

2008年3月25日火曜日

移民の父 水野竜氏

 昨日、水野竜氏の墓地へ視察に行き、清掃を行った。
 昭和30年9月9日、日博上人は日系移民の父と呼ばれた水野竜氏の墓を訪れた。その著書「コーヒーの壺」によると、墓参に当たって日颯上人は、佛立信徒であった氏に対し「本伯院開勳契拓日竜居士」との法号を追贈され、卒塔婆を建立して恭しくご回向をくださったという。この模様はブラジル内新聞各紙に掲載されたという記録が残されている。
 それから53年後、ご巡教のための事前視察と清掃、現地責任者との調整などをさせていただくために、私もその墓前を訪れた。木が生い茂り、水野家の墓標の上を覆っていた。53年間の星霜の中で、水野家の墓地の管理にも変更があったらしく、その遺骨も移動したとかしないとか、と聞いていた。
 しかし、墓碑は確かに水野竜氏の碑文を刻み、変わらずに氏を称えている。日本から国賓級の方が水野竜氏の墓地を訪れるという事前の調整が実り、広大な墓地を管理する責任者が3人も出てきてくれて、私たちと打ち合わせをしてくださった。しっかりとした対応を有難く思う。この霊園の中でも、水野竜氏の墓地は特別であると認識しているのだ。
 「翁は人為 気宇壮大 志操高潔也 夙に日本人の海外進出を提唱したるが一九〇五年也と鑑るところありて単身渡伯し サンパウロ州政府と折衝を重ね 農業移民を契約締結 一九〇八年第一回移民を送致し 茲に日本移民の発展端緒を開く 爾来日伯間を往復して親善に資し その生涯は移植民の為に東奔西走 遂に九十二才を以て此の地に卒す 今や楽土をブラジルに住する日系人三十万余り(注 現在約130万と言われる) 各々其の処を得る所以のものは寔にこれ翁の卓見に由来し 其誘掖によるものと云うべし 此の偉業を追慕景仰する邦人相謀りり碑を建立して之を誌し 以て後世に伝えんとするもの也」
と墓碑が刻まれている。これを建立したのは「竜翁会」という有志の方だった。「コーヒーの壺」に詳しく書いてあるが、現在のブラジルに住む日系人社会全体、全日系人にも関係することなので、ここにあらためて記しておきたい。
 「水野氏に騙された」「移民をしたらお金持ちになれると思ったのに」という氏を非難する声もあったので、一時期は「移民の父」として敬われるどころが憎まれ口を言われることもあったが、何と言っても今や130万人にもなったブラジル日系人社会の最初の一歩を踏み出させた人なのである。碑文の通り、その気宇は壮大だったに違いない。
 少々、コーヒーの壺から引用してみると、
「話は半世紀の昔に遡る。東京乗泉寺の御信者で、後に清雄寺に籍を移した水野竜さんという人がいた。水野さんは、美濃国太郎丸城主深尾氏の家臣、水野亀子(かめす)の次男として生まれ、明教館に学び小学校教師をつとめていたが、向学心に燃えて明治21年慶應義塾を卒業、後藤象次郎に知られて岡山県庁に勤務した。そして徳島藩士の娘岩佐矩子さんと結婚してのである。(この人が、東京乗泉寺日歓上人のお弟子の故高見現達師の妹さんである)
 官界をさってのち、板垣退助の自由民権派の斗士として活躍する一方、志を殖産興業に向け、城盤炭で火力発電事業を興して深川電燈株式会社を創立した。その内に明治27年ブラジルのサンパウロ市からブラード・ジョルドン商会代表のカーライル氏が来朝、日米移民の誘致を日本政府に申し入れたのである。
 当時、”南米移民の断行を望む”の標題で外務省に意見を具申し、いわゆる南進論をとなえていた水野氏は、杉村ブラジル駐在公使にわたりをつけて1905年と1907年の2回単身渡伯、実地調査に当たり、ブラジル政府首脳と会見して、1907年11月6日、日本移民輸送契約を個人的に結んで帰ってくると早速外務省に移民1千人募集の認可を申請してその認可をとった。
 翌1908年(明治41年)4月28日、奇しくも日蓮聖人立教開宗と日を同じうして、神戸港より笠戸丸は798名の第一回移民を乗せて一路ブラジルの新天地に向かったのである。輸送総取締は水野竜氏、監督は上塚周平氏であった。
 そうして、イギリス人が経営するズーモンド耕地へ入植した。これがブラジルにおける日本人移民のさきがけである。水野氏は相当の資産を持っていたそうであるが、東奔西走する内にその財産費い果たしてしまい、交渉が纏まっていざ出発という段階に立ち至ってその費用が一文もないという状況となった。そこで時の大政治家大隈重信侯の門を叩き、5万円の金を出してもらってようやく出発したといういきさつもあったそうである。
 その時水野さんは考えた。ブラジルの新天地に開発の斧をふるうためには、その思想の根底に、是非共信仰が必要である。信仰の筋金を一本通すことによって、この大事業の成否が約束される、と。そこは強い信仰をもつ仏立人水野さんである。早速その旨を日教上人にお願い申し上げ、教務一人の御斡旋を願い出た。
 この申し出をお聞きになった日教上人、しばらく考えておられたが、『茨木現樹がよかろう』と云われた。茨木現樹師は一見識の持主で22才の血気旺んな青年僧であった。日教上人のお言葉に一言力強く『行きましょう』と答えた。
 いまでこそ(昭和30年当時)飛行機で5日間の行程、汽船でも50日間の航海であるが、明治時代では実に3ヶ月の行程を要する容易ならざる船旅であった。渡伯後も水野氏は日伯両国間を度々往復し、十回目の渡伯を最後に、1950年92才で現地に名を残して他界した。
 日本政府は氏に勲六等瑞宝章を以て酬い、サンパウロ市はブラジル独立400年祭に当たり唯一の功労者としてその名を称えられたのである。サンパウロ市郊外の水野氏の墓地に建立された記念碑には、前記の様な賛辞が刻まれ、現在60万(2008年時点では約130万人という)を超える在伯邦人はこの墓に詣でては、この碑にその功績を偲んでいる」
 以上、日博上人の名著、ブラジル本門佛立宗にとっても極めて貴重な資料である「コーヒーの壺」から引用してみた。
 水野竜氏の墓碑を眺めながら、読み、磨きながら、100年の永き年月の、それぞれのドラマを想った。夢や希望、栄光と挫折、葛藤と決断、得るもの、失うもの。名声と叱声。
 それぞれのドラマが胸に迫ってくる。何百万もの人間の、人生のドラマだ。もちろん、遠く53年前に天翔てブラジルに渡った日博上人や二度目のブラジルに随行した母、日博上人の孫に当たる私を含めての、、、。

ペンキ塗り

 あっという間に一日が終わる。
 朝参詣が終了して食堂に入ると、ペンキの臭い。あ、今日からペンキ塗り。すごいなぁ。ギリギリのタイミングでペンキを塗りはじめるなんて、ちょっと日本の感覚では考えられない。
 もちろん、これが悪いことだとは思わない。一生懸命に準備ご奉公してくれている。この方も全て御有志でされているということだった。有難い。
 ただ、本隊が日本を出発しようとしている段階で、日教寺の食堂の壁のペンキ塗りが始まるという、ここに微妙なおかしさ、おもしろさを感じて、一人で楽しくなった。
 とにかく、今朝も少しだけトラブル、というか変更しなければならない緊急案件があって、サンパウロのツアー会社と日本と連絡を取り合っている。
 慌ただしい。有難い。

新聞各社への訪問

 朝参詣終了後、ブラジルにある日系の新聞社3社を廻った。
 10時に吉川淳省師のお父さまが迎えに来てくださり、ブラジル本門佛立宗の田尾理事長と淳省師と私でご奉公に出掛けた。
 出発直前、提出する資料を整理していたのだが、日系ではなくブラジルの一般誌からの質問にご講有が答えた内容が非常に示唆に富んでいるということで、その日本語に訳し直したものも持って行くことにした(日系の新聞社なので日本語で)。
 少し出発が遅くなったが、吉川氏の運転で出発した。吉川氏に案内をいただいて、各社ともに非常に丁寧に対応してくださり、本当に有難かった。

 こちらから資料を提示させていただき、今回のご奉公の概要などをお話しさせていただいた。27日からご講有がブラジルに来られる意義。それは即ちブラジル本門佛立宗が100周年を迎える故ではあるが、それだけではない、と。
 第一回の日系移民を乗せた船として有名な笠戸丸には、たった一人の「仏教僧」が使命を帯びて乗っておられた。その人こそ、茨木日水上人である。また、日系移民を計画した水野竜氏も本門佛立宗の信徒であった。
 つまり、単なる一つの宗派が記念の年や時を迎える、そのために偉い僧侶が来られるというのではなく、特別な意義がそこにはある。6月には日本国の皇太子までがブラジルを訪れてくださる予定とのことだが、ブラジルの全日系人社会が意義を見出している「ブラジル日系移民100周年」という年は、世界史的には、ブラジルに仏教が伝来した「ブラジル仏教伝来100周年」であり、それが本門佛立宗によってもたらされたということを意味して、この度の講有巡教、「ブラジル本門佛立宗100周年」が行われるということなのである。この3つの意義を1つに捉えていただきたいと力説した。

 吉川氏は、丁寧に一つ一つを整然と説明してくださり、記者の方々も日系人として日教寺のバザーや他の地域でも佛立宗のお寺や僧侶の方々と触れあっておられるようで、非常に和やかにお聞きくださる。
 日系人社会は、いろいろな意味で過渡期を迎えている。日系の日本語新聞を読める世代は少なくなってきているのである。その読者も、世代も限られてくるだろう。
 本門佛立宗であっても同じである。日系人社会と本門佛立宗の歴史は完全に一致しているのだ。つまり、世代を重ねるごとに日本語を話せる人たちは少なくなっている。人種の坩堝といわれるブラジルの中で、日本人はアイデンティティーを保ちつつも、同化していく。日本人街は日本語が看板に出てはいるが、経営は中国人という店舗が多いと聞いた。日系人は厳しい道を歩み、戦っているのだ。
 今のブラジル本門佛立宗が、普遍的な価値の下にブラジル全土で国際化を遂げているように、日系人の宗教からブラジルの国家的な宗教として認知されているように、昇華を続けていかなければならないだろう。

 最後に訪れた新聞社は「JORNAL NIPPO-BRAZIL」という会社だったが、ここは日系の新聞社であるにもかかわらず、日本語を使わずポルトゲスで記事が書かれている。まさに、今の日系人社会を表しているように思えた。
 対応に出てくれた記者の方も、日系人には見えなかったが、名前の中に日本名があり、3世であるということだった。日本語は話すことは出来ないコスモポリタンであっても、日系人としての自覚は持っていてくれる。今回のご奉公にも協力を約束してくれた。有難いことだ。
 新聞社を後にして日教寺に戻る。日教寺に戻ったら、水野竜氏の墓地を視察、清掃などをする予定だ。

妙深寺の桜

 妙深寺の桜の写真を信仰師が送ってきてくれた。嬉しい。有難い。
 ほら、見てみると、やっぱり本堂に向かって咲き始めてる。嬉しいなぁ。今年、見られなくて残念。きっと帰ったら散ってしまってる。本当に、妙深寺の境内にいる桜は特別だから。
 なぜ特別だと感じるのか。それは、この桜満開の時に父が倒れ、そこから人生が回転し始めたから。その全てを、桜は見ていた。だから、私にとってこの桜は特別なのだ。
 私は、桜の花びらが散ってしまっても桜の木に話しかける。桜の木というのは、可哀想なほど春しか見向きもされない。表面はゴツゴツしていて、虫も付きやすく、夏や秋や冬には誰の目にも止まらない。ただ、春だけ異常なほど注目される。それも良い。仕方ない。でも、桜が好きなら、やはり、一年を通じて話しかけ、春を待ち望むのも大切ではないかと思って、そうしているのだ。
 「散りますと、花のいふのを きいて呑め」
 先住が大好きだった開導聖人の御教句である。なんとも粋な、何とも深い歌であろう。この御教句を噛みしめながら、今年も妙深寺の桜の満開、そして散りゆく姿を見たかった。
 世間は、コンビニエンスな文化が花盛り。集客のためにライトアップされる花々、木々。綺麗なものに違いはないが、果たしてそこに「心」はあるのか。綺麗は綺麗、ムードはムード。でも、それだけ。つまらないなぁ。
 この時期、さまざまなメディアで桜の名所が語られるが、観光客の誘致のために、そこそこに「桜」を利用しているものが多い。そんなコンビニエンスな名所や、下心に溢れている場所に行くのもいいのかもしれないし、そこで酔うもの人の勝手だ。でも、私はそんな場所に行きたくない。
 ぜひ、この桜を見に来てもらいたい。ここは特別なのだ。下心なしだ。見事だ。大きな3本の桜が、空を隠すように覆い茂る。咲き誇る。
 父が亡くなる2ヶ月前も、父の肩を抱きながら、その下に立った。父は、最後になるであろう満開の桜を、「寒いから、もういいだろ」という私の言葉を制止して見つめていた。

 「散りますと、花のいふのを きいて呑め」
 なんと素敵な歌だろう。父を想いながら、一晩中、一献汲みながら、桜を見つめて過ごすのが例年の習いだが、今年はブラジルでのご奉公に精を出そう。

11.3 今日は「雨ニモマケズ」の日

  11.3。今日は特別な日。95年前の今日、宮沢賢治は黒革のノートに『雨ニモマケズ』を記しました。「文化の日」は「雨ニモマケズ」の日でもあります。 1931年(昭和6年)11月3日、賢治さんは『雨ニモマケズ』を鉛筆でメモしました。赤鉛筆も使っています。法華経の精神、本化の菩薩の...