10時に吉川淳省師のお父さまが迎えに来てくださり、ブラジル本門佛立宗の田尾理事長と淳省師と私でご奉公に出掛けた。
出発直前、提出する資料を整理していたのだが、日系ではなくブラジルの一般誌からの質問にご講有が答えた内容が非常に示唆に富んでいるということで、その日本語に訳し直したものも持って行くことにした(日系の新聞社なので日本語で)。
少し出発が遅くなったが、吉川氏の運転で出発した。吉川氏に案内をいただいて、各社ともに非常に丁寧に対応してくださり、本当に有難かった。
こちらから資料を提示させていただき、今回のご奉公の概要などをお話しさせていただいた。27日からご講有がブラジルに来られる意義。それは即ちブラジル本門佛立宗が100周年を迎える故ではあるが、それだけではない、と。
第一回の日系移民を乗せた船として有名な笠戸丸には、たった一人の「仏教僧」が使命を帯びて乗っておられた。その人こそ、茨木日水上人である。また、日系移民を計画した水野竜氏も本門佛立宗の信徒であった。
つまり、単なる一つの宗派が記念の年や時を迎える、そのために偉い僧侶が来られるというのではなく、特別な意義がそこにはある。6月には日本国の皇太子までがブラジルを訪れてくださる予定とのことだが、ブラジルの全日系人社会が意義を見出している「ブラジル日系移民100周年」という年は、世界史的には、ブラジルに仏教が伝来した「ブラジル仏教伝来100周年」であり、それが本門佛立宗によってもたらされたということを意味して、この度の講有巡教、「ブラジル本門佛立宗100周年」が行われるということなのである。この3つの意義を1つに捉えていただきたいと力説した。
吉川氏は、丁寧に一つ一つを整然と説明してくださり、記者の方々も日系人として日教寺のバザーや他の地域でも佛立宗のお寺や僧侶の方々と触れあっておられるようで、非常に和やかにお聞きくださる。
日系人社会は、いろいろな意味で過渡期を迎えている。日系の日本語新聞を読める世代は少なくなってきているのである。その読者も、世代も限られてくるだろう。
本門佛立宗であっても同じである。日系人社会と本門佛立宗の歴史は完全に一致しているのだ。つまり、世代を重ねるごとに日本語を話せる人たちは少なくなっている。人種の坩堝といわれるブラジルの中で、日本人はアイデンティティーを保ちつつも、同化していく。日本人街は日本語が看板に出てはいるが、経営は中国人という店舗が多いと聞いた。日系人は厳しい道を歩み、戦っているのだ。
今のブラジル本門佛立宗が、普遍的な価値の下にブラジル全土で国際化を遂げているように、日系人の宗教からブラジルの国家的な宗教として認知されているように、昇華を続けていかなければならないだろう。
最後に訪れた新聞社は「JORNAL NIPPO-BRAZIL」という会社だったが、ここは日系の新聞社であるにもかかわらず、日本語を使わずポルトゲスで記事が書かれている。まさに、今の日系人社会を表しているように思えた。
対応に出てくれた記者の方も、日系人には見えなかったが、名前の中に日本名があり、3世であるということだった。日本語は話すことは出来ないコスモポリタンであっても、日系人としての自覚は持っていてくれる。今回のご奉公にも協力を約束してくれた。有難いことだ。
新聞社を後にして日教寺に戻る。日教寺に戻ったら、水野竜氏の墓地を視察、清掃などをする予定だ。
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