2008年3月29日土曜日

『寂光祭(Festa da Iluminacao)』

 無事に寂光祭が終了した。

 南米の雰囲気。私たち日本人の想像できることとは違って、全く新鮮な感覚の奉修となった。これは、この紙面では到底伝えられそうにない。コレイア御導師の感覚から湧き出したものだ。私も大変勉強になった。
 日本からのある団参の方は「寂光祭」と聞かれて、「喪服を着た方がいいでしょうか」と心配してくださっていたほど。多くの人がタイトルと内容のイメージが結びつきにくかっただろうと思う。

 簡単に言えば、「同帰常寂」という意味だと考えれば分かりやすいかもしれない。「共に、寂光に帰りましょう」「成仏の大果報がいただけますように」「成仏の大果報がいただけるような生き方をしましょう」と呼び掛け合うのが「寂光祭」という意味であった。

 御講有にはポルトガル語での言上など、無理な御願いを重ねてすることとなった。寂光祭の中では、エメルソンという青年の得度式も行われたのだが、その剃髪の時に言上する「流転三界中~」という御文も、すべてポルトガル語での言上となった。その大変なプログラムを、すべて順調にしてくださったのだから、本当に有難かった。

 有難いことに、このプログラムには約1000名の方々が参加した。また、御講有の警護をしている連邦警察の警察官たちも自然に参加することになったわけだが、この中の3名が昼間から夜にかけてのご奉公でお教化になったという。これも有難いことだ。全てはご弘通のためなのだから。

 その寂光祭は21時過ぎに終わった。御講有は上院議員のウィリアム・ウー氏の挨拶を受けたり、エメルソン(得度名・教行)に訓辞を与えてくださったりして、お疲れの中、21時30分に警護の隊列を受けながらホテルまでお戻りいただいた。大変に忙しい一日。それでも、トラブルもなく無事にご奉公できたことが御法さまのお計らいとしか言いようがない。

 私たちは23時過ぎに日教寺を出発して、明日御講有が飛行機で到着される街まで移動した。夜中の高速道路を斉藤御導師と信徳師の運転で走りに走った。約6時間。満天の星空、南十字星を見ながら、南米ブラジルの平原をひた走る。サンジョゼ・ド・リオプレートという街まで移動して、明日の午後のご到着を待つ。朝5時前に町中に入り、ホテルで仮眠を取ることにした。

 朝、7時前に日本からの電話で目覚める。名嘉村さんが帰寂されたことと枕経の報告だった。82才だった。
 受持の信仰師にも伝えたが、名嘉村さんを思う時、胸が熱くなる。なぜなら、氏は帰寂まで信心を増進し続けた方だと思い起こしていたからだ。寂光祭が終了し、法宅に控えていた時、メールで名嘉村さんの帰寂を知った。思わず声を上げた。寂光祭の途中、名嘉村さんを思って唱題をあげた。臨港教区の教区御講で「私は、この年になって、同僚に妙深寺のパンフレットを見せて、こんなに良いお寺があるんだ、とお教化しようと思っているんです」とご披露された姿が浮かんだ。晩年から、どんどんご奉公くださるようになり、ご信心は帰寂する直前までゆっくりと上昇し続けたと思う。

 9時、ウトウトしていた中、サンパウロからの電話で目が覚める。よし、起きよう。ご奉公は全身全霊でさせていただく。入る息は出る息を待たない。当たり前だが今日は今日しかない。精一杯のご奉公をさせていただく。ありがたい。

 朝の街、今日はリンス大宣寺でのご奉公である。

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