2008年1月12日土曜日

願う所、虚しからず

 1月6日は、特別に忙しく、朝から動き続けていた。

 1月4日は長松寺の御総講、5日に新幹線で横浜に戻り13時から教務会。6日から寒参詣がスタートするので、その準備にも追われた。寒参詣第一日目の御法門は住職である私が担当する。

その6日、大勢のお参詣者と共に寒参詣がスタートした。第一座の御法門が7時から、第二座の御法門が8時から。ご披露等が終わり、寒参詣のご供養をいただくと、あっという間に9時を回る。

 家に戻ってシャワーを浴びて、出掛ける準備をする。その日は13時からの教区御講で千葉まで行かなければならない。10時過ぎには車で出発とのこと。しかし、10時から教養部の会議が入っていた。少々お待たせしてしまったが、着替えてから会議室に顔を出す。ここには、壮年会、婦人会、青年会、薫化会、松風会、ボーイスカウト、ガールスカウトという妙深寺の教養会の代表者の方々が全て揃って下さっている。でも、ちょっとだけ顔を出して、5分程度の熱ーいスピーチをさせていただいて、「ごめーん、行かなきゃー」とペロッと舌を出して言い訳をしながら瓜生さんと野崎さんに後を任せて車に乗り込む。

 車の中でウトウトしながら、12時過ぎには大塚さんのお席に到着した。この日は、お参詣者が今までで一番と言って良いほど多かった。しかも、大塚さんも喜んでおられたが、新しい方々ばかり。中でも渡辺さんの息子さんがお参詣してくれていたことには感激した。実は、彼は大学生であったにもかかわらず、数ヶ月間行方不明で、教区内でお助行とご祈願を続けてこられた。こうしてお参詣していただけるようになったことは、お計らい以外の何ものでもないと思う。その経緯は書ききれないが。

 御講席を勤めさせていただき、お昼のご供養を頂戴してから、そのまま深恭師と車で長野に向かった。和長さんにお別れをするためである。ご自宅でのお別れとのことで、そのままご親戚など内々でお通夜を営まれることとなり、私が導師を勤めさせていただくこととなった。もちろん、和長さんとのお別れ、万難を排してご奉公させていただこうと思い、このようなスケジュールとなった。

 首都高速から関越道、浅間山を見ながら軽井沢を抜けて長野へ。その際、高速道路の左側に見える山々の向こう側に、空に黄金の扇形を描きながら沈もうとする夕陽を見た。余りに綺麗だったので、思わず写真を撮った。和長さんとのお別れの夕べに見た夕陽は、何とも幻想的で、不思議なものだった。

 17時頃、和長さんのお宅に到着した。奥さまの音美さんとお会いするのも今年はじめて。もちろん、和長さんが帰寂されてからはじめてのことだった。労いの言葉を探しながら、お二人のお嬢さまと東京にお住まいの息子さんにご挨拶をした。

 和長さんとの対面。最後にお会いしたのは12月9日だった。今では冷たくなっておられる。布団をめくり、手を握る。そのまま御題目をお唱えしながら数10分間お話をした。もちろん、言葉には出さない会話。

 しばらくして着替えさせていただき、一座をお勤めした。ご供養の席で、息子さんと涙ながらにお話しすることができた。私と同い年とのことだった。なるほど、だから和長さんは私を息子を見るような親しさで見つめて下さっていたのかと思った。息子さんもそのことを感じておられ、横浜のお寺に是非ともお参詣すると約束して下さった。そうだ、それこそご回向の道だと、お話をしていた。

 その夜、間違いなく、その場に和長さんはいてくださった。私たちを見ておられた。久しぶりにそうしたことをはっきりと感じた夜だった。

 一人で駅のホームに立ち、新幹線に乗って東京方面に向かった。東京駅からは東海道線を使って
横浜に向かった。23時過ぎ、妙深寺へ戻った。本日のご奉公のご報告を御宝前に申し上げ、和長さんのご回向を重ねて言上し、就寝した。

 それから数日、嬉しいお話をお聞きした。

 私は、何ともやるせない思いにもなっていたのだが、ずっと和長さんと共にあり、闘病してきたご家族がご信心の有難いことを語ってくれていた。

 和長さんは、本当に最後の最後までお元気だった。夏の診断からは信じられないことだった。余命数ヶ月と言われてからの、食道癌の治療。お嬢さまの友人のお一人に、自分の父親を食道癌で失った方がいたという。その方から同じ食道癌であるとすると、最後の最後まで本人が大変に苦しむということを聞いた。お嬢さま自身も、そのお父さまの葬儀に参列したというが、その亡くなった方のお顔に、苦しさと痛さがにじみ出ていたというのだ。

 しかし、和長さんを見よ。これほど穏やかで、真っ白。布団に横たわる和長さんは、私よりもお坊さん(?)のようで、綺麗な姿。何とも有難いお姿だった。最後の最後まで元気で、インターネットを通じて私の妙深寺本堂でのご挨拶や御法門を聴聞しておられたという。そして、自分のことが語られていることも聞いていたという。本当に、最後の最後まで元気で、12月には百本祈願にも挑戦しようとしていたという。

 そして、家族みんながご信心を相続されるということが、何より有難いではないか。先住は「生き恥かいても死に恥かくな」と仰った。生きている間は誤魔化しもきくが、死んでから自分の顔は直せない。死に顔は自分で化粧できないという訳だ。自分の「死」には一生の行いが表れる。人間200才まで生きるものはいない。必ず死を迎える。信心をしている、していないという違いも、菩薩行をしている、していないという違いも、この「死」に出会って明らかになると思う。そこを「生き恥かいても死に恥かくな」と仰った。

 法華経にあるとおり、「所願不虚」。「願う所、虚しからず」。私たちのご祈願、祈り、御題目は、和長さんに届いていた。それは間違いない。つくづく有難いことだと思う。和長さんのために、ご病気の方のために、祈れたこと、御題目をお唱えできたこと、それが有難い。まさに、佛立信心だと思う。

 和長さんとのご奉公で、またそのことを教えていただいたと思う。

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