これは妙深寺で代々為されてきたことで、私も子どもの頃から元旦の庫裡で行われる厳かな行事に自然と並んで座していた。
例年1月1日の朝、全教務とその家族は庫裡に集まり、新年のお看経をさせていただく。お看経が終わると、そのまま住職は振り返り、皆に新年の挨拶をさせていただく。
その後、一言も発することなく、本寺から妙深寺に賜った純金の祝盃が静かに住職の前に置かれる。そのまま、まず最初に執事長から住職が祝盃を受ける。その後、住職が全教務、全家族に祝盃を授けていく。
私も子どもの頃から、元旦はこうするものだと思っていた。すっごい静かな中で、一人一人がご住職の前に進んでいって、ちょこんと座ってご挨拶をする。ご住職が黙ったまま差し出す金杯を、手が震える思いで取って、三度ほど注いでいただいてゆっくりと飲み干す。
自分が口をつけた金杯を、水受けにひたして、それを拭いてご住職の差し出す台に戻すのも至難のワザで、独特の作法がある。子どもの頃はドキドキして仕方がなかった。ズラッと居並ぶ先輩、お兄ちゃん、お姉ちゃんのしているのを見ながら、自分の順番が来るのを待つ。年齢順だから、子供は一番最後なのだ。
この元旦だけは、お酒も飲めない子供なのに、先代のご住職からほんの数滴の祝盃を受け、「うぇー」と言いながら舐めていたのを思い出す。今年は、長男もしっかりと座っていて、自分の前に進んできた。私が先代のご住職の祝盃を受けていたように、息子もドキドキしながら自分の順番を待って、私の前に進んできた。そして、ほんの数滴、息子の盃に「お屠蘇」を落として、彼はそれを舐めた。息子も同じリアクションをしていた。「うぇ~、何すんだぁー、まっずーい」って。
そのまま奥さま方のお給仕をいただきながら元旦の朝食をいただく。11時から「元旦初総講」なので、その前にいただく。その時にいただくのは、お教務さんの奥さまが年末に作ってくれる「おせち料理」だ。ほんの短い時間だがお正月気分を味わせてくれるし、本当に美味しい。ありがたい。年末の忙しい最中に仕込み、料理してくださるので感謝、感謝。
子どもの頃、京都の長松寺でお正月を過ごしたことがある。大僧正日峰上人と、小千代おばあちゃま、そして千鶴子姉さんもいたと思う。
京都のお正月は、風情があるというか、「これぞお正月」という雰囲気に満ちている。子供心にもそう思ったものだ。そう、本山には千鶴子姉さんに連れて行ってもらったのだ。本山の除夜法要ほど素晴らしいものはないと思う。
そして、元旦の長松寺。日峰上人と小千代おばあちゃま。奥の間にズラッと高膳が置かれており、漆塗りの板の上に、数の子やフナの甘露煮がポツンと置かれていた。しかし、そこに座るべき人がいない。
その時に、おばあちゃまから、「これは清凉さん(父の名前)。これは陰膳ゆうて~」と説明を受けた。横浜に行ってご奉公している父のためにお膳を作って、誰も食べないのにおせち料理が置かれている。おじいちゃまとおばあちゃま、千鶴子姉さんという、ちょっと寂しい長松寺のお正月だったが、お膳だけはズラッと並んでいたのを覚えている。そして、私のお膳も作ってあり、私が横浜で何となく過ごしているお正月でも、こうして「陰膳」が京都で据えられていることを忘れてはいけないと教えてもらった。
その時、京都で白味噌のお雑煮を食べた。「頭(かしら)いも」がどかーんと乗っている白いお味噌で出来たお雑煮。お餅は焼かずに煮るのだという。いま、妙深寺で過ごすお正月でも、お吸い物のお雑煮と、この京都風の白味噌のお雑煮という二種類を用意している。
もちろん、私が選ぶのは白味噌のお雑煮だ。本当に美味しい。これだけはお正月から外せない。
今年も、京都では私の陰膳を据えてくれている。ありがたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿