2008年1月13日日曜日

負けてはならぬ、負けてなるものか

 今年、最初の御講。どのような御法門を説かせていただくべきか、考えながら年を越した。1月4日の長松寺の御総講、そして平成20年正月の妙深寺教区御講。そして、私は最初の御講席に於いて、「負けてはならない」をテーマとして御教歌を選定させていただき、御法門を拝見することとした。

 新年を迎えると各メディアには「今年の大予想」などの記事が目立つようになる。専門家の意見ならまだしも、最近のスピリチュアル・ブームを反映してか占い師や霊能力者の言も並んでいる。情けないことだ。こうした風説だけでスタートを切る人間の弱さ。

 真の仏教徒であれば、狐狸の類にも似た占い師などの意見を聞くことは、迷いを増すだけでメリットは何一つないことを知っている。むしろ、自己暗示による弊害が一年間つきまとうことになるのだから。

 真の仏教徒は、因果の道理で考えて一年のスタートを切れる。仏教の因果は、「今を見てみれば前に何をしていたか分かる、今何をしているか見たらこの先どうなるか分かる」というもの。

 去年までのことを思い浮かべて、「今までの自分、今までの社会、今までの世界がしてきたことを見れば、今が分かる、今年が分かる」ということだし、今年の自分や社会を見据えて、「今の自分、今年の自分、今年の世の中を見ていれば、その先の自分も社会も見える」というものだろう。

 ごく一般的な仏教として平成20年を見るに、「大変な年になるなぁ」というのが感想なのである。なぜか。時限爆弾付きの問題を、すべて先延ばし、先送りにして迎えたのが平成20年だと思えるからだ。余程の覚悟がなければ、到底乗り越えられないのではないかと思う。もちろん、何もなければ良い。ただ、そうだとしても現在の人間がしている行動を、政治的にも経済的にも環境的にも考えると、非常に悲観的にならざるを得ないと思っている。だから、「負けてはならない」をテーマとしたのだ。

 問題を挙げれば切りがないだろう。政治の空転、総選挙、年金の問題は、時限爆弾のように日本社会を揺るがすだろうし、原油と金の高騰と世界的な大恐慌の火種になりうるサブプライム・ローンの問題も、既に導火線は残り少ないと言い切っても良いと思う。外国企業は日本市場から撤退しているし、それに対する対策は付け焼き刃のようなものでしかない。問題の先送りは恒常化していた。

 新潟県で、低所得者が灯油を買えないかもしれないと危惧して一軒当たり5000円の支援金を拠出することが決まったが、原油の高騰は投資家たちが価格を吊り上げているからだと考えられる。石油メジャーの大手は軒並み史上最高益を更新し、投資家たちは価格高騰によって利益を上げている。裏腹に、新潟県に限らず消費者は灯油を控えて寒さに震え、小売店は非常に厳しい経営を迫られている。今後、多くの商品の小売価格が上昇してゆくことが予想されるし、直接家計を圧迫していくと考えられる。

 サブプライム・ローンの問題など、もう実際に「バブルは崩壊」したと言える。損失の実際規模が確定できないということは、10兆円の価値があるとしていたものが、実際にはいくらの価値しかなかったのか確定できないということだ。そのくらい、いわばインチキな価格の吊り上げをしながらカンフル剤を入れ続けて、何とかもたせてきたのがアメリカ市場であり、そこに依存してきた各国の市場ということだと考えられる。そこが「崩壊」した。今は何とか「そうではない」とアナウンスをするしかないだろう。しかし、どこまでそれが通用するのだろう。各市場が防衛策を発動し、各機関が一致して対策を実施しても、余程の「徳政令」でも出さない限り、全世界の市場が危機的な状況を迎えるのではないかと思う。そして、たとえ「徳政令」を出したとしても、それは一時的な対処療法にしかならないと考えられるし、過剰な貸し付けで消費を刺激し、促してきたツケは、自然環境にまで及んで、地球温暖化まで繋がっていると思う。こうした悪循環、降りられないシーソーゲームが、結局は人類を「しっぽを食べて生きる蛇」にしてしまっていると思う。

 そういう時代に突入した、そういう年を迎えたという思いが強い。だから、どうするか、ということに極まる。日本国内も、経済も政治も、もっと身近な生活や人間の精神が危機に瀕しているとして、さて私たちはどうしたらいいのか。

 結論からいえば、もはや安易に構えていたら危ないという警鐘を鳴らすしかないと思う。平成21年、立正安国論750年の上奏を記念する年を迎えるに当たって、このような現象(現証)が表れていると考えられるけれども、それを難しく語る前に、自分や家族を守るために「覚悟」を持たなければ乗り越えられないということを知っていただきたいと思う。

 「ご信心をしているから、御法さまが守ってくださるだろう」「なんとかなるだろう」というのも、一つの「ご信心」「信仰」の形態ではある。そうした「ご信心」があってもいい。否定することはない。

 しかし、世が混迷を増し、末法の様相が深まる昨今、中途半端なご信心前のまま安易に「守って下さる」と思っているようでは御法に傷が付く、結局は油断が生まれ、ご守護もお導きも無いということになりかねない。

 つまり、「信心していると、負けないんでしょ?」「大丈夫ですよね」という他力本願のようなものではなく、「私は、これほど尊い御題目にお出値いしたのだから、負けるわけにはいかない」「お祖師さまの強いご信心前、教えをいただいているのだから、負けるわけにはいかないのだ」という、「佛立信者の覚悟」「菩薩の誓い」までご信心を高めることが大切だと思うのだ。

 御教歌には、「まけん気と根気と慈悲のある人は みのり弘むる器なりけり」とある。仏教であるのに、「負けん気」と冒頭にいただくのは、非常に心強いし、珍しい。私は負けん気ばかりが強かったので、「根気」と「慈悲」の大切さをこの御教歌から教えていただいたが、今年この御教歌を拝見するとしたら、まずは「負けん気」に力点を置いて拝見していただきたい。

 法華経本門のご信心、本門佛立宗の菩薩の誓いの中では、単なる「いい人」は、前に「どうでも」が突いて「どうでも良い人」になってしまうのである。「見かくし、聞きかくし」する人を嫌う。自分だけ善人や良い人ぶって、誰かが間違っていても放っておくような人を、「どうでも良い人」として切る。菩薩行では、「強さ」が必要である。

 つまり、妙深寺では「菩薩の誓い」というご奉公を年頭からお勧めしているが、単なる「優しい人になろう」ということではないことを強調した。「慈悲心」と同時に「負けん気を起こせ」ということを主に説かせていただきたい。無論、3つがバランス良く自分の生き方の柱になることが大事に違いないが。

 ただ、単なる「勝ち負け」を言うなら色々あるだろう。隣の奥さんがバッグを買ったから、あたしも買いたいという勝ち負けでは困る(笑)。会社の上司、同僚、取引先、学校のアイツ、等々、挙げたら切りがないかも知れない。確かに、そこでも健全な競争による中で、勝たなければならないこともあるだろう。人は、それぞれ勝つべき対象が違う。

 しかし、最終的に勝たなければならないのは、自分自身の心。自分自身に違いない。仏教ではそうなのだ。それは、自分の欲深さ、わがままさ、屁理屈を言う癖、偏屈な所、エゴ、短気さ、怠け癖、熱しやすく冷めやすい所、等々。

 だから、別の御教歌には、
「怠りの 魔軍を責て 弘むべし まけてはならぬ 祖師の御味方」
とある。この御教歌では、「自分の怠りの心、自分の心こそが、戦うべき相手だ、誰よりも怖い魔軍だ、負けてはならない、負けるわけにはいかないぞ、お祖師さまの味方である私たちは。私たちが負けてどうするというのか」ということを教えておられる。「負けてはならぬ」「負けるわけにはいかぬ」と教えていただくのだ。有難いことだ。

 自分の弱点に無関心な者が仏に成れる訳など無い。いくら尊い御題目を頂戴していたとしても、自分の弱点を改良しないで良しとするのは、御題目の上にあぐらをかいていると言われても仕方ない。自分のダメな部分、弱い部分を知って、そこを改良・改善するためにご信心があり、御題目がある。

 開導聖人の御指南に、
「常に人に勝れんと思ふ心をやめて、徳の我に足らざる所を、憂い、徳を我が身に積みて、其の徳を以て人に勝つときは、是を至極の勝ちと云う。まけること嫌ひなれば、とくをつめよ」
「信行またしかなり。わが信の足らざるをおもひて、積功累徳して、利益を顕すは至極也」
「利益は口唱の信行より出るもの也」
とお示しになられている。この御指南は、常に拝見し直していただきたいと思う。本当の勝ち、この上ない勝ちはどういうものかをお示しになられている。

 徳を積むことが、勝つことに繋がる。「負けることが嫌だったら徳を積め」と教えていただく。体力をつけるのだ、自分の中に強さを蓄えるのだ、と思って、愚痴を言っても仕方がない、相手を非難していても仕方がない、とにかく功徳を積む、口唱、参詣に気張り、一人でも多くの人の力になろうと思い、行動し、苦しんでいる人や悩んでいる人がいると聞けば駆けつけ、その人のために祈り、ご信心を進め、お教化に努め、育成に努めていく。これが功徳の積み方、これを以て、負けない自分が培える。

 どうか、大波乱の予測される今年。「負けてはならぬ 祖師の御味方」をテーマとして、自己を励まし、自己を磨いていただきたいと思う。

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