2009年4月19日日曜日

命と、宗教の真実性(veracidade)

コレイア御導師のポルトガル語のご法門の大意要約

 ありがとうございます。
 YouTubeの以下のURLに、このご法門の映像がございます。
http://www.youtube.com/watch?v=GU3n2RVqJkI&feature=channel_page
 このご法門の大意要約を以下に掲載いたしますが、その前にご法門の背景となっているある事件について、私のほうで補足説明をさせていただきます。

 訳者補足:ブラジルの北東部(貧困地域)のペルナンブコ州のアラゴイーニャという村で、9歳児が妊娠していることが、2009年2月25日に発覚しました。少女の妊娠それ自体は、ブラジルでは、悲しいことですが、頻繁にあります。たいてい犯人は、父親や叔父や祖父などの近親者です。ブラジルだけでなく、メキシコでもあります。メキシコについては、被害の少女たちを私は取材したことがあります。さて、この少女はレシフェという同州の州都の大都市で、3月4日に中絶手術をしました(レシフェ市は、米国への直通便が就航している国際空港があって、開けた明るい都市です)。12~13歳の少女の妊娠と中絶ならば、ブラジルでもメキシコでもニュースにはなりません。しかし今回は、被害者が9歳と幼すぎるという事情や、身ごもった子が双子であるという事情などが重なり、いつもとは異なる展開となりました。

 中絶手術に対して、中絶をみとめた母親と、中絶手術を実施した医師を、レシフェの大司教が破門に処すと述べたのです。ローマ法王も、これを支持されました。ところが、同じカトリック教徒である連邦大統領のルーラ氏が、これを保守的にすぎると批判し、それに対して大司教側が反論されました。教会側は、強姦よりも中絶のほうが罪が重いと判断しました。こうして、全国的な、あるいは国際的ともいえる事件へと発展しています。

 以下、コレイア御導師の御法門の大意要約です。ほぼ「翻訳」といってよいのですが、一部省略していますので、「大意要約」とご理解ください。御導師による訳のチェックも受けております。                        
第二弘通部門・海外弘通部長



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御教歌 「いのち程 大事なるもの 又となし 如説修行を せんとおもへば」
                                (佛立開導日扇聖人)

 これは、命を大切にすることの重要性、より充実した人生をおくることの重要性を教えてくださるご教歌です。そのためには、わたしたちは御法にできるだけ近づけくようにして、教えにしたがって生きなければなりません。ただ生きるのではなく、このたびの人生をもっともすばらしいものにするのです。生きるというのはそういうことです。生きる、死ぬの形は重要ではありません。信行とお題目口唱は命のありがたさ、尊さを最大限に引き上げてくださいます。それが悟りへの道なのです。

 3月4日にレシフェで悲劇的なことが起こりました。命の問題について、今ブラジルでは人の意見が分かれています。わたしたちのところに、これをどう考えればよいのかという質問のEメールがたくさん届いています。この論議をかもしている事実に直面して、教えにしたがって私たち自身を導くことの重要性を実感します。私に届いたそうした1つの質問をとりあげましょう。
 
●あるカトリック教徒からのコレイアへの御導師への質問
 「本門佛立宗の僧侶の皆様。私はカトリック教会の信徒です。私自身の教会について、より深く知るように努めております。今回の少女の妊娠中絶の問題についての仏教の立場を教えていただけますでしょうか。マス・メディアや人々は、中絶にかかわった人を破門処分とした教会を批判しています。わたしは、自分の教会を守るためだけではなく、神(キリスト教でいう神)の法の道をあゆむ上で大切な道徳と倫理を守るために、キリスト教やキリスト教以外のいろいろな宗教の情報を収集しております。」

●コレイア御導師のご回答
 「ご質問、ありがとうございます。簡単にわれわれの立場を申し上げましょう。
 本門佛立宗はあらゆる禁制や戒律には反対です。佛立宗は自覚にうったえるのです。禁止されているはずのことが実際に発生しているという事実そのものが、禁制や有罪宣告や判決はものごとを先に進めるものではないことの証左です。おおくの宗教の教義が、掟を破った人を、その人がまさに助けを求めているその時に、破門し、排除してしまいます。これが現実です。そのために、悪いことをした人に、罪の意識・自覚をもたせるということの重要性が、無視されているように思われます。

 本門佛立宗は、自覚をうながす宗教で、そのために崇高な力(força divina)の支援をあおぐのですが、罰をあたえるようなことはしません。間違いをおかしたとき、宗教というのはその人をすぐに救済してあげるという能力(キャパシティ、容量、包容力)をもっていなければなりません。その人がすぐに後悔や反省をしているかどうかとは無関係に、その人を救ってあげなければなりません。

 われわれは、その罪人のそばに寄り添って、地獄までも一緒に随行します。これは、理不尽なことではなく、命を大事にするということなのです。生命を大切にするということは、御法の力を得て困窮者を助けてあげるということです。われわれは、救済可能なすべての人を救済します。罪人をふくめて、すべての人を救うのです。これが、法華経の教えなのです。『南無妙法蓮華経』というお題目は、本因下種のお題目なのですが、口唱を通じてすべての人が救われます。これ以上、人々が苦しむことがないように、ひとりでも多くの人がお題目をとなえるようになれば、わたしは幸せです。

 本門佛立宗は命を大切にします。人の死に出会うこともあります。すべては相互依存の法則(因果の法)にしたがって起こり、新しい原因がつくられ、結果が生じます。自覚がない人が罪をおかしてしまうこともあります。私たちは、亡くなった方の霊魂へのご回向をいたします。違反者や破門者が多いほど、救済すべき対象者が多いことを意味します。誰かが、彼らを救ってあげなければなりません。
 宗教の真実性(veracidade)は、どれだけ人を救済できるかで、測ることができます。
 むろん、われわれも自分たちの行動の結果に直面して苦悩しますが、そのような苦難は、神によって与えられるものではなく、ましてや聖職者から(罰として)与えられるものでもなく、因果関係から生じるものであり、相互依存の法則(因果応報)によるものです。違反者こそ救済されるべきであり、罪障を消滅させて、よい結果へと導くべきなのです。
Namumyohorengekyoをお唱えすることによって、その命がたとえ1日であろうが、百歳であろうが、永遠の命となります。それがお題目の力なのです。口唱を通じて、よりintensiveな(=充実した)命、人生を得ることができます。」
 以上が、この9歳の少女の中絶をめぐる、わたしたちの考え方、立場です。
 最後に、御教歌を再拝いたします。

御教歌 「いのち程 大事なるもの 又となし 如説修行を せんとおもへば」
                      (佛立開導日扇聖人)
2009年3月12日 コレイア教伯

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