2010年12月31日金曜日

夢と現実と

平成22年も、あと少しで幕を閉じます。

御礼のお看経から除夜法要まで、明日の初総講の準備をしなければなりませんので机に向かいました。

ふと、お看経をさせていただきながら、不思議に思うことがあります。

それは、御本尊の、向こう側に、本当の世界が広がっていて、そこに自分の本体もあって、こちら側は、夢か幻、仮の姿や状態なのではないか、という感覚。もちろん、佛立仏教徒にとって勝負はこの娑婆なのですが、実体験として、そういう不思議な感覚があります。

御教歌。
「ありがたや夢のしばしのわづらひも さめてうつゝの国にかへらん」
「君にけさあふもむかしの夢ならで うつゝにかたる法の道じは」

「うつつ」とは「現実」のことです。

夢と、現実の世界を、行ったり来たり。現実とは思えない出来事を、思い返すからかもしれませんが、どちらが本当の世界なんだろう、と本当に、不思議に思う時があります。

来年も、この現実の世界で、必死にご奉公させていただきます。

皆さまが無事に越年迎春されますように、心から祈念しております。

ありがとうございます。

幻想的な光景

北の国で見た幻想的な光景。車窓からですが綺麗に写りました。

密度の濃い真綿のような雲が、大きな山を呑み込んでゆきました。

2010年12月30日木曜日

一年

昨日、妙深寺報の新年号が届きました。玄関のお花飾りも整いました。

私は風邪を引いたようで声が枯れてしまいました。

明日は藤本御導師の御一周忌です。あれから一年が過ぎようとしています。

お餅つき

たくさんの方々のご奉公をいただいて、お正月を迎える準備が進みます。

ご宝前にお供えする大鏡餅、新年の初総講に参詣された方々にお配りする小餅も、全て、準備できました。みんなで、一生懸命にご奉公くださいました。パパっ子のはるかちゃんも、最後までご奉公してくれました。

ありがとうございます。

2010年12月29日水曜日

言葉

答えも言葉も出てこないまま、時間だけが流れてゆきます。それでも生きているし、ご奉公も続いている。毎日、精一杯のご奉公。昨日は年末の大掃除、今日は大鏡餅つき。

ただ、ひたすら、お看経をさせていただく。言葉が見つからない。友を想い、あまりに、無念で、残念で、お看経をいただく以外に、まだ前が見えない。

同じ悲しみ、同じ苦しみを味わう。それが菩薩行ではないか。山林で苦行する必要などない。世界中で彼らほど苦しみに耐えている人たちはいない。同悲同苦のご信心、ご奉公。それしか出来ない。それしかない。それも出来ない。それをする。それが信心、それが修行。

ただ、ひたすら、言葉がない。

言葉に出来ない。だからこそ、南無妙法蓮華経と唱える。言葉には限りがある。言葉にしたら陳腐になる。だから、万感を、この御題目に込めて、とにかく、お看経させていただきます。

2010年12月23日木曜日

本年最後のお総講

来年度の受持教務の発表を行い、本年最後のお総講が終了いたしました。教区の盛衰は受持の信心と姿勢次第。教区のご弘通の成果を、お客さんか他人事のように見てる教務などいりません。来年は、さらに精進しましょう。

一年が無事に終わるか、油断は許されない。まだまだ。

2010年12月22日水曜日

世界は美しい

それでも世界は美しい。

浅間山から

浅間山も、見事な雄姿を見せてくれました。お天気が心配でしたが、軽井沢は晴れています。長野はどうでしょう。佐久平も晴れ。

後ろに若い女性が二人座っていて、大きな声で恋愛について熱く語っていました。聞きたくなくても聞こえてしまいました。

とても勉強になりました。ご弘通に活かします。深い。

もう少しで長野です。夕方、横浜に戻って大和に移動し、本年最後の参与会議です。

ありがとうございます。

2010年12月21日火曜日

明日は

明日は、今年最後となる長野でのご奉公です。

「怠薬」と「断薬」

 心の病について、佛立教務として書きたいと思います。

 私は、統合失調症やうつ病、自律神経失調症の方々へのご奉公を重ねさせていただき、この中で、たくさんのご利益を見て、本人同様に、私も感激し、本当に嬉しく、有難い体験をしてきました。

 ただ、この中で感じたことや体験的にお伝えしていることがあるので、「罪障」や「障礙」というご信心の用語や難しい理論を使わずに、少し書いておきたいと思います。

 特に、今回は、「怠薬」と「断薬」の危険性について書きます。

 こうした心の病気には、お医者さんで様々なお薬が出ます。この「お薬」を飲むということは病気の症状があるということで、出来るならば「お薬」を飲まないようにできれば一番です。お医者さまにも、「薬を出すのが仕事」と「薬を減らすのが仕事」という2つのタイプがおられます。というか、その一方ではなく、その両方を医療の目的とするのが本当のお医者さまです。

 特に、抗うつ剤や安定剤や眠剤は、とてもだるくなるお薬です。病気を持っておられる方でも、このお薬のもたらす作用と精神的な安心感に依存する方と、このお薬を忌み嫌う方に大きく分かれます。これは、どちらも正しくありません。

 ご信心では、精神的な病気に限りませんが、こうした強いお薬を、できる限り減らして、自分自身に与えられた免疫や大自然の理をもって生きてゆけるようになるのが目標です。御題目という薬と同列に医学的な薬を並べて考えたり、そうした比べ方をして御題目を軽んじたりすることは御利益の妨げです。しかし、「宗教と科学はあざなえる縄の如し」「信仰と医療はあざなえる縄の如し」と言うように、この両方を、丁寧に結んでご奉公させていただかなければなりません。極端から極端は、下手が名人の真似をするようなもので、結果的に現証の御利益も、ご弘通のご奉公も叶いません。
 いずれにしても、まず大事なのは、御題目のお薬をいただくこと。これが大前提で、すべての基本。「信じる」という心の機能を取り戻さないかぎり、心の闇からは抜け出せません。しかも、インチキな「モノ」や「人」を信じても仕方ない。あとで「裏切られた」となれば、さらに以前より心の状態は悪くなり、回復不能になります。だから、「人」でも「理屈」でもなく、「南無妙法蓮華経」という万法具足の御題目を信じることで、まず、心の病気と戦う最低限の準備が整うと考えます。

 その上で、お医者さまからいただいたお薬を飲み、それをお医者さまと相談しながら、症状を見て、しっかりと先生の言うことを聞いて、減らしていくことができれば道は開けてゆきます。そうした病院や先生と出会うことも、大切です。心の病は、身体の癌や重篤な病気と同じくらい、恐ろしい病気です。簡単に済ます、ということは出来ません。

 しかし、問題なのは、「心」に闇を抱えているということは、「疑い」に心が支配されている場合が多く、自分自身で正確に、客観的に判断する能力が、本人から奪われている場合が多いことです。つまり、そのお医者さまが、「いいのか」「悪いのか」を、客観的に判断することが出来ません。そして、多くの場合、自分自身で、「このお医者さんは駄目だ」「分かっていない」と決めてつけてしまいます。もちろん、先ほど書いたように、本当に強い薬を出すだけのお医者さまもいて、違う病院を探した方がいいこともあります。しかし、この病気の場合、本人だけで決められるものではないのです。こうして、次から次へと、「信じられる先生に出会えない」と言い続けて、病院を巡っている方が多くいます。

 お医者さまも、まず、信頼関係を作る努力をされており、その苦心は窺えます。きついことを言わず、理解を深めようと努力してくださいます。しかし、圧倒的に患者さんが多く、本人が転院したり、違う病院に行き始めれば、それ以上は何もできません。こんな風に、悪循環が続いてしまいます。だからこそ、ここで、ご家族や、私たちのようなお寺の住職や教務が寄り添って、ご奉公させていただくことになるのです。

 ご奉公していて一番こわいことに、薬をのむのをサボってしまう「怠薬」と、何らかの理由をつけて意図的に服薬を中止する「断薬」があります。どちらもよくないこと、いけないことで、抗うつ剤等は、自分勝手に止めたり出来るような簡単な薬ではないのです。飲み始めて、数日であれば何とかなりますが、何ヶ月、何年間も飲んでいるなら、なおさら、絶対に途中で、勝手に止めてはいけません。先生の指導を受けながら調整しないと、「薬を減らす」「健康になる」どころか、元に戻ってしまいます。

 一生懸命に治療してある程度まで来ると、多くの人は「よくなったから薬を止めてみたい」と考えます。たしかに、薬が強いですから、飲んだら身体がだるくなるのです。本人が一番知っています。そして、その薬を止めたらシャキッとする。だから勝手に止めてしまう。そして、バラバラ、ドタドタ、ドカン、と来て、元に戻ってしまう。これが「怠薬」や「断薬」の怖さです。

 そういうことを、何度も何度も見てきました。もちろん、お看経とご信心があれば、いつか薬も止められる。でも、薬が止められるほど、固くて、強いご信心を持てたかどうか、教務も本当にチェックしなければならないのです。先ほど書いたように、下手が名人の真似をしてケガをしたら大変です。私は、こうしたご奉公の中で寄り添いながら、本当に、こうした状態から、完全に良くなっていく方々を見てきました。御題目があって、しっかり指導をいただけば、必ずよくなります。勝手にしていたら駄目。

 お助行は、御題目の「怠薬」や「断薬」が起きないようにする最高のご奉公です。こうしたご病気の方に限らず、末法の私たちは全員が病気を抱えているようなもので、御題目の「怠薬」や「断薬」を常に起こしています。お看経も、なかなか一人ではできません。言うまでもなく、お看経は心のお薬です。しかし、やはり、みんな薬は好きじゃない。一人では出来ない。一人ではしない。

 それを、自分の家までお講師やご信者さんが来てくださり、横に座ってお薬を飲ませてくださる。こんなに有難いことはありません。

 御題目やお助行も、病気のお薬も、自分勝手な「怠薬」や「断薬」は、本当によくありません。三毒の病気も、不安も、薬が切れて出てくる、元に戻る。だから、自分で決めて止めてはいけません。飲みにくいかもしれないけど飲んでくださいね、一人で飲めないなら、隣に行って飲めるようにしてあげます。それがお助行。

 そうして、いつか、御題目は「心の薬」「心のサプリメント」だから飲み続けるとしても、副作用の強い科学薬は止められる日が来る。こうした科学薬を止めても、心豊かに、心晴れやかに、生きてる日が来ます。

 そこを目指して、ご奉公させていただきます。それが佛立信心、仏教のメソッドです。

 ここに、仏教があります。

2010年12月20日月曜日

人間性

人間性。人の為に生きてきた人は違う。人間の機微に敏感で、謙虚で、強くて、やさしい、大きい。

自分のことばかり考えて生きてきた人は何が出来ても地位が高くなっても、人間性が劣る。配慮に欠け、嫉妬深く、弱い、冷たい、小さい。

ずっと、人の為、人を喜ばせるため、を考え、生きてきたあなたは、レベルが違う。

信心とは心を磨くこと。ここが修行。いま、人間性が問われています。

「梅薫る追って聞こゆる 鶯の声」

「梅薫る追って聞こゆる鶯の声」

良風寺のお部屋にお掛けしてあり、ただただ恐縮いたしました。

2010年12月19日日曜日

異体同心

本日、大阪豊中・良風寺に於いて、藤本淳悦御導師・如説院日修上人の御一周忌法要が厳修されました。

「異体同心」。さらに、さらに、ご奉公に精進させていただきます。

豊中へ

今日は大阪豊中・良風寺にお参詣させていただきます。

月日の流れる早さを思いながら。その中にいる自分を省みながら。

2010年12月18日土曜日

フジヤマ

また、参りました。あなたの美しさと、雄大さに。

山崎くんのお宅で初めての教区御講。遠く北海道からお母さまと妹さんが駆けつけてくださり、無事盛大に奉修することが出来ました。ありがとうございます。

山ちゃんの家の窓から雄大な富士山が見えます。美しいなぁ。本当に、今月は富士山から学ばせていただきました。

ただ、最近の天地大気の動きには注意が必要です。身延、鎌倉、千葉の小湊と、お祖師さまの事跡と関係の深い場所で竜巻や変異が続いています。ここ数日は富士山の火山灰が神奈川県下に降ったという報道もありました。事実とすれば奇怪です。

いよいよなお、つたなくなる人の世への警鐘でしょうか。天地自然の理と人の心はつながっています。霊性の強い人の心の大勢が、ザワザワ、ギスギス、グラグラすれば、その影響が天地に響くのは当然です。そう考えれば、何がおきてもおかしくない。

しっかりしなければ。気まま、気まぐれ、人間の気分次第に陥って、ご信心を忘れ、ご信心を後回しにしてはいけないはず。

明日、藤本御導師の御一周忌法要です。妙深寺に戻り、また移動します。

富士山。見れてよかった。今年も素晴らしい御講ばかりでした。

富士山の上の真っ青な空の中に、飛行機雲が流れ星のように尾を引いていました。

今年一年間の十大功徳

御講を、もっと自由に、元気に。お会式はお寺の御講、御講はお家のお会式。妙深寺が三大会を工夫しているように、御講も工夫していただきたい。

先ほどの上星川教区の御講は、お看経と御法門を荘厳にさせていただいてから、今年最後という工夫やアイデアがあって、本当に素晴らしかったです。

とし子さんが、「今年はスタートからご住職が龍馬のお話をされたから、龍馬風に、上星川教区今年一年間の十大功徳を発表いたしまーす」と言い、巻き物をバッと広げて、一年間の出来事、ご奉公、お助行、お別れ、様々なご利益を書き連ねて、発表くださいました。

一人一人がヒーローであり主役。菩薩の誓いの実践を、悩みながら、壁にも突き当たりながら、ご信心を励ましあってきたこと。聞いていて、ドラマのようにドラマチックでしたが、しかしこれは上星川教区の完全ドキュメントでした。

プリントも配られました。その結びには、次のようにありました。

「坂本龍馬いわく、「天下の乱れ、世の中の乱れは仏の法の乱れから起こっている」「正しい佛法を信仰しない限り、あなたが抱えている問題も、世の中にある問題も解決しない。この世の中に平穏な日々が訪れることはない」と」

「まさに今、恐ろしい時代になっています。悲しいです。私たち信者一人一人が、お題目のご本意に気づき、決定して、菩薩行のご奉公に前進して参りたいと存じます。」

「報恩謝徳の一年でありました」

有難いです。最後に佐藤教区長から教区でご奉公いただいている全員に感謝の言葉があり、来年さらに菩薩行に励みましょう、とご挨拶がありました。

とても分かりやすくご披露をまとめてくださり、みんなを主役にして、和やかさや暖かさが溢れていました。トンチとパンチの効いた御講奉修、本当に、ありがとうございます。

上星川教区

上星川教区の今年最後の御講。数年前まで全く先の見えない教区だったのですが、今や妙深寺の中で最も元気な教区の一つになりました。

その原動力はお助行。とにかく老若男女が御法さまの御心の下で一つになろうとしてくださっています。ご病気の方や、経済的な問題や、苦しい状況もたくさんありましたが、年末に振り返ると全部お助行でご利益に変わっています。有難いことです。

そして、上星川教区の黒崎さんから始まった「男助行」のムーブメント。今日もチラシを持参されて発表くださいました。来年は、全教区に男助行の輪が広がってゆきますね。

本当に頭が下がります。今は御殿場まで向かっています。山ちゃんの、初めての教区御講。

明日は藤本御導師の御一周忌法要です。緊張からか、体調がおかしくなってしまいました(涙)。なんとか教区御講のご奉公に気張らせていただいて、大阪に向かいます。

2010年12月17日金曜日

空と横浜

今日は雲が綺麗な日です。空を見上げているだけで感動でした。

御講の帰り道、高速道路から夕方の横浜市街を見て、みんなで「綺麗だなぁ」と感激。三ツ沢の丘から見上げた空は、一段と綺麗でした。

今夜は「夜の住職御講」です。

2010年12月16日木曜日

今年最後の

今夜は、今年最後の長松寺のお総講です。

ギリギリまで会議に出席していたので急いでタクシーに乗りました。申し訳ないです。

2010年12月15日水曜日

年内の問題は

年内の問題は、とにかく、年内でよかった、と思うこと。改めれば、必ず良くなる。いい年が迎えられる。

間違いに気づけないこと、改められないことは不幸。来年も、いい年にならないから。

みんなでいい年を迎えましょう。

ありがとうございます。

姜ご住職からご連絡をいただきました。

鶴松寺の河理事長のご帰寂に当たり、思いつくままに弔意を文章にさせていただきました。申し訳ないことですが、その弔文を、姜御導師が御霊前で読み上げてくださったとのこと。本当に、ありがとうございました(涙)。

韓国での葬儀は日本とは多くの面で異なります。午前4時半から午後9時までかかる長いお見送りだったそうです。理事長は、国立墓地に埋葬されました。

これからが大変だと思いますが、応援したいと思います。

ありがとうございます。

何度でも聴聞してほしい

教区御講でお聞きした菩薩の声を、真っ正面から受け止めていただきたい。

こうした一人一人のご奉公を肝に据えているか。

御法門。涙が出ます。ぜひ。
http://hbs-seijun.blogspot.com/2010/12/blog-post_14.html

2010年12月14日火曜日

河(ハ)基鐘理事長の御帰寂

この度、本門佛立宗韓国教区 河基鐘理事長 御帰寂の報に接し、心から哀悼の意を表しますと共に、今日までのご奉公に心から御礼の言葉を申し上げたく存じます。

ハ理事長とのご奉公の思い出は忘れられません。国際会議に出席するため、京都にお越しいただいた時、奥さまと一緒に由緒寺院を巡り、ブラジルとのウェブ会議にも参加くださいました。

姜ご住職の随伴で横浜妙深寺にもお参詣くださり、交流会やご遺跡巡り、妙深寺の信徒宅へもお助行に廻ってくださいました。御講有巡教でも一緒にご奉公させていただきました。ご供養場では慌てながら、楽しくご奉公いたしました。本当に、一緒に、楽しく、ご奉公をさせていただきました。韓国教区百周年の記念ご奉公について、いつも抱負をお話くださいました。

妙深寺の睦子さんが姜御導師に嫁ぐことになり、送り出す不安もたくさんありましたが、ハ理事長をはじめとする韓国教区のご信者さんの顔を思い浮かべて、安心して送り出すことができました。そして、今年の三月の結婚式では、本当に優しく、温かく、睦子さんを迎えてくださり、「任せてください。大丈夫ですよ」と言ってくださったハ理事長のお言葉に、胸が熱くなり、涙が浮かびましたのを昨日のように覚えております。

一見怖そうな面持ちですが、冗談が大好きで、笑うと顔がチャーミングで、大好きでした。屈強な体格で、いつまでもお元気でいてくださると思っておりましたが、姜ご住職のご結婚を見届けられ、韓国教区百周年のご奉公の道筋をつけ、これをもって今生のご奉公の使命を見事に果たされ、寂光に帰られたのだと確信しております。

正直に申しまして、さみしいです。もう一度、お会いしたかった。百周年も一緒にご奉公させていただけると思っておりました。奥さまはじめ、ご家族も同じ思いだと思います。

姜御導師も、睦子さんも、他のご信者さんも、お気持ちは同じことと存じますが、偉大な柱を失った今こそ、この尊いご信心をさらに強く持ち、異体同心でご弘通ご奉公に歩み出す決意が大切だと存じます。それこそ、ハ理事長が望むこと、一番喜ばれます。

あの笑顔が、もう一度見られるように、百周年のご奉公も、一生懸命させていただきます。ハ理事長が、後顧の憂いなく寂光にお帰りいただけるように、今後とも微力ではありますが、本門佛立宗韓国教区のご弘通ご奉公の一助となるべく精進してまいります。

ハ理事長、本当に、ありがとうございました。

南無妙法蓮華経、

合掌、

本門佛立宗 妙深寺
長松清潤、
並びに、教講一同 拝、

本当の菩薩の声

 先日の教区御講でご披露してくれた千春ちゃんのお話を含めた、正教師の御法門です。

妙深寺のご信者の皆さまにご披露させていただきたいと思います。本当に有難く聴聞させていただきました。



2010年12月13日月曜日

石川さん

今日、10時から高祖総講を奉修させていただきました。

御法門で、先日お亡くなりになられた石川さんのお話をさせていただきました。本当に、さみしいです。お助行に、連れて歩いていただきました。

帰寂された石川さんのお顔は、穏やかで、真っ白く透き通っていました。本当に、素敵でした(涙)。

枕元に、二人で撮った写真を入れました。本当に、ありがとうございました。

さみしいお別れが続きます。みんな、いつまでも元気でいて欲しい。

これから旭教区の御講です。

ブログも良し悪し

あたたかい、素晴らしい御講が続きました。本当に、ありがとうございます。

今月から妙深寺で修行をはじめた加藤くんが、御講で涙を流しながらご披露してくださるご信者さんの姿を見て驚き、感激していたと聞きました。有難いことです。妙深寺の御講では普通に見られる光景で、昨日も、笑いあり、涙ありの、感動の御講が続きました。

一昨日は千春ちゃん、昨日は小菅ちゃんの涙にもらい泣き、そして、小学校一年生のサキちゃんのお話と本人の涙には、もう大感動でした。また、ゆっくりご披露します。

とにかく、有難い。あたたかい。

清朋にも、「お帰りなさい」「あらー、お帰りなさい」と、次から次へ温かい声をかけていただき、本当に、有難いです。妙深寺の宝物は、このあたたかさ、です。皆さんのおもいやりです。ありがとうございます。

ブログも良し悪しです。なんか、読んでいるだけで安心したり、それだけで満足したりしてしまう。本当は、実際に動き出し、菩薩の誓いの輪に入り、自分が頑張ってご信心やご奉公するためのものなのに、それとは逆の使われ方や利用の仕方がありますから。

そこに行かないと聴けない。そこに行かないと見れない。それも大事。ブログを読んで、お参詣しなかったり、ご奉公できなかったりするとしたら、罪障を積ませてしまってることになります。これは申し訳ない。

ブログなどの読者には、慢心の罠があって、ひどくなると勝手に親友気分になったり、乱暴になったり、突然上から目線になったりすることがあります。ただの盗撮や盗み聞きや盗み見の好きな人と変わらなくなってしまったり。これは不本意な使われ方ですね。もちろん、全ての物事はプラスとマイナスがあり、使い方次第です。

是非、傍観してるのでも、遠くから眺めて安心したりするのでもなく、自分が動いて、輪に入って、お参詣して、ご奉公させていただいて。それが出来ない理由に、ブログがあるとしたら、本当に悲しいから。盗み見て、遠巻きに見ていて、安心するためのものではないから。命を、しっかり使わなければなりません。

とにかく、毎日が、有難い。今年中に、洗いざらい、心の大掃除をしたら、気持ちよく新年を迎えられるはずです。頑張りましょう。

2010年12月12日日曜日

感謝、感謝

御講の帰りに見た夕焼け。素晴らしかったです。

妙深寺に戻ると、弘通部門や総務部門、青年会の皆さんが会議やご奉公をされていて、本当に有難く、ただただ、感謝、感謝でした。

ありがとうございます。

パネル

先生の、初めての教区御講でした。41名のお参詣で、とにかく有難い御講でした。

海外のご奉公の写真、先生が研究のためにブラジルに数ヶ月滞在していた時、コレイア御導師と一緒にご奉公されていた写真などをパネルに張り出してくれていました。

ありがたい。

これ後、12時から三ツ沢教区、14時から保土ヶ谷教区の御講です。

2010年12月11日土曜日

一生の思い出

今日も、一生の思い出にするつもりでご奉公させていただいて、よかったです。

明日も御講が、三席。朝は家族でお参詣する日。お参詣の功徳、お看経の功徳、積み重ねてください。

それにしても、空も街も、全部美しく見えます。

菩薩の声

師走の横浜。土曜日なのに車が多いです。次の御席に移動しています。

今、千春ちゃんから素晴らしいお話を聞き、その余韻が心に温かく残っています。また、寺報や役中テキストでご披露したいと思います。

30代の班長さんの、本当に素晴らしい、脚色のない、等身大の、素直正直なご奉公。菩薩行の実際、菩薩の声です(涙)。

御法さまに頼ってばかりの人と、御法さまに少しでもご恩をお返ししようとご奉公されている方とは、決定的な違いがあります。

千春ちゃん、本当に、ありがとうございます。

今日という一日

冷たい朝の凛とした空気が気持ちいいです。

今日は、10時から新横浜教区、12時から臨港教区、14時から臨海教区の教区御講です。夕方には口唱体験会があり、19時からボーズバーです。

2010年12月10日金曜日

富士山のある国

富士山のある日本は、やはり特別だと思う。

ありがとうございます、富士山、日本。

本当に、美しい。

今日から本年最後の教区御講です。12時から青葉教区、14時から緑教区です。

出船入船

出船入船。横浜では「でふねいりふね」と読みます。その日その日、横浜の港に入る客船や出てゆく船のことが毎日新聞の片隅に載っています。横浜は港町です。出船入船。

2010年12月9日木曜日

種まき

すべて、予定されていたご奉公が終わりました。

達成感はありませんが、そもそもご奉公は積み重ねであり種まきなのですから、いい。必ず実る日が来ます。

ありがとうございました。

録音

今日は午後から録音係のご奉公。放送室にヒーターがあって有難いです。寒いですから。

困難と、罪障消滅の覚悟

此等の重罪はたせるもあり、いまだはたさゞるもあるらん。果たすも余残いまだつきず。生死を離るゝ時は、必ず此の重罪をけしはてゝ出離すべし。功徳は浅軽なり。此等の罪は深重なり。

(中略)

此の大難の来たるは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし。

(中略)

我並びに我が弟子、諸難ありとも疑ふ心なくば、自然に仏界にいたるべし。天の加護なき事を疑はざれ。現世の安穏ならざる事をなげかざれ。我が弟子に朝夕教へしかども、疑ひををこして皆すてけん。つたなき者のならひは、約束せし事を、まことの時はわするゝなるべし。妻子を不便とをもうゆへ、現身にわかれん事をなげくらん。多生曠劫にしたしみし妻子には、心とはなれしか。仏道のためにはなれしか、いつも同じわかれなるべし。我法華経の信心をやぶらずして、霊山にまいりて返ってみちびけかし。

(中略)

日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかしからず。後生には大楽をうくべければ大いに悦ばし。

2010年12月8日水曜日

専門家の意見

専門家の意見が、かえって正確な判断を鈍らせていることはないでしょうか。現在、専門家の意見ほど当てにならないものはありません。

権威や知識が先入観となり、あなたの優れた感性や敏感な感覚を失わせているとしたら不幸です。そうした人はいつも間違った判断をしているか、あるいはずっと判断出来ずにいます。

もっと自分を磨き、自分の感覚で判断し、自分の言葉で語らなければなりません。そう思います。

嘆きの壁

ちょうど7年前の初冬、一人イスラエルにいました。嘆きの壁に肉薄し、この写真も撮りました。

宗教を外して人間界を語ることは出来ません。語れると思うのは幻想に過ぎません。だからこそ、宗教がもたらす平和と災禍について考えなければならないと思っていました。

彼らが真摯に祈る姿を見ながら、信仰がもたらす安穏と狂気について考えていたのです。

2010年12月7日火曜日

情実

情実を恐れなさい。それが間違いの因です。情に深いことと情実に溺れることは違う。前者はご弘通に不可欠であり後者はご弘通を決定的に駄目にする。

清翔

ブラジルで、清翔は頑張っているようです。今朝、ブラジルとのウェブ会議で久しぶりに彼の顔を見ました。

コレイア師から清翔のご奉公が無事に出来ていると聞いて一安心。一日も休むことなくご奉公できているということです。すごいハードスケジュールなので心配していましたが、体調も崩さずご奉公できているのは素晴らしいことです。本当によかった。みんなに、可愛がっていただいているようです。

久しぶりで、マイクを向けても緊張して言葉が詰まっていましたが、元気そうでした。帰ってくるのが楽しみです。成長しているでしょう。

会いたくなりました。待っています。

粉雪

いま、母は雪の中。深々と、粉雪が降っているそうです。

清従師と清顕師も、山の上まで来年度のご奉公の視察とお助行に行ってくれています。

そこは、もう、雪国ですね。

2010年12月5日日曜日

男助行

すごい「男助行」の提唱。なんか「男塾」みたい。硬派で、一途で、格好いいです。黒崎さん、有難いです。

「立ち上がれ男子信徒」とは、熱い!

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...