2012年11月30日金曜日

PROSOUND

今日で11月も終わり、明日から12月です。早いものですー。まだ12月の確定しない日程もありますが、時間は待ってくれるばずもなく、冷酷に過ぎてゆきます(汗)。

『PROSOUND』という音響の専門誌に、京都佛立ミュージアムでご奉公いただいている青地先生がミュージアムについて寄稿してくださいました。青地先生はその道を究めた先生。そんな方からのご紹介ですから大変有難いです。

それにしても、素人の私には全く分からないほど専門的な内容の雑誌でした。まさに、プロの世界です。

ありがとうございます。

2012年11月28日水曜日

第201回 臨時宗会

第201回 臨時宗会が終了しました。今期から宗会議員としてのご奉公です。

世界を覆う暗雲や右肩下がりの日本経済、内外に顕在化する問題を見ながら、宗門や私たちの果たすべき使命を思う時、痛々しいほどの責任を感じます。

2012年11月27日火曜日

「坂本龍馬と仏教展〜龍馬が目指した本当の維新〜」

「坂本龍馬と仏教展〜龍馬が目指した本当の維新〜」と題した企画展を、来年1月6日から京都佛立ミュージアムで開催する予定です。幅広く、特に一般の方々に、お越しいただきたいと願っています。

http://goo.gl/5tFvc

シェイクスピアはあまり好きではないけれど、『ヴェニスの商人』のこの言葉は折に触れて思い出します。

"The devil can cite Scripture for his purpose."

「悪魔も自らの目的のために聖書を引く」

「全ての悪弊は善意より始まる」という至言にも通じます。耳触りのいい言葉は善人のものではないのかも知れません。

2012年11月26日月曜日

いわれとしるし

全国的な雨模様。昨日は澄み切った青空だったのに。本当に、ありがたいです。

土曜日の得度式から病院に行きました!レントゲンと血液検査。肺炎だったとのこと(涙)。もう回復してきているので大丈夫なのですが、もう若くないので気をつけます。

喘息の吸引機や胸パッチを処方されたので、長野出発は日曜日の朝にしました。長野新幹線の窓から富士山が見えたかと思ったのですが、浅間山ですー(汗)。

妙深寺の長野親会場は、この初夏に別院として承認されて「妙深寺長野別院」となりました。別院になってから、初めての三祖会です。

御教歌
「何事も いはれをしらぬ人の世は
いのるしるしを見ずば信ぜず」

「いわれ」とは、「理由、わけ、根拠、道理、由来。歴史、経緯、過去、素性」という意味。法華経の何たるか、御題目の何たるか、そのいわれを知る人は少ないもの。

それだけではなく、「何事も」とお示しですから、どんなことでも、どんな分野でも、「いわれ」を知らない、知ろうともしない人ばかりの世の中だということです。経緯も知らない。歴史を知らない。内容も分からない。うわさ話に終始しているのは、末法の世の愚かさです。

「大同団結」とか「小異を捨てて大同につく」などという言葉が一人歩きしています。とっても大切な言葉です。「異体同心なれば万事を成ず」「人数の多少に寄らず異体同心はご弘通の基本なり」とも教えていただきます。

でも、「いわれ」を「どうでもいい」と切り捨てていいとは言わない。「いわれ」を捨てることはアイデンティティを捨てることにもなります。

ですから、この御教歌。「いわれ」を大切にした上で、それを伝えたところで何ともならない人が多い、大切に考えない人も多い。だから、「いわれ」を大切にし、それを乗り越えて、現前に顕れる御利益、実践をもって、伝えよ、証明せよ、とお示しなのです。

いま、ここにいること、こうしていることには、深い深い「いわれ」があります。それを知る人は少なく、知ろうとする人もいません。でも、私たちは、それを大切に思い返し、それを乗り越えて、ご奉公させていただくことが大事なのです。

「いわれ」よりも、もっと大切なものが「しるし」です。「いわれ」と「しるし」。どちらも大切だけど。

2012年11月24日土曜日

現慈師の誕生!

やはり、得度式は素晴らしい!そして、浜田くんは間違いなく素晴らしい佛立教務になります。参列する自分自身の信心改良の場です。初心に立ち返ります。本当に、有難かったですー。

朝の雨は打ち水のようなもので、鈴江日原上人がご剃髪のお剃刀を入れる頃には雲一つない青空となっていました。浜田くんは、師僧の鈴江昭薫ご住職から「現慈」と僧名をいただかれました。浜田現慈師。本当に逸材です。彼のような教務が誕生したことは、神奈川布教区全寺院にとってこの上なく喜ばしいことです。

妙現寺は薫化会がとっても充実しているし、教養会の結束が家族のように強いお寺。現慈師もそうした温かい輪の中で、ご信心の強いご両親に連れられてお参詣やご奉公をされてきました。

6年前のグランデ・ファミリアの時、何と現慈師はまだ中学生。なんかビックリです。青年会の方々に誘われてお寺や御講に行くことはあっても、自分で自覚したご信心ではなかったそうです。

でも、お寺の青年会が会員の減少で活動できなくなっていた18才の夏、渋谷の乗泉寺で第2回 青少年の一座に参加し、何かが目覚めたと言っていました。それまでの地道な妙現寺の教養会活動の結実です。

現慈師は自分が青年会長のご奉公をさせていただくので、青年会を再発足させていただきたいと鈴江ご住職にお願いしました。鈴江ご住職は青年会のみんなが自分からそう言ってくれる時を待っていたそうです。そして、18才の秋、妙現寺青年会は再発足式を開催しました。

その後、本山奉仕・青年会の部に参加してさらに感激し、妙現寺でのご奉公と布教区や全国の青年会のみんなと交流する中で、得度の決意を固めたとのことでした。

得度式に駆けつけてくれたお友だちが言っていました。現慈師は学校でも成績優秀、研究発表も上手で、研究室でも先生に頼りにされる学生でした。それが次の人生を選ぶに当たって、突如として「出家得度する」となったのです。

お教務さんの家庭に生まれたわけでもない現慈師の得度の決意は大変なものです。ご信心の強いご両親でしたが、やはり得度すると聞いた時には大反対したとのこと。当然です。でも、本人の強い強い決意を聞いて、ご信心で受け止めて、御法さまや御導師、ご住職にお預けしようと思われたとのこと。今日のお母さまの涙は、忘れられません。

鈴江ご住職は、妙現寺をほぼ一人で切り盛りして、周りから見ていても身命を削るような数年間でした。妙現寺を支えるお教務さんが待望されていましたが、御講師は一日では出来ませんね。耐えに耐えて、本当に、今日は、どこにもいないくらい、素直で、正直で、情熱的で、強い慈悲心があり、まさに佛立らしい佛立の教務さんが誕生しました。

青年会も、いま大学受験の真っ最中だという青年が次の会長を引き受けると言ってくれていましたし、ノブアリ君が「副会長として頑張ります!」とも宣言。ご弘通は積み重ねですね。いま、長い種まきのご奉公が芽を吹こうとしているのを実感します。

今年の夏に行われた見習教務養成所で出会った仲間からもお祝いのメールなどをいただいて、とても嬉しいと言っていました。ありがたいですね。本当に、これからのご奉公に期待します。

得度親のご奉公を仰せつかりましたので、まだ何も出来ませんが、じっくり一緒にご奉公させていただきたおと思います。佛立教務の肝っ玉を伝えていきたいです。

まだまだ、書きたいことはありますが、この辺にしておきます。妙現寺の皆さま、本当に、おめでとうございますっ!そして、本日のご奉公、ありがとうございます。

2012年11月23日金曜日

To be, or not to be

ブリキのおもちゃみたいに、動きはカクカクしてぎこちないのですが、昨日は午前から千葉教区の教区御講、今日は朝からご回向、午後からは神奈川布教区の壮年会研修御講で講演と、何とかゼンマイを巻きながら、ご奉公することができました。よかったー(涙)。今回だけは本当にまいりました。

日曜日からずっとパソコンを開けずにいましたが、夕方ようやく手にしました。メールやメッセージの返信、遅くなって申し訳ないです。

明日は相模原・妙現寺で待ちに待った浜田くんの得度式、新たな佛立教務の誕生です。浜田くん、間違いなく素晴らしい御講師になります。得度親のご奉公を仰せつかりましたので、精一杯させていただきます。

日曜日の光薫寺の高祖会・大人の寺子屋。大本堂から溢れた大勢の参加で、本当に有難かったです。前夜、ご供養を頂戴して19時半には部屋に戻り、講演内容を精査しました。ご信者さんでない方が大勢来られるとお聞きして、3時半まで手直しをしたり。

翌日、あらためて光薫寺のご宝前でお看経させていただいた時、本当に心が透き通り、気持ちを軽くしていただきました。おはからいです。とにかく、精一杯ご奉公させていただいて、感謝、感謝の一日でした。ありがとうございます。

明日、相模原から戻ると長野へ向かいます。日曜日は妙深寺長野別院の三祖会です。

2012年11月20日火曜日

頓服

博多での素晴らしい一日で燃え尽きてしまったようです(涙)。

39度を超える熱にうなされていました。昨夕、やっと病院に駆け込みました。メールの返信など、出来なくてすいません。頓服を飲んでも本当に苦しかったです(涙)。

今日は神奈川県下の住職会ですので、休めません。ガクガクしながら小田原の法正寺に向かっています。

光薫寺でのご奉公については、また書かせていただきます。小林御導師をはじめ、光薫寺の御講師方、お参詣、ご奉公いただいた全ての皆さまに感謝しております。

ありがとうございます。

2012年11月17日土曜日

明日は博多光薫寺の御会式です。

明日、博多 光薫寺の高祖日蓮大菩薩御会式を奉修させていただきます。綺麗なパンフレットが作られていて、いつもながら勉強になります。

御会式に併せて「おとなの寺子屋」を開催し、テーマを仏教的 生き方・死に方入門 〜ここに仏教があります〜」といただきました。いつもお話していることと変わらないかもしれませんが、不透明な時代に生きる私たちにとって、仏教こそが希望になるということを、お伝えしたいと思います。

精一杯、頑張ります。ありがとうございます。

羽田空港にたどり着きました(汗)

羽田空港にたどり着きました(汗)。昨日のアクシデントには参りました。会議に遅れてしまいましたが、何とか出席できて良かったです。竹村ご住職が横浜まで送ってくださいました。ありがとうございます。

朝から強い雨が降っていました。明日は晴れるようで、ありがたいです。

これから福岡に向かいます。

2012年11月16日金曜日

今夜の長松寺のお総講は淳慧師に奉修いただきます。

午前中、神戸・正法寺から、福岡御導師をはじめ、婦人会の有志のみなさまが長松寺にお参詣くださいました。数ヶ月前からお話をいただき、お看経とお話、ご遺品のご案内などをさせていただきました。長松寺は初めてという方がほとんどで、開導聖人が意匠された御戒壇をご覧いただき、本当によかったです。

婦人会の方々は、どのお寺でもご信心の篤い方が多くおあれますから、こちらも勉強になります。今日は潮さんのお話をお聞きして、感動しました。ありがとうございます。

今夜、大変申し訳ないことですが、長松寺のお総講を淳慧師に奉修いただくようにお願いしました。17時から渋谷の大本寺乗泉寺に於いて重要な会議が行われることになり、これから始まるご奉公の責任の重さを考えて、出席させていただくことにしました。いま、新幹線に飛び乗りましたが、少し遅れてしまいそうです。どのご奉公も中途半端になってしまって、申し訳なく、情けないことです。

明日は飛行機で博多に向かいます。明後日は大切な大切な光薫寺の御会式のご奉公。しっかりせねばなりません。スケジュールに追われてイライラしている場合ではないです。

とにかく、今夜の長松寺のお総講、大変申し訳ありませんが、よろしくお願いいたします。

正法寺のみなさまと一緒に撮った記念写真。淳慧師、ボケボケでしたよー(怒)。もー、機械に弱いんだから(笑)。

2012年11月15日木曜日

ピンク色の空

会議は続くよどこまでも。佛立研究所の会議から京都佛立ミュージアムの会議。

来年早々に開催する予定の「坂本龍馬と仏教展 〜龍馬が目指した本当の維新〜」についての打ち合わせ。6時間。終わりません。

でも、窓からピンク色の空が見えました。すごく綺麗で幻想的な。

坂本龍馬の命日に

今日は、坂本龍馬の誕生日であり、祥月命日でもあります。

 今から145年前の11月15日、龍馬は中岡慎太郎、藤吉と共に暗殺されてしまいました。龍馬の存在意義については、『仏教徒 坂本龍馬』に書かせていただいたとおりです。その後の日本国に必要不可欠で、何人にも代え難い偉大な人物でした。この人を失ってしまったことは痛恨の極みであり、この国の不幸であったとすら思えます。

 私は「まえがき」で次のように書きました。

「私は、彼らの思想を絶賛した一人の僧侶がいた史実を辿り、今までになかった視点から坂本龍馬や海援隊の思想の核心を紹介したい。そして、私たちの想像を遙かに超えて彼らが偉大だったことを伝えたい。これを知ることによって彼らが命を懸け、まさにそれを捨ててまで実現したかった国の在り方、人の生き方が見えてくるはずだ。
 海援隊の『閑愁録』に曰く。
「仏法ハ天竺ノ仏法トノミ言ヘカラズ、乃(すなわち)皇国ノ仏法ナリ」
「仏日ノ滅没ハ皇道ノ衰運ニ係(かか)ル」
 海援隊が目指した明治維新は、単なる「王政復古」ではなく「仏教ルネサンス」であった。坂本龍馬らは、神道でもキリスト教でもなく、仏法による国家の繁栄や人々の幸福を目指していた。仏法や仏教の退廃は国家の退廃に直結すると警鐘を鳴らしていた。
しかし、この思想は幕末の志士の中では特異なものであり孤高のものであった。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通という「維新の三傑」とは大きく異なっていた。
龍馬らは日本の再生に向けて着実な歩みを進めたが、遂に京都・近江屋の階上に於いてその思想の最大の理解者であった龍馬自身が命を終えて彼岸に帰ってしまった。そして、彼らの思想も幕末の喧噪に打ち消されてしまった。当時、多くの者は彼らのメッセージを受け取れなかった。新しい日本国を作ることになった者たちも受け取らなかった。むしろ積極的に否定し、拒絶した。そして、明治新政府は暴走し苦悩することとなる。神仏分離、廃仏毀釈、神道国教化、国家神道への道がそれである。―――――――」

 拙著の第一章第一項は「坂本龍馬の夢のあと」と題しています。冒頭の文章も龍馬の暗殺に触れています。

「維新回天の業が行われた時、坂本龍馬が逝ったことを何人の日本人が知っていただろう。慶応三年(一八六七)の末、王政復古の大号令が発せられる直前のことである。
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された直後、彼らについて語る者は、ほんの数人しかいなかった。時代を動かした彼らの名前は要人の日記に散在していたものの、それが収集されるには十数年の歳月を待たなければならなかった。
天から舞い降り、地から涌出するかのように現れる偉大な人物は、死して後に輝きを増すものだ。明治維新が理想を見失い混濁する中、ようやく龍馬は息を吹き返した。「維新の三傑」と呼ばれた西郷も木戸も大久保も、世を去った後のことだった。
土佐閥の復権、自由民権運動の推進、国威宣揚のためなどと、龍馬を蘇らせた意図は様々に語られている。しかし、その足跡や言動は蒐集され、公開されるようになった。坂本龍馬像は、青春の群像や人間の可能性を託して巨大になり、実像と虚像が交錯しながら日本人の心の中に広がっていった。」

 今日、いろいろな場所で龍馬の死を悼む催しが行われたり、龍馬を慕う方々が彼を思い返すでしょう。でも、ここに書いたとおり、明治維新から数年間、坂本龍馬を知る者は少なく、その名前はずっと埋もれていたのです。王政復古の大号令が発せられる直前。145年前、お龍をはじめ龍馬を愛する者の慟哭は、都の空に虚しく響いていました。

 新しい視点から坂本龍馬を理解するために、ぜひ『仏教徒 坂本龍馬』を手にしていただきたいと思います。龍馬の命日だからこそ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4062178516

 Facebookで呼びかけてくださっていますが、amazonで発注いただければ幸いです。みなさんのお陰で、明治維新部門で2位、日本史一般で5位、ノンフィクション部門で47位にまでなっています(涙)。本当に、ありがとうございます。

 あらためて、今日は坂本龍馬の命日。どうか、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。

2012年11月14日水曜日

16日に解散とか。


やっぱり、解散だ。

 第三極封じと、野党転落は織り込み済みで、被害を最小限、効果を最大限に狙い、ここが潮時、タイミングを見たんですね。

 露骨な捨て身作戦ですが、確かに現在の民主党執行部には今しかなかったでしょう。これでほぼ解党。現民主党執行部は自らが第三極となる戦略ですね。情けない気持ちになります。

 それでも解散して選挙ですね。昨日書いたように(http://goo.gl/RNZTR)、国民がその資質を問われるのです。

さて、どうなるでしょうか。

ハムナプトラ

会議が終わりました。途中、突然の大雨。窓の外を見ると空が怖い顔をしていました。邪気って、こういう感じかな。

地震をはじめ、こんな空を見ると天災に気をつけなければならないと思います。

天災は忘れた頃にやってくる。いや、人災ならそうではないですね。

あっこちゃんに見せたら、「ハムナプトラや」って言ってました。ほんま、人の顔にも見えます(涙)。下界に向かって口を開けて、なんか吠えてるような。こわいー。

「坂本龍馬と仏教展〜龍馬が目指した本当の明治維新〜」

 拙著『仏教徒 坂本龍馬』は、龍馬存命中に海援隊が発行した『閑愁録』の要旨から坂本龍馬の思想の核心に迫ったものです。

 『閑愁録』は長岡謙吉が執筆したものです。しかし、執筆したことだけを重視するのであれば「船中八策」も長岡の書いたものです。その経緯、背景を、しっかり解かなければ、坂本龍馬の思想の核心や、彼が率いた海援隊の存在意義は正確に理解できないはずです。

 幕末に活躍した人物の中で、長岡ほど不幸な人はいません。岩崎弥太郎によって不当に逮捕され、その後はキリスト教に親炙したという誤った紹介をされてきました。NHKの龍馬伝ではキャスティングすらされませんでした。

 今日から明日にかけて、小林信翠師が『仏教徒 坂本龍馬』の応援を呼びかけてくれました。明日は、坂本龍馬の誕生日であり、命日でもあります。少しでも、彼の真意を彼を慕う人々に伝えたいです。そして、坂本龍馬を知らない人にも、日本国の本当の誇りについてお伝えしたいと思います。

 来年、京都佛立ミュージアムで『坂本龍馬と仏教展 〜龍馬が目指した本当の明治維新〜(仮題)』という展示会を開催する予定です。シナリオライターの美香さんが、そのイントロダクションを書いてくださいました。素晴らしい文章です。ご本人の許可を得ましたので、ここに紹介させていただきます。

「坂本龍馬—————。

 時代を駆け抜けた男。希代の風雲児。新しい日本を切り開いた維新の立役者。幕末最大のヒーロー。誰もが知っている、歴史上最も有名な人物。

 彼を形容する言葉はたくさんあり、今や、彼を題材とする書籍は数限りなく存在します。そして、ありとあらゆる類の逸話、寓話が語られています。代表的なものを挙げてみましょう。

 まずは軍神説。自由主義者。北辰一刀流免許皆伝者。姉/乙女宛の書簡に見る豊かな人間性。背中にタテガミがあった。日本で初のカンパニー設立。なぜか女性にもてた。日本初の新婚旅行をした。驚異的な人脈ネットワーク。フリーメイソンのメンバー説。単なるメッセンジャーボーイ説。そして誰に暗殺されたのか等々。挙げればキリがありません。

 事実と嘘が混同されたまま、今もってなお、龍馬のイメージはふくれる一方であり、後に創り上げられた龍馬像が、ひとり歩きするほどになっています。ひとつ確かなことは、現在定説とされる龍馬の人物像は、明治の世に都合良くアジャストされたものであり、実際の坂本龍馬という人間が、真実どんな思想を持っていたのかということは、恐らく、未だ解き明かされていないということです。

 幕末という、ほんの数十年の間に、日本の歴史は大きな転換を遂げました。その短い期間の中で、さらに、龍馬が活躍したのは、たった数年のことです。しかし、その数年間に起こった出来事が、後の日本に多大なる影響を与えました。そして、その間の出来事の多くは、龍馬を中心に動いていたのです。

 なぜ、たったひとりの男に、一国を動かすことができたのでしょうか。

 なぜ彼は、これほどの光を放ち、二十一世紀に生きる私たちをこんなにも魅了するのでしょうか。

 その謎に迫るために私たちに与えられたものは、彼に関する文献のみです。それらをひも解く以外に、彼を知る術はありません。ただし、これまで意図的に語られたもの、語られなかったものを、当時の環境や状況をふまえた上で、正確に見極めてゆくことができれば、今まで誰にも見えなかった、実物の坂本龍馬が姿を現すかも知れません。

 ほんとうの坂本龍馬が、何を見つめ、考え、どのような希望を持ち、どんな恐れを抱いていたのか。龍馬が描いた日本の未来図とは、いったいどんなものだったのか。

 彼の残したもののどこかに、必ず答えはあるはずです。

 さあ、探しに行きましょう。」

保留

13日の夕方、玉川 信行寺をお借りして神奈川布教区の参与会を開催させていただきました。珍しく電車で伺いました。最寄りの駅は南武線の向河原駅で、改札口から信行寺は歩いて2分くらいです。

さらに、この駅から歩いて10分もかからない、ほんの数百メートル離れた一駅先が発展著しい武蔵小杉駅です。東横線、南武線、湘南新宿ラインを含む横須賀線が乗り入れています。つくづく最高の立地だと感じました。それこそ通勤の行き帰りに「駅前参詣」させていただけます。

会議では来年度の弘通方針をはじめ、大変重要な事項について検討させていただきました。来週中にまとめていただきます。神奈川布教区らしいご奉公ができればと思っています。

一旦横浜に戻り、明日の朝から京都に帰ります。佛立研究所、京都佛立ミュージアムの会議です。10月以降、宗務総長をはじめ本庁の人事が新たに編成されました。6年間ご奉公させていただいた弘通局、特に海外部も刷新されたわけですが、これまでの6年間とは全く違う方向に向けてご奉公を進めてゆかれるようで、困惑しています。

12月に定期のスリランカへの出張ご奉公の申請をさせていただきましたが「保留」とのことでした。スリランカやシンガポールへのスケジュールの連絡も出来ず、チケットもオーダーできないので困りました。しかも、本庁の職員さんから「保留」というメールが来ただけで、弘通局からは何の説明もないのでさらに困惑します。

新しい海外部長は前海外部長との引き継ぎの際に「海外のことは全く分からない」と言っていましたが、そうではないようです。周りの方の思惑もあるらしいとお聞きしますが、説明はない。

福岡御導師からお電話をいただき、いろいろとお聞きしましたが、全くどうなってゆくのか分からず、困ったものです。年度内に、こうなるか。ここに書いても仕方ありませんが、全てが情けない。そんなことを続けていると、また停滞します。というか、すでに「保留」です(汗)。

京都に帰りたくない気持ち。面と向かってスッキリ話をしてくれればいいのですが、残念ながらそういう人は少ないんですよね。個人的なイジメや嫌がらせには慣れているんですが、海外で待ってくださっている方々を思うと本当に残念に思う。

2012年11月12日月曜日

『平家物語』や『藩論』

土曜日に妙深寺まで来てくださった水戸先生が、ブログで重ねて本について紹介してくださいました。今日気づきました。ありがとうございます。http://goo.gl/7UlGa

報道を見る限り、政治がいよいよ逼迫してきたようです。そろそろ解散ということになるのでしょうか。

「近いうちに○○するから」という約束。恋愛ドラマのようですね。本当に、日本の政治や行政の底が知れます。与野党の攻防、第三極の動き、どうなるか分かりません。それでもいよいよ選挙です。国民が審判を下すでしょう。あまりにも欺瞞ばかりが目につきました。どう取り繕っても限界でしょう。

国家の存亡に直結するようなタイミングです。こうした事態に当たっては、国民も覚悟しなければなりませんし、学ばなければなりません。「知らなかった。」「あの時は、そう思っていたんだもの」と後悔しても始まりません。とっくの昔から、迂闊に、油断し、平和ボケしている場合ではなかったのですから。過去の貯金を使い果たし、借金までして平和と繁栄を享受してきたのですから、「平家物語」を読み返すより為すべきことや学ぶべきことは明らかなはずです。

「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。」

日本と日本国民は、極めて優秀な資質を持っているはずです。柱を立て、目を開けば、大変なポテンシャルがあります。

お祖師さまは、「我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ」と仰せになりました。逆を返せば、お祖師さまからすると、多くの人が心に柱を持たず、フラフラしている、あるいは、目を開き、物事を見ているようで見えていない、目が閉じたまま、ということです。いまの社会状況、今の私たちは、どうか、ということです。

海援隊の政見を表したものとされる書物『藩論』には、次のような記述があります。『仏教徒 坂本龍馬』にも載せましたが、現代語訳を紹介します。

「概して、有能な人物を選ぶ普通選挙は、西洋の文明諸国では古くから広く普及しており、子どもでも知っている。しかし、我国の諸藩ではまだこのような制度が存在していることを聞かない。故に、その制度が優れた政策であるとしても、藩内に於いては常に愚かな人々がおり、またその制度が真に進歩的な制度であるとしても藩にはその逆の者が少なくない。従って、智者の政策を多数の愚かな人々の決定に委ねたり、賢明な藩主が法案を愚鈍な家臣にはかったりするのは、まるで盲人に黒か白かを尋ねたり、耳の悪い人に音の清濁の判を求めたりするのと同じである。大多数の一般大衆は普通選挙の意味を理解していない。たまたま藩主から選挙によって人物を選出せよと命じられても、能力を問うことも政策の有無を論じることもない。ただ個人的な好き嫌いによってこれを判断し、才能や智慧のある人を求めず、個人的な交際の範囲の情実に従って判断し、あるいは高い地位にいる権力者に遠慮してこれを選挙したり、逆に卑しい身分というだけでこれを嫌って選ばなかったりする。」(お身体の悪い方への配慮に欠けた表現があるのは申し訳ない。当時の原文に従っている。)

「諺にいう「親の心子知らず」とはこのことである。こうした実情から、ただ単純投票で最多数を獲得した人を当選者と推挙してもその人が最適任者とは限らない。これが再投票の規定を設けなければならない理由である。まさしく、最初に当選した不適当な人材の再選を避けるために、第一回の選挙で大多数の信任を得た人物たちを総藩の意志として再び選挙を行い、優秀な人材のみを選び出すという考え方による。」

さらに、次のように述べている。

「しかしながら、優れた能力を授けられた人の数は少なく、圧倒的多数の人々が浅学である。ゆえに、民衆は大部分が愚かで、彼らは目先の快楽を妨げるわずかな障害を忌み嫌う。彼らは朦朧としていて長期的な利益を識別することが出来ない。薬を飲むことは苦しく、潰瘍の手術には痛みが伴う。しかし、この苦痛を嫌って薬を飲まず、手術を拒んでいたなら、病は癒えず、身体が健康になることはない。政治とは同じことである。

いかなる功績によって、なまけ者が努力もせず高貴な地位につくのであろうか。また、いかなる罪によって、真面目に働き励む人間がその生涯を奴隷のような身分で終わるのだろう。父の罰がその子に及ばないのと同様に、父の褒賞もまたその子に及ばせてはならないのである。」

龍馬の薫陶を受けた海援隊隊士たちが明治元年に書いたとされる『藩論』。本当に、未来を見据え、人々を見据えていると思います。近代日本を切り拓いた、こうした「ニッポン人」の先輩方に恥じないような、思考、行動をしなければならないと思います。

2012年11月11日日曜日

「うれしさは御法の為にする苦労」

雨が降り続いています。後片付けのご奉公が終わるまで降らずに我慢してくれていたのですから、雨音にも感謝の気持ちが浮かびます。

2日間のお会式、無事にご奉公させていただくことが出来ました。ご奉公いただいた皆さまのお陰です。本当に、ありがとうございました。

6月10日以来、初めての大きな法要でした。何とかお参詣くださる方が増えればと念願していたのですが、力が及ばず目標には至らなかったようです。本当に、残念でした。

この3年間で、妙深寺には約120戸の新たな正宗徒が誕生しました。正宗徒とは、御本尊をご奉安されて3年以上の、毎月御講を立てられているご家庭のことで、文字通り本門佛立宗のご信心を正しく護持されている正式な信徒という意味です。御本尊のご奉安と御講の願主は、佛立の生命です。

正宗徒が増えることを目標にしてご奉公させていただいた3年間でしたが、圧倒的なスピードで高齢化は進み、「この方こそ妙深寺」という方をお見送りしなければならない機会も増えました。本当に、怖いくらいの勢いで世代交代を迫られています。この事実を真剣に受け止めなければ、世代交代は実現できません。受け継ぐ人がいなくなり、大切な教えはそこで絶えてしまいます。

もう何年も前から、一つの時代が終わりを告げ、新しい時代が始まっていました。もうアドバンテージは残されていない。そうした覚悟で、一からご奉公させていただかなければならないと感じてきました。この数年間、もし正宗徒の増加を期したご奉公をしていなければ、どうなっていたかを考えると怖くなります。

6月10日の大きなご奉公は、圧倒的な勢いで迫ってくる世代断絶の壁を乗り越えるためのご奉公でした。ここで、力強く訴え、伝えなければ、もはや間に合わなくなると思っていました。そして、あの日、皆さまの異体同心のご奉公によって、素晴らしい大会を開催することが出来ました。

いま、私たちは大きな壁の前に立っています。しかし、次から次へと新たな菩薩が登場して、その高い壁の向こう側が見えてきました。法鼓隊の子どもたち、ご宝前係の青年たち、ガールスカウトやボーイスカウト、遠い駐車場でご奉公くださっている壮年会の皆さま、婦人会の皆さま、お参詣受付からご案内係、挙げれば切りがないほど様々な場所で、たくさんの方々がご奉公くださいました。本当に、ありがとうございます。

こうして本年を締めくくり、明日に向かって改良のご奉公を進めます。来年は門祖日隆聖人550回御遠諱のご正当年、妙深寺創立70周年。先住のお怪我・佛立魂20周年。さらに、まさに今日お祖師さまの小松原のご法難から749年目だったのですが、来年は「小松原法難750年」。本当に、記念すべき年ですが、内容を見ると分かるとおり、ご信心の試される、覚悟を迫られる年になりそうな予感がします。「難は菩薩の積功累徳」「うれしさは御法の為にする苦労」

来年、妙深寺では一つ一つのご奉公を丁寧に、果敢に見直します。そして、一人一人のご信心を強く、深くしていただきながら改良を重ね、「教区力・受持力のアップ」を合い言葉にして頑張ります。

お会式の夜、ご奉公をいただいた皆さまに感謝しつつ、いろいろなことが頭の中を巡ります。東日本大震災から1年8ヶ月。本当に、ありがとうございます。

お会式の中継です。

妙深寺のお会式の中継です。

@seijunnagamatsu: 妙深寺チャンネル のライブを #Ustream で見ませんか http://t.co/KxLuYS6k

2012年11月10日土曜日

出版記念の会

第一座に引き続き、『仏教徒 坂本龍馬』の出版記念会を開催していただきました。

この会の開催に当たり、幕末史研究会の会長、全国龍馬社中の副会長・小美濃先生が駆けつけてくださり、ご挨拶くださいました。大変光栄でした。温かい、素晴らしいお話をいただきました。

また、一昨日の教区御講中、参議院議員の水戸先生から「土曜日の午前中に時間はないか?久しぶりに会いませんか?」というメッセージをいただきました。水戸先生はブログの中で私の本を取り上げて紹介してくださった方です。折り返しお電話をして、土曜日の出版記念会にお越しいただくことになりました。

水戸先生は県議会議員の時からに気さくに交流させていただいてきました。あれからすぐに参議院議員、野党から与党、そして今は日本維新の会。一つの政党に偏りたくありませんが、水戸先生の生き方は信頼できますし、これからもご活躍いただきたいと思っています。

小美濃先生に引き続いて、水戸先生からも本の感想などをお話いただきました。維新の会の代表をはじめ、関係する方々にこの本を読んでいただく、とのこと。本当に、有難いです。

小美濃先生は全国龍馬社中で台湾の李登輝氏と面識があり懇意にされているとのことでした。実は、李登輝氏は坂本龍馬の大ファンで、高知での龍馬会の会合でスピーチをされたこともあると伺いました。その際、船中八策を台湾の国家政策の参考にしたとお話になったそうです。すごいです。

小美濃先生は『仏教徒 坂本龍馬』を李登輝前総統に送ってくださるそうです。これも、有難いことでした。本当に、いろいろなご縁がつながり、うれしいです。ありがとうございます。

お会式 第一座

雲一つない、本当に気持ちのいい空の下で、妙深寺のお会式を奉修させていただきました。第一座のお参詣は統計史上最高だと思いますが570名。むしろ明日のお参詣が少なくなるのではないかと思って心配です。

今日は、陸前高田から福田さんもお参詣くださいました。今月はお父さまのご祥月で、明日は震災から1年8ヶ月目ですから特別な意味があります。ありがたいです。

横浜国立大ホールでの報恩記念大会から最初のお会式です。ご信心されていない方も120名ほどお参詣くださるとのことで、御法門もギリギリまで悩みに悩み、拝見させていただきました。1時間半くらいしか眠れませんでした。

遠方からのたくさんのお参詣、お友だちにもたくさんご挨拶できました。ありがたい限りでした。

明日は、9時半から第二座、11時から第三座を奉修させていただきます。

ありがとうございます。

青空

妙深寺の高祖会、第一座。雲一つない清々しい青空。

始まりました。

「皇国ノ仏法ナリ」

明日は妙深寺の高祖会で、まだまだ全く準備が終わらないのですが、煮詰まってしまいました。

信翠師が立ててくれた『仏教徒 坂本龍馬』の応援ページ。本当に、うれしいです。唐突に招待された方、困っている方、申し訳ないですー。(http://goo.gl/w1lSf)

本の中では明確に書ききれなかったのですが、海援隊蔵版『閑愁録』の中で最も重要な部分に下記があります。

「仏法ハ天竺ノ仏法トノミ言ベカラズ、乃(すなわち)皇国ノ仏法ナリ」

これは、明らかに復古神道を意識した一文だからです。『閑愁録』はキリスト教の侵食への危惧を表明しただけではありませんでした

即ち、上記の一文で、なぜ、わざわざ「仏法をインドの仏法とだけ言ってはいけない。この日本国の仏法である」と言明したのかと言うと、復古神道の人々の主張の一つに「仏教というのはインド(天竺)から来た外来の宗教である。日本には日本古来の宗教がある。即ち神道である。」という主張がありました。これに対して応えたのが『閑愁録』のこの一文なのです。

幕末から維新にかけて、苛烈な思想闘争がありました。坂本龍馬が隊長を務める海援隊のこの主張は、維新を成し遂げた主要な勢力や原動力となった思想とは、相容れないものであったと考えられます

その後の歴史を含めて検証していただきたいのです。

2012年11月9日金曜日

高祖会の準備ご奉公

明日の準備ご奉公が着々と進められています。

明日、11月10日(土)10時からは平成24年度の妙深寺高祖会第一座が奉修されます。引き続き11時45分からは拙著の出版記念会を開催していただきます。有難い限りです。

こちらには全国龍馬社中の副会長で幕末史研究会の会長・小美濃先生もお越しくださいます。第一座からお参詣くださるとのことで、大変有難いです。

お天気が心配ですが、翌日11月11日(日)は9時半から第二座、11時から第三座を奉修させていただきます。

時間がなくなり、またギリギリとなりましたが、長野別院の看板と僭越ながら本に著者名を入れさせていただくご奉公をさせていただきました。下手な字でお恥ずかしいのですが、無事に終わりました。

まだまだ、明日に向けて、頑張ります。

2012年11月8日木曜日

龍馬の祥月命日に

3日間の教区御講のご奉公も今日が最終日。明日がお会式の準備ご奉公で明後日の土曜日は高祖会の第一日目(涙)。ここまでギリギリとは思っていませんでした。

昨日の教区御講でも、永田さんが6月10日に来てくださった方を8名もお連れくださるとか、成澤さんも6月に引き続いてフィットネスクラブのお友だちが来てくださるとか、たくさん、たくさんお聞きして、今更ながら緊張が高まります。朝まで御法門をさせていただいたのですが、まだまだ時間が欲しいです。

11月15日は坂本龍馬の誕生日であり、祥月命日でもあります。この坂本龍馬への関心が少しだけ高まる時期に、信翠師が応援してくれて、Facebookにグループを作ってくれました(涙)。本当に、本当に、感謝です(涙)。

熱狂的なファンのいる坂本龍馬を扱う本だからこそ、そうした方々も納得できるように調査し、文章を組み立てました。第一章から年号や人物名が続くのはそのためでした。第三章までは傍証になっています。

もちろん、どれほど事実を列挙しても「『閑愁録』は長岡のもので龍馬は関係ない」と強弁する人はいます。批判が出ないことなどあり得ません。ただし、事実は事実。よくよく読んでいただければ分かると信じています。せめて、龍馬や歴史を理解する一つのヒントとしていただきたいです。

そして、今の社会情勢下だからこそ、ここにある政見や政策論、国家観、理想や思想について考えてみるべきだと思います。『藩論』や『閑愁録』は、間違いなく見過ごされてきました。同時に、幕末・維新の仏教改革者・長松清風の主張と生涯について、知っていただきたい。

教区御講に行ってまいります。ありがとうございます。

2012年11月6日火曜日

関西圏の産経新聞

今日、関西圏の産経新聞さまが、『仏教徒 坂本龍馬』のインタビュー記事を掲載してくださったそうです。

本当に、有難いです。よろしくお願いします。

今夜は19時から夜の住職御講です。

佛立らしく

今日は雨の横浜です。教区御講に廻らせていただきました。週末は妙深寺の高祖会ですから、いま降ってくれるなら有難いです。

先日の長松寺のお総講に、本成寺の青壮年会からたくさんのお参詣をいただきました。その中に、あれ以来ずっとご披露させていただいた涼子さんもお参詣くださいました。

「佛立信心の有難いところは、お罰とお折伏がいただけることです。」

彼女のこの言葉は忘れられません。生きてまします御法さまをいただいている佛立信心の核心です。お罰をお罰と思えない、あるいはお罰をいただけなくなることが、最も憐れで、恐ろしいことです。同時に、お折伏を喜べない、嫌うのも戒めるべきことなのです。

「ご利益が有難い」という人はたくさんいます。むしろ、そう答える人の方が多いはずです。涼子さんのお話は、それだけではない、それだけではいけないということに、もう一度気づかせてくれました。

4日の夜、なぜそう思えるようになったのか聞いてみました。すると、彼女は体育会系で、中学から高校まで真剣にバレーボールをしていて、コーチに厳しく指導されることの有難さと、厳しく言われなくなったら終わりだということを知っている人でした。どの道でも中途半端は駄目ですね。気づけません。記念写真を撮りましたが、ちょっとピントがずれてしまいました。

先ほど教区御講から戻りましたが、今日の御講も最高でした。御講を奉修させていただく導師として、「最高でした」と言えるなんて、本当に幸せです。

素晴らしいご奉公による素晴らしいご利益。しかも、長い長い闇から抜け出した方の喜びの言葉。お医者さまからあり得ないと言われたガン細胞が消え果てたご利益。また、詳しくは妙深寺報などでご披露できたらと思いますが、本当に有難く、尊い御講でした。午前の御講席でも涙と涙、午後の御講席でも涙と涙でした。有難いです。

みなさんのお寺でも、御講は佛立の命、感動や感激の御講が奉修されているでしょうか。お助行で信心を鍛え、御講で信心を整える、と教えていただきます。御講はご弘通のバロメーター。「御講師」とは「御講」の「師」。感動や感激に溢れた御講を奉修させていただかなければなりません。「導師」は言うに及ばずです。今日の御講は、本当に佛立教務冥利に尽きました。

涼子さんが気づかせてくれたように、佛立信心をしていても忘れてしまうこともあり、流されてしまうこともあります。佛立が佛立らしく、ご信心、ご奉公できるように、精進したいと思いました。

本当に、ありがとうございます。

2012年11月4日日曜日

タイムカプセル

コマーシャルじゃないけど、肩や背中がガチガチに固まってしまってます。困りました。いま、新幹線に飛び乗って、京都に向かっています。今夜は18時から麩屋町・長松寺の役一総講。明日の午後は大和法深寺で支庁協議会。今月も本当にタイトなスケジュールです。

かわいい着物やドレスに身を包んだ15組の子どもたちと七五三のお祝い、お礼の言上をさせていただきました。これが何より嬉しかった。

来年は、門祖日隆聖人の550回御遠諱のご正当年。同時に、妙深寺は創立70周年に当たります。この2つを柱にして、ご奉公を進めさせていただきたいと思っています。

創立50周年の時に先住がお怪我をされました。平成5年の春のことです。来年は平成25年で70周年。つまり「佛立魂」を教えていただいてから20年になります。ここには大変な意義があるはずです。

60周年の時には教養会を中心にした記念キャンプをしました。タイムカプセルはまだキャンプ場で眠っているはずです。来年、子どもたちを主役にした70周年記念キャンプを開催して、あのタイムカプセルを取り出したいです。

あの時は小さかった進之介くんはもう精悍な青年になっています。カエルを鷲掴みにして見せてくれたなー。あれから10年。七五三の子どもたちみたいに、次の世代が続々と登場してくれています。みんなでご奉公できたらと思います。

まだ静岡(涙)。京都は17時近くになります(汗)。

ほっこり七五三

昨日は来週のお会式の準備ご奉公。今日は11時から七五三です。

ゆかさんから七五三のほっこり人形をいただきました。最高です。次男坊も七五三。そっくり。ありがたい。

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...