今日は、坂本龍馬の誕生日であり、祥月命日でもあります。
今から145年前の11月15日、龍馬は中岡慎太郎、藤吉と共に暗殺されてしまいました。龍馬の存在意義については、『仏教徒 坂本龍馬』に書かせていただいたとおりです。その後の日本国に必要不可欠で、何人にも代え難い偉大な人物でした。この人を失ってしまったことは痛恨の極みであり、この国の不幸であったとすら思えます。
私は「まえがき」で次のように書きました。
「私は、彼らの思想を絶賛した一人の僧侶がいた史実を辿り、今までになかった視点から坂本龍馬や海援隊の思想の核心を紹介したい。そして、私たちの想像を遙かに超えて彼らが偉大だったことを伝えたい。これを知ることによって彼らが命を懸け、まさにそれを捨ててまで実現したかった国の在り方、人の生き方が見えてくるはずだ。
海援隊の『閑愁録』に曰く。
「仏法ハ天竺ノ仏法トノミ言ヘカラズ、乃(すなわち)皇国ノ仏法ナリ」
「仏日ノ滅没ハ皇道ノ衰運ニ係(かか)ル」
海援隊が目指した明治維新は、単なる「王政復古」ではなく「仏教ルネサンス」であった。坂本龍馬らは、神道でもキリスト教でもなく、仏法による国家の繁栄や人々の幸福を目指していた。仏法や仏教の退廃は国家の退廃に直結すると警鐘を鳴らしていた。
しかし、この思想は幕末の志士の中では特異なものであり孤高のものであった。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通という「維新の三傑」とは大きく異なっていた。
龍馬らは日本の再生に向けて着実な歩みを進めたが、遂に京都・近江屋の階上に於いてその思想の最大の理解者であった龍馬自身が命を終えて彼岸に帰ってしまった。そして、彼らの思想も幕末の喧噪に打ち消されてしまった。当時、多くの者は彼らのメッセージを受け取れなかった。新しい日本国を作ることになった者たちも受け取らなかった。むしろ積極的に否定し、拒絶した。そして、明治新政府は暴走し苦悩することとなる。神仏分離、廃仏毀釈、神道国教化、国家神道への道がそれである。―――――――」
拙著の第一章第一項は「坂本龍馬の夢のあと」と題しています。冒頭の文章も龍馬の暗殺に触れています。
「維新回天の業が行われた時、坂本龍馬が逝ったことを何人の日本人が知っていただろう。慶応三年(一八六七)の末、王政復古の大号令が発せられる直前のことである。
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された直後、彼らについて語る者は、ほんの数人しかいなかった。時代を動かした彼らの名前は要人の日記に散在していたものの、それが収集されるには十数年の歳月を待たなければならなかった。
天から舞い降り、地から涌出するかのように現れる偉大な人物は、死して後に輝きを増すものだ。明治維新が理想を見失い混濁する中、ようやく龍馬は息を吹き返した。「維新の三傑」と呼ばれた西郷も木戸も大久保も、世を去った後のことだった。
土佐閥の復権、自由民権運動の推進、国威宣揚のためなどと、龍馬を蘇らせた意図は様々に語られている。しかし、その足跡や言動は蒐集され、公開されるようになった。坂本龍馬像は、青春の群像や人間の可能性を託して巨大になり、実像と虚像が交錯しながら日本人の心の中に広がっていった。」
今日、いろいろな場所で龍馬の死を悼む催しが行われたり、龍馬を慕う方々が彼を思い返すでしょう。でも、ここに書いたとおり、明治維新から数年間、坂本龍馬を知る者は少なく、その名前はずっと埋もれていたのです。王政復古の大号令が発せられる直前。145年前、お龍をはじめ龍馬を愛する者の慟哭は、都の空に虚しく響いていました。
新しい視点から坂本龍馬を理解するために、ぜひ『仏教徒 坂本龍馬』を手にしていただきたいと思います。龍馬の命日だからこそ。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062178516
Facebookで呼びかけてくださっていますが、amazonで発注いただければ幸いです。みなさんのお陰で、明治維新部門で2位、日本史一般で5位、ノンフィクション部門で47位にまでなっています(涙)。本当に、ありがとうございます。
あらためて、今日は坂本龍馬の命日。どうか、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
今から145年前の11月15日、龍馬は中岡慎太郎、藤吉と共に暗殺されてしまいました。龍馬の存在意義については、『仏教徒 坂本龍馬』に書かせていただいたとおりです。その後の日本国に必要不可欠で、何人にも代え難い偉大な人物でした。この人を失ってしまったことは痛恨の極みであり、この国の不幸であったとすら思えます。
私は「まえがき」で次のように書きました。
「私は、彼らの思想を絶賛した一人の僧侶がいた史実を辿り、今までになかった視点から坂本龍馬や海援隊の思想の核心を紹介したい。そして、私たちの想像を遙かに超えて彼らが偉大だったことを伝えたい。これを知ることによって彼らが命を懸け、まさにそれを捨ててまで実現したかった国の在り方、人の生き方が見えてくるはずだ。
海援隊の『閑愁録』に曰く。
「仏法ハ天竺ノ仏法トノミ言ヘカラズ、乃(すなわち)皇国ノ仏法ナリ」
「仏日ノ滅没ハ皇道ノ衰運ニ係(かか)ル」
海援隊が目指した明治維新は、単なる「王政復古」ではなく「仏教ルネサンス」であった。坂本龍馬らは、神道でもキリスト教でもなく、仏法による国家の繁栄や人々の幸福を目指していた。仏法や仏教の退廃は国家の退廃に直結すると警鐘を鳴らしていた。
しかし、この思想は幕末の志士の中では特異なものであり孤高のものであった。西郷隆盛、木戸孝允、大久保利通という「維新の三傑」とは大きく異なっていた。
龍馬らは日本の再生に向けて着実な歩みを進めたが、遂に京都・近江屋の階上に於いてその思想の最大の理解者であった龍馬自身が命を終えて彼岸に帰ってしまった。そして、彼らの思想も幕末の喧噪に打ち消されてしまった。当時、多くの者は彼らのメッセージを受け取れなかった。新しい日本国を作ることになった者たちも受け取らなかった。むしろ積極的に否定し、拒絶した。そして、明治新政府は暴走し苦悩することとなる。神仏分離、廃仏毀釈、神道国教化、国家神道への道がそれである。―――――――」
拙著の第一章第一項は「坂本龍馬の夢のあと」と題しています。冒頭の文章も龍馬の暗殺に触れています。
「維新回天の業が行われた時、坂本龍馬が逝ったことを何人の日本人が知っていただろう。慶応三年(一八六七)の末、王政復古の大号令が発せられる直前のことである。
坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺された直後、彼らについて語る者は、ほんの数人しかいなかった。時代を動かした彼らの名前は要人の日記に散在していたものの、それが収集されるには十数年の歳月を待たなければならなかった。
天から舞い降り、地から涌出するかのように現れる偉大な人物は、死して後に輝きを増すものだ。明治維新が理想を見失い混濁する中、ようやく龍馬は息を吹き返した。「維新の三傑」と呼ばれた西郷も木戸も大久保も、世を去った後のことだった。
土佐閥の復権、自由民権運動の推進、国威宣揚のためなどと、龍馬を蘇らせた意図は様々に語られている。しかし、その足跡や言動は蒐集され、公開されるようになった。坂本龍馬像は、青春の群像や人間の可能性を託して巨大になり、実像と虚像が交錯しながら日本人の心の中に広がっていった。」
今日、いろいろな場所で龍馬の死を悼む催しが行われたり、龍馬を慕う方々が彼を思い返すでしょう。でも、ここに書いたとおり、明治維新から数年間、坂本龍馬を知る者は少なく、その名前はずっと埋もれていたのです。王政復古の大号令が発せられる直前。145年前、お龍をはじめ龍馬を愛する者の慟哭は、都の空に虚しく響いていました。
新しい視点から坂本龍馬を理解するために、ぜひ『仏教徒 坂本龍馬』を手にしていただきたいと思います。龍馬の命日だからこそ。
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Facebookで呼びかけてくださっていますが、amazonで発注いただければ幸いです。みなさんのお陰で、明治維新部門で2位、日本史一般で5位、ノンフィクション部門で47位にまでなっています(涙)。本当に、ありがとうございます。
あらためて、今日は坂本龍馬の命日。どうか、よろしくお願いいたします。ありがとうございます。
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