2012年11月6日火曜日

佛立らしく

今日は雨の横浜です。教区御講に廻らせていただきました。週末は妙深寺の高祖会ですから、いま降ってくれるなら有難いです。

先日の長松寺のお総講に、本成寺の青壮年会からたくさんのお参詣をいただきました。その中に、あれ以来ずっとご披露させていただいた涼子さんもお参詣くださいました。

「佛立信心の有難いところは、お罰とお折伏がいただけることです。」

彼女のこの言葉は忘れられません。生きてまします御法さまをいただいている佛立信心の核心です。お罰をお罰と思えない、あるいはお罰をいただけなくなることが、最も憐れで、恐ろしいことです。同時に、お折伏を喜べない、嫌うのも戒めるべきことなのです。

「ご利益が有難い」という人はたくさんいます。むしろ、そう答える人の方が多いはずです。涼子さんのお話は、それだけではない、それだけではいけないということに、もう一度気づかせてくれました。

4日の夜、なぜそう思えるようになったのか聞いてみました。すると、彼女は体育会系で、中学から高校まで真剣にバレーボールをしていて、コーチに厳しく指導されることの有難さと、厳しく言われなくなったら終わりだということを知っている人でした。どの道でも中途半端は駄目ですね。気づけません。記念写真を撮りましたが、ちょっとピントがずれてしまいました。

先ほど教区御講から戻りましたが、今日の御講も最高でした。御講を奉修させていただく導師として、「最高でした」と言えるなんて、本当に幸せです。

素晴らしいご奉公による素晴らしいご利益。しかも、長い長い闇から抜け出した方の喜びの言葉。お医者さまからあり得ないと言われたガン細胞が消え果てたご利益。また、詳しくは妙深寺報などでご披露できたらと思いますが、本当に有難く、尊い御講でした。午前の御講席でも涙と涙、午後の御講席でも涙と涙でした。有難いです。

みなさんのお寺でも、御講は佛立の命、感動や感激の御講が奉修されているでしょうか。お助行で信心を鍛え、御講で信心を整える、と教えていただきます。御講はご弘通のバロメーター。「御講師」とは「御講」の「師」。感動や感激に溢れた御講を奉修させていただかなければなりません。「導師」は言うに及ばずです。今日の御講は、本当に佛立教務冥利に尽きました。

涼子さんが気づかせてくれたように、佛立信心をしていても忘れてしまうこともあり、流されてしまうこともあります。佛立が佛立らしく、ご信心、ご奉公できるように、精進したいと思いました。

本当に、ありがとうございます。

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