永代過去帳の中に刻まれている、黙ったままの法号、戒名。
そこに、一人ひとりの、かけがえのない人生があり、家族があったことを思います。
特に、終戦直前の数年間には、心が、ヒリヒリと灼けて痛むような、その生と死が、強い熱線を放っているような方々がおられます。
南海院、比島院、北満院、武羅湾院、護国院、報国院、殉国院。
義忠、忠烈、武勇、勇猛。
院号や道号にこうした語句がある方々は、あの戦争で戦死された方々。
毎朝、教務員の霊簿を拝見して、どれだけ多くの佛立教務が戦地で亡くなられたか、痛感するのです。
一般の人も、ご信者さんも、佛立教務の方々も関係なく、徴兵され、あるいは志願して、出征し、従軍し、戦死されました。
心がヒリヒリします。
国のために、つまり自分の周りに住む人々のために、家族のために、戦ったということ。
それしか、なかった。
ヒリヒリします。
一般市民に銃口や砲弾を向けた無差別攻撃が始まると、自分の命を犠牲にしても、人びとを、家族を護りたいと、一心に思い、戦われたのだと思います。
護国、殉国、義忠、勇猛、と法号を授与いただいた意味。
ただ、佛立教務の御霊が靖国神社に帰ることはありません。そこに眠ることもないでしょう。このことは、ぜひ心に刻んでいただきたい。
レトリックが多く、論点がすり替えられることがあります。
「国のために命を捧げた人びと」=「靖国神社に眠る人びと」ではありません。
靖国に参拝した方々が、
「国のために命を捧げた方々に手を合わせている」
と言われるのは分かりますが、そこにいない、おびただしい数の方々のことも知っていただきたい。
他国が靖国へ参拝することを批判するのは、多くの方々が祀られているからといっても、特定の宗教、多くの人にとっては一つの宗教に過ぎない場所だからです。
それを、
「国のために命を捧げた方々に手を合わせることが何故悪いのか。」
「他国にそんなことを言われる筋合いはない。」
となるのは、違うと思います。
おびただしい方々の、ほんとうの、それぞれの想いを、生と死を、本当に見て、感じていただきたい。
とにかく、明治維新の勝ち組が創始した靖国神社とは全く別のところに、この国のために生命を捧げた方々がいることを知っていただきたい。
明治維新まで遡って、廃仏毀釈、国家神道、神道国教化の道のりを見てもらいたい。
まっすぐに、透きとおって、この国の歩んできた道のり、あの戦争について、そのとんでもない、災禍から、地獄から、導き出され得た、人類の、日本人の、日本人だけの叡智から、戦争と平和について語りたいものです。
『仏教徒 坂本龍馬』に書き切った思いがあったのですが、やっぱり、ダメです。
あんな、小難しい本、誰にも届きません。
結局、人間というものを追求しない限り、「あの戦争とこれまでの平和」「これからの戦争と平和」について、語れません。
みんな、「平和」を求め、「平和」を語りながら、「戦争」してきたのです。
『永遠の0』という作品は、全く心に入ってこない作品でした。これを素晴らしい映画だと評価しているのが不思議で、むしろ怖いです。
今でも忘れられない、素晴らしいドラマが心に焼き付いているから、『永遠の0』の中に違和感を覚えるのかもしれません。
『英霊たちの応援歌 最後の早慶戦』は、私が10才の時に観た映画です。1979年、東京12チャンネルが、開局15周年記念作品として、製作・放映したものです。
全くの子どもだったのですが、学徒出陣の、その切ない姿に、戦争の恐ろしさや、そこに巻き込まれてゆく若者たちの姿に、泣きに泣き、今でも忘れられないでいます。
まとまりません。
いま、京都、麩屋町・長松寺のお総講が終わりました。
来年の今日を中心に、京都佛立ミュージアムでは一年間にわたり、戦争と平和について仏教的に考えてゆきたいと思っています。
平和の鐘。
このタイミングで、ブラジルに、広島市のご許可をいただいて、平和の鐘が建立される意義。
まだ、誰にも理解されていないように思います。
会議で何度もご披露しているはずですが、受け止められていないでしょう。
しっかりと、受け止めてゆきたいです。
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