2014年8月28日木曜日

妙深寺の桜とブッダガヤの菩提樹

本当に、神秘的なことです。

生命の不思議、自然を愛する、自然と対話する、黒崎とし子さんの不思議ー。

深い深いところで、御題目の、御法さまのお力、お導きを感じます。

南無妙法蓮華経ー。

妙深寺には、本当に立派な桜の木があります。

先住のお怪我は、その桜が満開の時に起こりました。

私の記憶の中では、歴史に残る一大事件、現証の御利益は、桜の木の下、花びらの中で起こった出来事として刻まれています。

ですから、あれ以来、妙深寺の桜を「本化桜」と呼び、自分の名前も「日桜」としました。

ある時、陸前高田の福田さんが、妙深寺の桜が欲しいと、ポツリと言われたんです。

その後、何度か同じことを言っておられるのを聞いて、挿し木で、妙深寺の桜の苗を育てることは出来ないだろうかと、話し合っていたのです。

でも、簡単なことではありません。

あの桜は、木の寿命が短いと言われているソメイヨシノですし、挿し木の技術もありません。

そして、そして、そうこうしている間に、時間が過ぎて、春になりました。

そうしたら、妙深寺の境内を生命に満ちた場所にしてくれている黒崎とし子さんが、何と、サクランボから、いくつもの苗を、育ててくれていたのですー!

まず、私たちは、この苗をインド親会場へと移送させていただきました。

次には、必ず陸前高田の福田さんにお届けしたいと思います。かさ上げで、どうなるか分かりませんから、これからですが、お願いしようと思います。

そして、私がインドに妙深寺の桜を届けた同じタイミングで、私たちはブッダガヤに行きました。

その場所は、言わずと知れた、仏教の創始者、ゴータマ・ブッダが、悟りを開かれた場所です。

その悟りは、ある菩提樹の根元で得ました。

ある説では、菩提樹は24時間酸素を出すと言われています。

大きな幹と葉の下で、強烈な陽光を避けることが出来ます。

不思議な、美しい、何故か哲学的な葉の形をしているように見えます。

そのブッダガヤの菩提樹は、聖樹の中の聖樹としてブッダそのもののように敬われ、信仰を集めてきました。

しかし、5世紀のイスラムの侵攻と仏教弾圧の当時、切り倒されてしまったのです。

仏教徒にとって、仏陀が悟りを開かれたオリジナルの菩提樹は、永遠に失われたように思われました。

ところが、そうではありませんでした。

オリジナルの菩提樹は、スリランカの仏教徒によって蘇り、受け継がれています。

紀元前5世紀から、スリランカには古代王朝が栄えていました。

そのシンハラ王朝は、紀元前380年頃、今や世界遺産となった「アヌラーダプラ」を首都としました。

紀元前247年、インドのアショカ王の王子マヒンダが、スリランカに仏教を伝え、アショカ王の娘サンガミッター尼がオリジナルの菩提樹の枝をスリランカに持ってきたと言い伝えられています。

以来、彼らは仏教を奉じ、首都アヌラーダプラに寺院や大塔を建立し、菩提樹もブッダを敬うように大切に守り、スリランカは世界最古の仏教国として現在に至っています。

私も何度かアヌラーダプラを訪れました。

そして、オリジナルの菩提樹を護持するマハー・ヴィハーラ寺院やルワンウェリ・サーヤ大塔に案内していただいたことがあります。

そして、そこで、オリジナルの菩提樹、「スリー・マハー菩提樹」の根元まで行かせていただき、間近に見上げ、感動したのを覚えています。

インドのオリジナルの菩提樹が失われたことから、このスリランカのスリー・マハー菩提樹の挿し木から育てて移植されたのが、現在のブッダガヤの菩提樹なのでした。

5月、このブッダガヤの菩提樹の下で御題目をお唱えさせていただきました。

そして、その際、膝の間に落ちているいくつかの菩提樹の種を拾ったのでした。

サクランボから、妙深寺の桜を育ててくれたとし子さんならば、このブッダガヤの菩提樹も、種から育ててくれるのではないかと思って。

そして、帰国後、とし子さんに預けました。

あれから、数ヶ月。

見事に、見事に、オリジナルの菩提樹は、芽を吹きましたー。

インドからスリランカ、スリランカからインド、そして日本。

いろいろな場所で挿し木が行われ、育てられているようですが、こうした経緯が、何とも有難く思います。

仏教の、歴史ですー。

寒さに弱いインドボダイジュですから越冬できるか心配ですが、大切にしたいと思います。

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