2014年12月1日月曜日

自己の生死は他に関せず

おついたち、おめでとうございます。

 

いよいよ今年も最終月、最後の日は大晦日。翌日は元旦。

 

うわー、早い。

 

風邪をひいてしまって、ほんとうに弱りました。

 

最近、とにかく身体の衰えを感じます。

 

目は見えないし、足はくじくし、ボロい感じです。

 

時間を見つけて、少しでも運動しなければなりません。

 

「世間無常、自己の生死は他に関せず」

 

大好きな御指南です。

 

世間は無常だ。

 

老少不定、何があるか分からない。

 

自分の生き死には、他に関係ない、他人に関係ない、誰のせいでもない。

 

自分がしっかりしないとね。

 

それだけではなく、もっと深くこの御指南をいただけば、最初に「世間無常」とあるから、

 

「いつ死んでもいいと覚悟しておけ」

 

「お前が生きようと死のうと、誰も全く気にしない、世の中に全く関係ない」

 

という意味にも取れる。

 

すごく厳しい、「奪」の御指南です。

 

だからこそ、生きている間、命ある間、精一杯、君にしか出来ないご奉公をしなさい、お前にしか出来ないことをやれ!目一杯やれ!思い切りやれ!とお示しなのだと思います。

 

何も気にすんな。

 

どうせ誰にも関係はない。

 

そんなくらいの、ど根性を教えておられるように感じます。

 

なぜなら、この御指南は、ある御教歌の御題としてお示しだから。

 

「題目の弘まる時の末法に ことしは信者いかでまさゞる」

 

やらなきゃ、ダメだ。

 

品行方正でも、気配りばっかりしていても、波風立てず、仲良しこよしでしていても、ダメ。

 

手を抜いていてはダメ。

 

あきらめてはダメ。

 

「答。

四季の季候に順不順あるがことし。米を作るに百姓の労は却て強けれとも、不順の時はならざるかごとし。時候は天にあり。労は百姓にあり。不順なればとて手を空しくはしておられず。師と弟子とに善悪あり。買い手も、売り手もまた同じ。

所詮売れずと見る時も店はしまわれず。されば自行勉強のとき也。学問は仕入に心をつくすが如し。信唱自行専一也。」

 

無事に、今月の月始総講も終わりました。

 

新しいスタートです。

 

下記は、平成27年12月の役中テキスト「班長さん、ありがとうございます。」です。

 

「ありがとうございます。

 

ご信心にも、いろいろな仕方、やり方があります。同じようにご信心をさせていただくのであれば、大きな功徳になるようにしなければもったいないです。

 

一番の功徳になるご信心の仕方は、周りの人のご信心を勧めたり、励ましたりするご信心の仕方です。

 

末法という世の中は、謗法のエネルギーとご信心のエネルギーが、引っ張り合ったり、押し合ったりしています。ほとんどの場合、圧倒的に謗法の力が強く、ご信心は負けてばかりです。社会でもそうですし、一人ひとりの心の中でもそうです。謗法や罪障の力は、圧倒的に強いものです。誰であっても、ご信者さんであっても、毎日がそういう状況の連続です。

 

ですから、私たちは御本尊をお迎えし、朝夕のお給仕やお看経を怠らないようにして、謗法や罪障のエネルギーに負けないようにしているのです。怠っていたなら、すぐに負けてしまいます。気づかない間に、負けてしまっていることがあります。

 

やはり、一人信心はダメです。いつ自分が迷いだしたのかさえ、自分一人では分かりません。だから、一人ではダメです。

 

末法では、良い師匠、良いご信者さんが必要です。その輪の中に入ってご信心することが末法で唯一正しくご信心の出来る道です。

良い師匠にご信心の道を示していただき、いつもご信心の状態を見ていただいて、お折伏していただきます。ご信心で結ばれた仲間、教化親やお役中さんも同じように自分を映す鏡であることを知らなければなりません。

 

それでも、末法でご信心することは簡単ではありません。お祖師さまは、

 

「善師をば遠離し、悪師には親近す」

 

とお諭しになっていますから、余程のこと謗法や罪障のエネルギーが強いのですね。良い師匠から遠く離れ、悪い師匠に親しく近づいてしまう悪い癖があると教えていただくのです。

 

困ったものです。では、どうやって良い師匠と悪い師匠を判断したらいいのでしょうか。謗法や罪障のエネルギーが強いのですから、自分で善し悪しを判断するのも頼りないですし、誰かに任せていても末法と言うのですから安心できません。

正しい師匠を探していたら、グルグルと迷い続けることにもなりかねない。正しいと思っていたら「悪師に親近す」だったり。どうしましょう。

 

やはり、大切なことは、三祖一轍、本山のご宝前に直結した、本門佛立宗のお寺に所属することです。まずはこのことですし、これしかありません。

 

佛立宗は「人立宗」ではありませんから、あまり人の善し悪しを見ていても仕方がありません。やはり自分で判断するのは、ちょっと間違いやすいです。大切なことは、お折伏をいただけるかどうかです。謗法やのエネルギーに負けないように、みんがが精進しているどうかです。

 

そして、何よりも、誰もがご弘通のために同じ目標を見て精進しているかどうかです。人ではなく、法。お寺の誓願。

一番功徳になるご信心の仕方とは、お寺の掲げる前向きなご弘通の誓願や目標を、自分の目標としてご信心することです。

 

どこか、別個の、自分だけのご信心では、間違っているかもしれないのです。

 

だからこそ、私たち妙深寺は謗法や罪障のエネルギーの強烈な力を感じながらも、「一級寺院昇格」という最高に前向きな、最高に功徳になる、みんなの目標を立てています。功徳を最大化できる尊い目標です。」

 

今月も、みなさまが健康でありますように。

 

「題目の弘まる時の末法に ことしは信者いかでまさゞる」

 

「弘まらざるは仏説に背く故也」

 

「世間無常、自己の生死は他に関せず」


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