それは、特別この地球に限ったことでもなく、生物に限ったことでもなく、動物に限ったことでもなく、人間に限ったことでもなく、民族や言語、宗教や思想すら関係なく、事実、現実、そうである、そうなる法則です。それを知っているか、知らないか、信じているか、信じていないかにも、全く関係ありません。ずっと、この宇宙に流れている法則です。
ある人はそれを垣間見て思想とし、ある人はその一端を覗き見て文字にしました。
「私たちは、どこから来て、どこに行くのか」
「私たちは何のために生きているのか」
人類は古代から生死の境にある根源的な疑問に挑戦し、その先にある世界を夢想し、垣間見、覗き見、伝承してきました。
果たして仏陀はこの人類の根源的な疑問に挑戦し、宇宙に流れる、流れ続ける、万物に共通する普遍の法則と真理を覚知し、近づき、一体となりました。それを私たちは「覚り」と呼びます。
そして、仏陀はその法則と真理に基づいて、そこから遠く離れたまま生を終える人々を導くために、具体的なメソッドを示されました。
この根源的な、人類の、人生の疑問に答えるのが、仏教であり、私たちの信仰です。これこそが、人生の、信心の、修行の、仕事の、人間関係の、愛の、根源的なモチベーションになるものです。このことを外して、仏教はなく、信仰はありません。
あなたは、輪廻と転生を知っていますか。
あなたは死を迎えた時、何処にゆくのでしょうか。
何より、一体あなたはどこから来たのでしょうか。
輪廻転生とは、どこかの高僧の特別な生まれ変わりを指すのではなく、僕にも、あなたにも、彼にも、彼らにも、当たり前のように当てはまる普遍の法則です。
いま、輪廻、そして転生ということを、あらためて広く世の人々に感じていただきたい。遠くの、特別な、誰かの、何かの話ではありません。自分の、家族の、愛する人との、憎むべき人々との、ここにある、目の前に現れる、事実なのです。
静かに見れば分かります。耳を澄ませば聞こえます。生命は続く。生命は永遠に続いてゆきます。
だから、厳しいのです。
だから、尊いのです。
だから、怖いのです。
だから有難いのです。
時に勝手な解釈から悪用や差別を生み出した輪廻転生の思想です。法華経本門の御法門、真実の仏教からでなければ見えません。
三島由紀夫が遺作『豊饒の海』で描いたのは、時を超えて主人公の前に現れては消える親友との、夢と転生の物語です。
ニーチェも「永劫回帰」として普遍の法則に挑みました。しかし、彼の思想も三島の小説も、断定的で断片的なものと言わざるを得ません。それでは、ある人にとっては希望となり、ある人にとっては希望を奪うものとなります。そうではないのです。
生命は続く。
行為は蓄積される。
カルマ、業というエネルギー不滅の法則。
重なり合う命。
交差する縁。
繰り返されてゆく幸福と過ち。
この世に何十億の人が生きていても、本当に関係のある人はほんのわずかです。生まれ変わり、死に変わりして、ずっと続いています。またしても、あなたと巡り会いました。時には愛し合い、時には傷つけ合って、信じたり、憎んだりもしながら、ずっと続けてきたのです。
その人が、いま目の前にいます。そうして繰り返してきた命たちが、ここに集まってきています。
ここで起こっている出来事は、これが最初ではないということ。
過去から続いているということ。
未来にも続いていくということ。
だから、今が大切ということ。
時代が変わっても、場所や姿が変わっても、引かれ合い、何度も何度も、愛し合っては別れ、争いと過ちを繰り返してきました。親子、夫婦、兄弟、恋人、友人、時には敵同士になりながら、その生命がひとつになれる時を待っているのだと思います。
その関係は切れることがないのです。
ですから、この事実、現実に気づいた人から、自分を含めたその深い関係を、よりよいものへと昇華させていくしかありません。
せつないけれど、それが大切です。
面倒かもしれないけれど、もはや向き合うしかないのです。
生まれてから付いた癖もあれば過去世からの癖もあります。
お祖師さまが
「心の師とはなるとも、心を師とせざれ」
と繰り返しお諭しくださっているのは、過去世からの心の「癖」に縛られていると謗法や罪障という根源的な悪循環から抜け出せないという強いお戒めなのです。
輪廻転生。
サンサーラ。
何一つ特別な教えではなく、佛立信心の基盤にある普遍の法則です。
私たちは、生まれ変わり、死に変わり、ずっと続いてきて、これからもずっと続いてゆくのです。
「無始已来 謗法 罪障消滅、今身より仏身に至るまで持奉る。」
=始まりも分からないほど昔から、私は、生まれては死に、生まれては死に、魂の旅を続けてきました。
この間、久遠の真理に逆らい、多くの命を傷つけてきた悪い業は量り知れません。
いま、人間として命を与えられ、ようやくこのことに気づいた以上、この身が仏の身と成るまで、この上行所伝の御題目、普遍の真理を護持いたします=
これが私たちの信仰です。信仰の原点です。私たちは、毎朝毎夕、命の行方を探して、感じて、手を合わせているのです。
自分の命の行方について知らなければ大きなチャンスを逃すことにもなり、大きな失敗を犯すことになります。
ありとあらゆる人々は、誰一人逃れることなく必ず死を迎えます。自分の死を現実として捉えている人も稀です。ましてや、現在の日本人に「輪廻転生」と言っても信じられない人の方が多いでしょう。しかし、この法則を知らずに生きること、死ぬことは、最も不幸なことだと思います。
答えは、ここにあります。
「いきかはり
死にかはりつゝ法華経に
仕へん人を菩薩とぞいふ」
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