2015年12月10日木曜日

旭の死後、拝見させていただいてきた御法門

平成二十七年十二月 旭の死後、月始総講、及び前後のご奉公で拝見した御法門

皆さま、ありがとうございます。

素晴らしい透き通るようなお天気になりまして、十二月の月始総講を奉修させていただきました。お参詣誠にありがとうございます。

もう、ご承知、お耳に入っていることと思いますけれども、ネパールの支援活動中に小原旭くんが事故によって亡くなるという、驚天動地の大変な出来事が十一月十六日に起こりまして、本当に申し訳なく残念至極でございまして、言葉を見つけようと思ってもなかなか見つからない。そんな毎日を過ごしてまいりました。

ご信者の皆さまにも、ご奉公の途上、しかも妙深寺で行っている支援活動の中での帰寂ということでしたので、準寺葬として、この妙深寺本堂で、お通夜、告別式を務めさせていただきましたが、たくさんのご会葬をいただきまして、本当に有難く思っております。旭くんも、皆さんの思いを受け止めて、ありがとうと思ってくれているんではないかな、という風に思います。

また御法門の中で、触れさせていただきたいという風に思いますが、パリの同時多発テロ等があって、怖いなと思いながらの、海外での支援活動でしたが、まさかこんな事故が起きて、いつもここら辺に、前の方に座っていた、一生懸命、わざわざ横浜に来て、一緒にご奉公したいと言ってくれていた青年、旭のこと思うと、やるせなくもなりますが、それでも、それは彼の本意ではないだろうと、いうことも含めて、御法門を拝見させていただきたいと思います。

御教歌に
「のりのため 御奉公にてしゝぬれば ひととうまれし かひはありけり」

佛立開導日扇聖人、お示しの御教歌でございます。

 何の為のご信心であり、何のためのご奉公であるか、今一度、一同で思い返させていただこうと、ご奉公の大事、なぜご奉公に、これほど有難さを感じて、励めとお示しいただいているのか、最高、最良の生き方、その道こそ信行ご奉公だとお示しをいただく御教歌でございます。

再拝致します。「のりのため 御奉公にてしゝぬれば ひととうまれし かひはありけり」

「のりのため」いうのは、「のり」とは「御法さま」、「御法さまの為に」と、こういう意味ですね。「しゝぬれば」とありますのは、「死ぬならば」。

御法さまの為に、ご奉公の途中で死ぬならば、人と生まれてきた甲斐は、ありけり、あるんだ、あるのだよ、とお示しいただいてる。

それでも、今日いただいた御教歌ではありますが、そんなこと言われても、自分の今の心境、今のあり方とはもの凄く遠い、なんてこと言っているんだろうと、そう思うような御教歌なんですが、そこを紐解きながら、少しでも身近になれば、有難いなという風に思います。

私たちの、お祖師さまというのは、激動の時代を生きられたことはもちろん、相次ぐ自然災害や、国内での紛争や、巨大大国「元」という国がいよいよ攻めてくるという、国際戦争の危機を感じながら、ご奉公なさった方だということは、御存知のとおりだと思います。

これは、仏教の創始者、御仏、仏陀釈尊も同じです。古来インドで生きられた、仏さまも、自分の故国、シャーキャ国が大国コーサラ国に攻め込まれる、侵攻されるというのを間近にご覧になっている。しかも、生まれ育った首都カピラバストゥの滅亡まで、ご覧になった。そんな中で、御仏も、あるいは、お祖師さまも、門祖聖人も、開導聖人も、お過ごしになりながら、教えを説いてくださった。お祖師さまは、特にそんなことを目の当たりにしながら、本当にこの世に平穏をもたらすためには、一人一人の心に灯火を、明かりを届けなきゃいけない。そうしてご奉公なさいました。

南無久遠を見ていると、「三国伝灯・法華弘通」とありますよね。「三国」、天竺、中国、日本。インドから中国にわたって、日本まで渡ってくる。「伝灯」という漢字を見てみると、明かりを伝える、灯を伝えると書いてあります。私たちのご信心、御法さまというのは「灯火」なのだと、その灯火を伝える。

そうして、お祖師さまは『立正安国論』を著され、正しい御仏の教え、御法を、人々の心に届けなければ、世界に、国に、真の安穏は訪れないと、時の最高権力者に提出された。そして、それが原因で、大迫害に遭われる。度々、流罪の刑に処せられて、最期は首を切ってやると、死罪を仰せつかって、江の島の龍ノ口で、首の座にかけられるということも、史実、事実としてあったわけであります。

そのことを、振り返られて、お認めになった御妙判を拝見させていただきますと、

「今夜頸切られへまかるなり。この数年が間願ひつる事これなり。此娑婆世界にしてきじ(雉)となりし時は、たか(鷹)につかまれ、ねずみ(鼠)となりし時は、ねこにくらわれき。或はめ(妻)に、こ(子)に、かたきに身を失ひし事、大地微塵より多し。法華経の御ためには一度だも失ふことなし。されば日蓮貧道の身と生れて父母の孝養心にたらず、国の恩を報ずべき力なし。今度頸を法華経に奉りて其功徳を父母に回向せん。其あまりは弟子檀那等にはぶく(配当)べしと申せし事これなり 云々」

かように、お言葉をお残しなっている。

この世の中に、生まれ変わり、死に変わり、生まれ変わり、死に変わりしてきているのが私たちだ。ある時は、「雉(きじ)」、美しい、しかし弱い鳥に生まれ、その時には強い鳥、鷹(たか)につかまって命を落としたかもしれない。鼠に生まれて来た時は、猫に食べられてしまったこともあったであろう。たまたま人間に生まれても、家族のため、奥さんのため、子のために、一生懸命働いていたら、時間が過ぎて死を迎えた。そんな一生もあり、商売のため、仕事のため、競争や争い、戦いで、敵に命を狙われて命を落としたこともあったであろう、と。

しかし、今回は。人間に生まれて、たまたまこの御法に出値った。この御法、法華経のために、今回こそは命を使わせていただきます、いただきたい、そんなことは今まで無かったんだ、と。

つくづく、お祖師さまのご信心とは、この今回の命を持って、如何に人間らしく、如何に正当な佛立仏教徒として生きるか、ということに重きを置いておられるんです。ですから、何のためにご信心に出値って、何のためにご利益をいただこうと思っているかが問われるのです。

人間は運命を背負っていますよね。何の運命か。それぞれに色々な運命があるけれど、逃れられない運命とは、生まれたならば、食べてゆかなければならない。生活のために仕事をして、何らか稼いでいかなくてはいけない。そうでなければ家族を養えない。何にもしないで生きていけることは残念ながらありません。そして、生まれればそこからすぐに、年が積み重なって老いていく。そして、病にもかかり、死も迎える。これは誰であろうと逃れることのできない運命です。

信心というのは、そんな全員が背負っている運命を越えて、強く、明るく、そして正しく、偏らず、空回りせず、縛られず、縛らずに、本当の自由を得て生きていくことだ。

その道を「ご奉公」という。その道を「ご弘通」という。

だから、「ご奉公」といってもそんな簡単な意味ではないはずなんですね。本当のご利益が、ご信心させていただく目的が「ご奉公」のはずだ。

生まれ変わり、死に変わり、輪廻転生を繰り返してきた私たちの命、今回は虫、今回は動物、今回は人間、今回は男、今回は女、今回は敵、今回は味方、いろんな人生があった。今回はこの人と結ばれ、今回はこの人と別れ、この度は愛し、この度は憎み、繰り返し、繰り返し、今回、今生を送ってきている。

恵まれた境遇にいる人もいれば、不幸に嘆いている人もいる。「それもこれも過去に原因があるよ」なんて言われても、それに納得することができないこともあります。「冗談じゃない!」と言いたくなることもある。しかし、人生を送ってゆけば普遍の法則の中で今があることを悟らざるを得ない。どんなに不幸の中にあっても「あぁそうか。そうなのか。」と。

先ほど申しましたとおり、仏教の創始者・釈迦牟尼佛陀、仏さまも何不自由ないカピラバストゥのお城の王子さまとしての今回の人生だったのに、人間は老い、病にもなり、必ず死を迎える、ではどうやって生きるべきだろう、どうやって命を使うべきか、どんな道を歩むべきか、どんなことを為すべきか、と、この命題に取り組まれたからこそ、お城を捨てて、修行に出られた。つまり、我々が「仏さまは悟ったんですよね」という「悟り」の中身とは、結局、今回の人間として命を受けた僕たちがどんな生き方をするか。それこそが悟りの中身なのです。

今回の人生をどんな風に生きるか。

もちろん、みんな忙しいです。今の自分の生活のために信心するということも間違いではないです。「病気を治してください。」「家族が健康でありますように。」、いろいろな願いがあります。だけど、そのままそこで止まっていると、果たして仏教そのものの命題とイコールか。どう生きて、どう命を使うかということと、その答えがイコールになるかどうか。

「食べさせてください。」「治してください。」「やらせてください。」「叶えてください。」だけで終わってはいけないから、本当の信心のご利益、目的、道、それが「ご奉公をさせていただこう」なんだ。このことを改めて思い直して、お教えいただいて、ご信心を改良して、「ご奉公とはそういうものか」と力を入れなければならないのではないか。

「のりのため 御奉公にてしゝぬれば ひととうまれし かひはありけり」。

鳥に生まれてきて強い鳥に食べられた。はいはい。鼠に生まれてネズミ取りに引っかかった。あぁそうか。人間に生まれてきたけど、奥さんのために、ご主人のために、子どものために頑張りました、そして、年を重ねて、病になって、死を迎えました。それだけでは、勿体ないよ。希(まれ)に人身(にんしん)を得て、偶々(たまたま)仏法に出値った。ではどうしますか?どうできましたか?と。ここが大事なんだ、と。

 果たして、旭君の人生を振り返って、こんなに若く命を失うのであれば、妙深寺に、あるいは長松清潤になんて会わなかった方がよかったんじゃないかって。彼が事故に遭って、彼を抱きしめた時に、涙が出て、そんなことばかり思っておりました。しかし、小原お導師、お母さま、妹さん、そして、何よりも旭の人生を振り返り、更にはその後の様々な現証、ご宝前からのサインを拝見すると、やっぱりこの御教歌「のりのため 御奉公にてしゝぬれば ひととうまれし かひはありけり」の御意をいただかなければならないと思うのです。

旭、貴方という方はすごい方ですね。

そんな想いがしてなりませんでした。

皆さんも「一体どんな状況だったの?」と思っておられる方がたくさんおられます。旭君は仙台、気仙沼、一関のお寺のご住職をなさっている小原お導師のお孫さん。青森青松寺の小原ご住職のご長男。13歳で得度もなさっておられました。まさに、佛立一家のお導師やご住職をご家族に持つ、13歳の得度とは、ものすごいご信心のある子どもだな。みんなの期待を一身に集めるような、そんなお子さんでした。

しかし、本当にかわいそうに、もちろん良い思い出もあったと思いますけれども、彼の中には小学校や中学校の頃のいろんな悲しい思い出、いじめもあったと言っていました。そんなこともあって、自分が抱いている強い理想と、なんだか分からないけれど敗北感や劣等感が心の中に渦巻いて、僕は違うと思っていますが、ある時はお医者さんから「統合失調症」という診断を受けて、強い薬を飲んで苦しんでいた。教務の道も、得度はしたけれど、もう諦めておられました。

そんな時に妙深寺の寺報や私たちのブログに感激してくれて、横浜に訪ねてきてくれたんですね。お控えの間で、二人きりで話をしましたけれども、そんな話をしながら、ボロボロと涙を流して泣いていたのを、昨日のように、まだまぶたに焼きついております。疲れきった顔で泣いていたのを思い出します。

でもその時に、「得意な英語を活かして、いつか清潤師と一緒に海外弘通のご奉公をさせていただきたい」と言ってくれていました。そして、国内でも、東日本大震災の後は陸前高田や大船渡に支援活動にも行ってくれましたし、妙深寺に移籍してからは、本当にお計らいをいただいて、ご信者の皆さまとの触れ合い、青年会の中での触れ合い、黒崎とし子さん始め、今日の大根もその種を植えてくれたのは旭君もその一人と聞いていますが、農園でのご奉公、お塔婆浄書など、いろいろなご奉公の中でお計らいをいただいて、あれだけ強い薬を飲んでいた病気も、もうお医者さんから「診察、治療は要らないよ。薬も必要ないでしょう。」と言われたと、たしか神港教区の森山さんの御講席で、自ら立ち上がって発表してくださいました。「本当にお計らいいただいて、すごいじゃないか!ありがたいね!」と。その後、就職もできて、定業能転、当病平癒、身体健全のご利益をいただかれてきたんだなあと。

就職ができて、忙しくなって、心配をしておりました。特に、今年は体調を崩してしまいました。7月1日の月始総講では、覚えている方もいるかもしれませんが、旭君は過去を振り返ってものすごい御懺悔をされたんですね。自分自身で「これが気に入らない。」「これが辛い思い出だった。」というということも全部感謝に変えて、自分が生まれ育ったすべての人に感謝をしたい、自分は間違ってた、ということを御懺悔しました。どんどん、どんどん、気持ちが透き通っていくように感じていました。

フィリピンの台風災害の支援活動に参加しまして、去年の2月には有馬清朋師と一緒にインドにもご奉公に行ってくれました。デリーとか、ブッダガヤとか、ラージギル、霊鷲山と、本当に彼は、最初に抱いていた夢を叶えるかのように、海外の御弘通の最前線に立っていったんですね。そして、今回のネパールの支援活動でした。

清康師が涙ながらにさせていただいた、もうぐちゃぐちゃで大変だったネパールでの支援活動でお計らいをいただいたという報告を聞いて感激し、夏前から自分の生き方としてこのままこの仕事を続けられるだろうか、違う道があるんじゃないか、と悩んでいましたが、「僕も、生まれ変わるためにネパールへ行きたい」と志願して、野﨑隆雄さん、黒崎とし子さん、そして法深寺の石田君と一緒に、ネパールに行くことになりました。

これが、僕と、彼が、一緒の、最初の海外弘通の現場だったんですね。本当に「あぁ、そうかあ」と思っておりました。しかし、残念ながら、ネパールに着いて最初に私がしたご奉公といえば、旭の死を看取ることになってしまいました。

ネパールでは、本当に皆さんには想像も付かないような悪路を、首都カトマンズから支援先のサムンドラデヴィという村までは三時間車で走ります。その三時間は身体が10センチ、20センチ、30センチと、ずーっと飛び上がるような悪路なんですね。その村について皆と触れ合いながら、モンスーンも終わっていてこの三回の中では一番安全な状態の作業が続いていたんです。

一日目の作業が終わると、皆で火を囲んでギターを弾いたり話し合ったりして、自己紹介をする時に、彼は得意な英語で「僕は生まれ変わるためにここに来ました」と挨拶をしたそうです。

そして「誰か日本の歌を歌ってくれない?」と言うと、彼がギターを手にして「はい!」と一人だけ手を挙げて、弾けもしないギターを手に持って歌を歌った。「見上げてごらん夜の星を」という曲を。全然年代も違うから「なんで旭君、そんな素晴らしい歌を知ってたんだろうな」と後でも思いましたけれども、「見上げてごらん夜の星を」と「島唄」というのを歌ったというのです。本当に、ネパールは、星が落ちてくるような満天の夜空なんです。

そして、翌日、彼は朝少し早く起きて、「お看経をさせてもらいたい」と言い、一人でお看経を始めると、子どもたちが旭君の横にちょこんと座って「南無妙法蓮華経」「南無妙法蓮華経」と、御題目をお唱えしてくれたと。旭は、海外弘通を、本当にしていたんですね。

安全な作業で、昨日と同じように土嚢を積めていたのですが、支援物資を運んできたトラックが村の手前の坂まで来まして、それが物資を降ろした後だったそうですけれども、坂を上がれなくなった。みんなで押したり引いたりしようという中に旭も加わった。その中、一番前ではなかったが、みんなの力によってググッとタイヤが土を噛みまして、グッと坂を上ってきた。それぞれ避けましたが、二番目の旭が倒れてトラックのタイヤの間に体がグッと入った。その後、彼は意識もあったとのことです。僕も連絡を受けた時には「骨折かひびが入っているのではないか」と聞いて、少し安心していました。

しかし、村からカトマンズまで、トラックやラウンドクルーザーで彼を搬送しようと、兼子清顕師、黒崎とし子さん、インド人信徒のシェーカー、イギリス人信徒となったジェシーが両手を握りしめ、体を支え、顔を支え、体の飛び跳ねるような悪路ですから痛かったと思うんですが、「痛い」という言葉を、すべて「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経…」という御題目に代え、旭は唱えていたそうなんです。そして、車の中で容体が急変していった。

死亡診断書では「鈍的損傷」と、鈍い力で内臓のどこかに圧迫があったのだろうという診断でしたが、私が警察と一緒に旭の全身を確認した際、本当に外側には外傷がほとんどなく、赤い擦り傷が右の脇腹の所と右の腿の所にちょっと付いているくらいで、本当にきれいな姿だったんです。けれども、痛かったと思います。それでも、最後の最後まで、旭は御題目をお唱えになっておられた。

もう、何十分、一時間、二時間、簡単に遅れる、雑然としたネパールの中で、あまり情報のない中、「じゃあ村に行かないで旭を待っていよう。」と言いながらいたんですが、「もうすぐ旭が病院に着くから行きましょう!」と言って、大渋滞の中を車で走っていって、病院のような建物が向こう側に見えて、病院の入り口まで来たら、向かい側から大きなラウンドクルーザーというジープみたいな車がちょうど病院の門に入るところでした。

「おい!あれじゃないのか?!」

すると、ラウンドクルーザーが黒煙をブーっと吐いて、猛スピードで病院に入っていくので、「おい!あれだ!!」と叫びました。車内をみたらイギリス人のご信者さんが心臓マッサージをしているような素振りが見えまして、「おい!!心臓マッサージしてるの!?なんでだよ!!」って叫んで、僕らの車も病院に入って行きました。ちょっと遠いところに僕たちの車は停まったので、走って救命救急の入り口まで行きましたら、ラウンドクルーザーが停まって、ぐったりとした旭がいました。すぐに君を抱きかかえてストレッチャーに乗せました。もうその時には旭の力はなかったので、まさに死を看取ることになったのでした。本当に、そのタイミングからして、「一体何なんだろう?どうなっているんだ?」と。

 僕と旭は、彼の抱えていた病もあって、次々に旭自身が抱えている、葛藤なのか、いろいろなことを、旭は相談してくれました。過去のことから現在起こっていることまで、こんなことがあった、あんなことがあった、こう思う、ああ思う。それが、そのとおりの気持ちもあれば、妄想や幻想や幻聴など、いろんなことがあったかもしれない。でも、次々に湧き起こる気持ちを整理するために、「旭、ノートを付けよう。交換日記をしよう!それに僕も答えるから。もう一度同じ気持ちが起こったら、僕が書いた答えをもう一度読み返して、整理していこうよ!」と言って何年も前にそれを始めたんです。僕との交換日記はずいぶん前に終わりましたが、彼は湧き起こる気持ちをノートに書き留めてゆくということを、死の直前までしていたんですね。もう14冊目になっていました。13冊目と14冊目を、旭はネパールに持ってきていて、彼が亡くなった後にそのノートをみんなで読み返しました。

「こんなこと思っていたんだ。旭。」

もう、それはいろいろな過去のことに囚われていること、「まだ逆恨みしているんじゃないかな」とか「こんな風に思っていたんだ」とか、いろんなことが書かれていました。言上もさせていただきましたが、こんな言葉もありました。

「ご宝前様よ。本当にこの世にいて、俺に道をくださるなら、なるべく、いや早く俺を死なせてください。そして、来世は“今世の張良”と言われるくらいの英傑、東郷重位にも負けないくらいの武人、強さを持つ織田信長公や初代ウェリントン公、ナポレオン、児玉・大山大将、西郷隆盛、ランヌ・シャープくらい知略、人徳、武威、人格、優れていて、上に立つ、素晴らしい人間に生まれ変わらせてください。」

13冊目の後半か14冊目の始め。

「ご宝前様よ。本当にこの世にいて、俺に道をくださるなら、なるべく、いや早く俺を死なせてください。」

苦しかった青春時代から今の今まで、「よかったな~」と思ったら引き戻される心の闇、いろいろなことがありました。彼はこんなことを考えていたのか、と。もし、旭が目の前にいたらひっぱたたいてやりたいと思うけれども、「仕方ないなお前は。そうじゃないだろ。」って教えてあげたいけれども。本当に、旭は英雄が好きで、憧れていたんですね。本当の自分は、屈辱感や、いろいろから離れられない、そんな自分だったのに、理想は高くて、そうなりたいって思っていたんだと思う。

でも、本当に、いま振り返ると、あの村の人たちは、「ネパールの政府も、国連ですら支援してくれないところに、はるか遠い日本から支援に来てくれた、しかも、ここで、事故で亡くなってしまった。旭君という方は、仏さまの子どもじゃないですか!」「私たちは永遠に彼を讃え、彼の写真を教室に飾って、彼を英雄として讃えたい!」と言いました。純粋な菩薩行の中で、ご弘通の最前線に立って、心は如何ように思おうとも、考えは如何ように起ころうとも、彼はご奉公に身を投じて、ご奉公をしている最中に、いろいろな人生を抱えていたけれど、難に遭い、しかも臨終の際まで、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と「唱えて、唱え死に死ぬるならば」と、如説修行抄第六段のとおりにご奉公をなさったお方。羨ましいくらい。

「生まれ変わりたい」と日記に書き、「生まれ変わるためにここに来た」と言っていた旭。小原御導師がご到着になった後、教えていただきました。11月16日に亡くなった旭君。49日目が1月3日、旭君の誕生日だったと。

妙深寺の私たちは知っているはずです。佛立魂の、先住のお怪我の時、意識が戻った、蘇ったその日が、事故から49日目で、びっくりしました。この妙深寺のある横浜市神奈川区を震源に震度4の地震があって驚いていたところ、病院から連絡があった。「ご住職がスゴイの!ぜんぶ分かるの!」と。

此の岸から彼の岸に行くと言われる49日目。「旭が望んだとおりなのかな。」と、御導師のお話を聴きながら、その亡くなった日と、誕生日の符合を、こんなこと、誰にも全く描けない、書けない。一年は365日あるんですから、一日前でも、一日後でもいい。しかし、それがそうならない。この妙法蓮華経、御法の恐ろしくも、有難い尊さ。

お母さんや妹さんや御導師が、旭と初めて会ってお題目を唱えた時、ネパールでまた地震が起こりました。マグニチュード5.3。彼の帰国した11月22日、午前8時20分、成田空港近くの茨城県を震源に震度4の地震。法華経を説かれる時にも「瑞相」としての地震があったと記されています。もちろん、悪い地震もあるけれども、「瑞相」としての地震もある。確かに、法華経には「六種震動」とある。だから、先住も目覚めるときに地震があった。やっぱりこれはサインだ。やっぱり御法さまは生きてまします。旭が、何か喜んで、伝えてくれてる。どう考えても、これは普通じゃない、と。凡夫の頭では到底計れない。悲しみだけでは語れない。それを乗り越えた向こう側に、真実があるんだろうな、と。

他にもノートにはこう書いてありました。

「無駄死にか 無駄死にか だけどよ、自分の死によって誰かの命が繋がるっことてのは無駄死にか?」

「あんな遠くまで行って、旭くんは事故に遭って死んだみたいだね」「かわいそうだね」と、そういう人もいるかもしれませんが、自分でノートに

「無駄死にか。だけどよ、自分の死によって誰かの命が繋がるっことてのは無駄死にか?」

こう書いてある。そうじゃないですよね。無駄死になんかじゃないってことを自分で証明してます。

他にも、こんなに思ってくれてたんだっていうことが、書いてありました。

「ありがたい、ありがたい、私は普通の人よりも何倍も、何倍も恵まれている。長松ご住職出会えたことに、感謝だ、感謝だ。」

「普通の人なら、長松ご住職のような方に会えずに、自殺してしまう方だって、世の中にはたくさんいるのに、俺は、信心、ご宝前、長松ご住職、黒﨑さんと出会えた。すごい、恵まれているな。幸せだ。幸せだったんだ、今の、今の、今まで気付かなかった。愚かだ。」

「精神疾患になったのもお計らいや。ご宝前様からのお計らいなんだ。この病気しなかったら、長松ご住職とも、黒﨑さんにも、あえへんかった。色々な深い業にも気付けなかった。自分自身にも。安彦さんにも会えなかった。ご宝前様は本当にありがたい。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」

本当に、宮沢賢治さんの黒革の手帳のように、旭自身が綴っていた言葉なんです、これが。これを果たして、どうして、どうやって、簡単に、「あぁかわいそうだね」っていうだけで、流せるでしょうか。

僕はもう、これから旭くんとこれから生きていくしかないなと、覚悟を決めました。本当に、佛立魂、先住の大怪我とも、勝るとも劣らない、ものすごいご奉公だったんだ。これを、ご奉公の、本気の、本当のご奉公の意味、それを、今私たちも、残された僕らもわかっているか?いうことと含めて、拝見させていただかなきゃいけないと思うのが、今日の御教歌なんです。

 法華経の迹門にも、「我不愛身命 但惜無上道」と、「我、身命を愛さず、但(ただ)無上道を惜しむ」とあります。私は、この体も、この命も、愛しません。それだけが大事だとは思わない。無上道、この命を、この体を、折角人間に生まれて来たのだから、この上なく価値あるものとするために、頑張ります。そのためだったら、頑張ります。「我不愛身命 但惜無上道」と、この道の方を惜しむ。

涅槃経疏巻十二『菩薩品第十六』にも「身軽法重(しんきょうほうじゅう)・死身弘法(ししんぐほう)「身は軽く、法は重し。身を殺して、法を弘めよ」とある。生まれ変わり、死に変わりしてゆく中、いたづらにこの身、この命を失うことはあるけれども、そんな自分よりも、ありとあらゆる人の心の闇を照らす、人びとのために、この社会のために、あるべき本当の秩序を取り戻す、この御法さまの方がはるかに重たい。だから、この体は軽くて、御法さまの方が重たい、そう考えると、「死身弘法」。「死身弘法」っていうのは、身を殺して、法を弘む、と書きます。

法華経の本門にも、「不自惜身命」「自ら身命を惜しまず」とある。私は、この体、命を惜しみません。ご奉公のために頑張ります、と。

 私たち、こういう御教歌をいただくと、「いやいや、とてもとても、私たちにはできませんね、申し訳ないけれども」と思うけれども、いやいや、では何のために信心してるのか、何のためのご奉公なのかと思えば、もう少し重く、その意味を噛みしめて、ご奉公させていただけるはずだ、と。

この御教歌の、お書き添えの御指南を拝見しますと。

「現賞、現罰、経文少しも疑ひなし。之を信ぜよ。」
「過去を思へば皆煩悩の為也。今生ははじめて也。」
「弘通広宣を歓ぶ。信者の常也。」
「煩悩で死ぬことなかれ。」

このように、お示しです。

すべて現証のご利益としての「現賞」「現罰」。確かに顕れるこれらを見れば、「経文に、少しも疑いなし」。本当にこのご宝前は、生きてまします御仏。凡夫では到底考えつかないシナリオ、いいことも、悪いことも含めて、完璧なタイミングで、ご信者、私たち一人ひとりに、現証を顕してくださる。もう一分も疑いようがない。ご信心以外にない、と。

私たちの生まれ変わり、死に変わりの過去を振り返ったら全部、煩悩のためだったんじゃないか。その時は「よし」と思っているけれども、自分の欲を満たすためばかりで、御法さまのためになんて生きたことがないかも知れない。我が子を愛し、我が伴侶を愛し、いろいろなことを頑張って、それぞれ目の前のことで精一杯の時もあるけれど、そのままでは、何度も同じ、前回も同じだった。「今回は違う」という生き方ができるはずだ、と。できましたか?出来ていますか?

ご奉公は、町内会のお手伝いじゃないですもんね。しかし、最近「ご奉公」って言うと、何か「お役いただいたから」とか「いやいや、ちょっと手伝ってあげますよ」とか。「させていただきます」ではなくて、ご奉公を「してあげる」みたいに考える人が多い。ご奉公とは、そんな簡単なもんじゃない。町内会のお手伝いをしているような感覚と変わらないご奉公など、佛立仏教徒のご奉公ではない。町内会のお手伝いで人生観が変わった、人生が変わったって言う人はほとんどいないはずです。僕らは違うんです、このご信心、この御法門、こういう教えで、人生観が変わらなければいけない。それが信心だ。それがご奉公だ。今回の人生は、こう使おうと。旭が、教えてくれているのは、このことではないかな、と。

考えは、いくらでも浮かびます。僕たちは、一日に数え切れないくらいの念慮が起こります。好きだ、嫌いだ、やりたい、欲しい、なんとかかんとか。旭もそれには苦しんでいたはずだ。次々に湧き起こる、自分の雑念、いろんな念。

だけど、それに、囚われていたら、いつまでもご奉公はできないし、迷いの衆生のままなんです。だから、「心は如何ように起ころうとも」、「ご奉公に身を投じなさい」、「ご奉公の場に身を置きなさい」と言う。置いたら、一大ご利益、一大定業能転の、大、大ご利益を顕す、と。

「行きたい」「行きたくない」「美味しそう」「美味しくなさそう」「プラスになるかな」「マイナスになるかな」と、そんなことはどうでもいい。いろんな思いが湧き起こる中で、でもご奉公の場に身を置いて、ご奉公をさせていただきなさい、と。そうしたら、自分は罪障の深い、謗法のある凡夫かもしれないけれども、「人と生まれし かひはありけり」だ。だから、ご奉公させていただく。

「のりのため 御奉公にてしゝぬれば 人と生まれし かひはありけり」

かの英雄、小原旭。本当に、真実出家、正にお手本を見せてくれたような、本当に悲しみは尽きないですが、このことをお伝えさせていただいて、一人でも信心改良して、ご奉公成就して、ご利益の道を歩むことができれば。

甲斐ある一生、御法さまにお出会いすることができた、またとない、今生の、今回だけの、最高、最良の生き方、その道はご奉公にあると、お教えいただいた御教歌でございます。

故に、御教歌に、
「のりのため 御奉公にてしゝぬれば 人と生まれし かひはありけり」

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