また声が出なくなり、参っておりますー(涙)。
これ、毎年この時期になっているような気がします。気をつけないと。
青少年の一座の翌日、月曜日は江間さんのお通夜、昨日は告別式を勤めさせていただきました。
大正15年、横浜の野毛に生まれた江間さんは94才。
とにかく毎日お参詣されていた、ずっと子どもの頃からお顔を見ていた、明るく楽しいおばあちゃんでした。
まごころをこめて、お見送りさせていただきました。
必死に歎徳を言上させていただき、御題目をお唱えして、昨夜の教講幹部会議が終わったら、カスカスになってました(笑)。
すいませんー、江間さん。
コレイア御導師とゆっくり過ごせて本当に勉強になりました。
コレイア御導師の御法門もお話も素晴らしいのですが、何よりもその所作振る舞いを見ていて、「こうでなければならない」「見習わせていただかなければならない」「本来はこうだったはずだ」と気づかせていただき、改良させていただこうと思えるのです。
御教歌
「信心は所作振舞にあらはれて ものしりくさいところにはなし」
「教主釈尊出世の本懐は人の振る舞いにて候ひけるぞ」日蓮聖人・崇峻天皇御書
こうして教えていただいているのに、なかなかコレイア師のように自然体で人の心や懐に飛び込み、受け身ではなくこちらから声をかけ、その話に耳を傾け、ご奉公できている人は少ないから。
正しいご信心に出会ったからと言って、ご信心していない人を見下し、謙虚になるのではなく尊大になっていたら話になりません。
自分の言いたいことばかり言って、全く人の話を聞かない人もいます。
そういう間違った所作振る舞いを肯定するような解釈も成り立つのは不思議です。
境内地に入ってからの、本堂に入ってからの、コレイア師の動きを見ていて欲しいです。
ほぼそこにいる、お参詣された全員に声をかけ、ご挨拶をされています。
お一人の方が長い話をされていても嫌な顔をしない。しかし、その隣を通り過ぎてしまう、まだご挨拶できていない方が帰るのを寂しそうに見送っている。
後ろに目が付いているのではないかというくらい、配慮に配慮を重ねて、ご奉公されているのを、痛いほど感じます。
気づいても、すぐに出来るようになるというものではありませんが、固定概念を打ち破り、あらゆる機会をかけがえのないご弘通の機会だと打ち定め、思い定めて、ご奉公するしかありません。
ご信者さん一人ひとりの手を握り、肩を抱き、目を見つめ、耳を傾け、共に泣き、共に御題目をお唱えして、もっと泥臭く、もっと人間臭く、凡夫臭く、がむしゃらにご奉公させていただきたい。
そう改良を誓い、情けない自分を変えなければならないと、まだまだ挑
続けたいと思います。
一人ひとりと向き合いたい。
コレイア御導師のご奉公を見ていると、やはりご弘通の低迷は住職や教務の責任、その所作振る舞いの表れと、つくづく思い知らされました。
コレイア師と初めて会ったのは1980年、僕が11才の時でした。
あの頃は、お互いにお猿さんでした(笑)。
写真を見ると、本当にコレイア師は猿みたいに柱にぶら下がっているし(笑)。
そうそう、青少年の一座で、最初にブラジルに行った時に出会った、ユキちゃんのお姉さまとお会いしました!
僕、あの時、好きになっちゃったんです(笑)。
ブラジルの初恋の人ですー(笑)。
半分冗談ですが、ブラジルの中野さんのタンキ(池)で遊んだ同世代の子たちの中で、ユキちゃんは本当にかわいかったー(笑)。
みんな、遠く離れていても、ご信心でつながっていて、ありがたいです。
今回、コレイア御導師が日本に来ている中で、溝口昭さまが帰寂されたそうです。
茨木日水上人の甥であり、コレイア師の菩提親。ブラジル本門佛立宗の大功労者です。
私も前々回のブラジルで、溝口さんのお宅へお助行に伺いました。
日博上人のこともよくご存知で、本当に偉大な存在でした。
コレイア師の菩提親になる時、本当は嫌がっていたと聞きました(笑)。すぐに逃げたり、辞めてしまうだろうと思って(笑)。
しかし、そうはならなかった。
僕がお助行に伺った時には、何よりもコレイア御導師をお敬いし、生涯最後の護持御本尊の御染筆をお願いされていました。
お手本ですね。
本信院清勲法水日昭大居士。
南無妙法蓮華経。
本当に、いろいろありがたいです。
ありがとうございます。
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