2021年4月12日月曜日

シリーズ『仏教徒 坂本龍馬』 #3 福岡孝弟(藤次)のこと


先日、白井貴子さんから福岡孝弟のご子孫のお話を聞きました。神奈川県にお住まいで、とても尊い活動をなさっているそうです。
さすが。

当然ながら、自分の著書『仏教徒 坂本龍馬』にも福岡孝弟(藤次)に触れた箇所がいくつもあります。重要な局面で、龍馬にとって欠かせない役割を果たしたのが福岡です。海援隊の発足にも関わっています。

下記にピックアップしてみます。

「龍馬と後藤は大政奉還論を説き歩き、武力討幕を主張する薩長を抑えることに力を尽くした。この時、坂本龍馬と後藤象二郎、そして長岡謙吉は、京都でギリギリの交渉を行った。そして、土佐藩の寺村左膳・真辺栄三郎・福岡孝悌らが彼らの活躍を見守っていた。寺村は、「寺村左膳手記」「寺村左膳道成日記」を著してこの緊張の時期の情勢を詳細にわたって後世に伝えている。」


「海援隊日史によれば、この幕末史上異色の存在であり、多大な功績を残した龍馬の海援隊は、福岡藤次が命を受けて長崎まで来た時からスタートする。つまり、「土佐の海援隊」は長崎で生まれた。

慶応三丁卯四月、本藩福岡藤次、命ヲ奉シテ長崎ニ来ル。時ニ才谷梅太郎、馬関ヨリ至リ、命ヲ拝ス。其文ニ
坂本龍馬事 才谷梅太郎
右者脱走罪跡被差免、海援隊長被仰付之。
但、隊中之処分一切御セ被仰付之。
卯ノ四月

この後に朱筆で(この時代のこととて誤字もあるため適宜修正する)

一、才谷既ニ此命ヲ拝シ、七八年間共ニ他国ニ浪遊シ、海軍ヲ皇張シ、誓テ王事ニ死セント約セシ本藩、他藩ノ脱生二十人計リ皆此隊中ニ入ル。
文官、武官、器機官、測量官、運用官、医官等ノ課ヲ分ツ。水夫火夫ヲ合セテ五十人ヲ得タリ。

とある。」


「慶応四年三月十四日、由利公正が起草し、福岡孝弟が修正し、木戸孝允がさらに修正を加えて成案となった「五箇条の御誓文」が新政府の基本方針として発布された。龍馬の精神を受け継ぎ、龍馬によって新政府に出仕したと言える由利が、その国家ビジョンの根幹を成す「民衆の権利」やその民衆を代表する「貢士(代議士)」をもって新政府方針の骨格にすべく提案していたことが分かる。」


「事実、この「新日本建設に関する詔書」(人間宣言)には、昭和天皇の意向によって冒頭に明治天皇による「五箇条の御誓文」が入れられた。それはつまり、これから始まる戦後の民主主義が、戦勝国によってもたらされたものではなく、日本人同士が、青年たちが、家族と別れ、国を捨て、命を擲ち、身分差別のない、明るく、自由で、豊かな日本の再生を夢見て達成した、あの明治維新の根本の理念に、天皇自らが立ち返るという宣言であったのである。すでに見てきたとおり、「五箇条の御誓文」は、福岡孝弟や木戸孝允による修正はあったものの、龍馬の「船中八策」や「新政府綱領八策」を基軸として三岡八郎(由利公正)が起案し、明文化されたものである。龍馬の精神、思想の復活であった。明治維新から七十七年目にして龍馬の描いた日本が昭和天皇自身の言葉によって息を吹き返した。日本人はここに至ってようやく偏った思想やその呪縛から解き放たれたと言っていいだろう。」

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