3月2日、長松寺のご宝前を荘厳し、偉大なる祖父・大僧正日峰上人の御33回忌法要を、呉・妙泉寺ご高職・藤本日涌御導師にご唱導いただき、無事に営ませていただきました。感慨無量のことでした。
幕末維新の仏教改革者、開導聖人は明治23年(1890)にご遷化になられました。
明治32年(1899)に日峰上人はお誕生になられ、平成2年(1990)年にご遷化。開導聖人のご遷化からちょうど100年目に当たりました。
そのご遷化から10年後の平成12年(2000)に、父・松風院日爽上人はご遷化になられました。わずか10年。
平成2年から平成12年までのこの10年間こそ、本当に激動の10年間でした。若かった自分ですら、本当にこのことを痛感しました。
戦後の復興から経済大国へ。豊かで平穏な時代は戦火に斃れた人びとや復興に汗した方々のおかげ。慢心と欺瞞がバブルを生み、そして弾けた。
それぞれの視点があると思いますが、私にとっては平成2年、日峰上人のご遷化が、時代の大きな節目です。幼い自分の目に映った平穏で豊かな時代は終わり、混沌とした時代が始まりました。
日峰上人のご遷化から日爽上人のご遷化までの10年間はまさに激動の時代。
平成4年、大学を卒業して本山へ修行に入った年、ピンポイントで大混乱を目の当たりにしました。一年前でも、一年後でも、あの体験は出来ないし、こんな感覚にはならないはずです。あの時の体験は心的外傷というか、暗い影を残しました。今生の課題です。
先住の10年間。本山の執事長のご奉公があり、佛立魂の原点となるお怪我もあり、医学的に奇跡としか言いようのない回復と復活がありました。どれほど嬉しかったか分かりません。
私が社会勉強をし、それをズルズル延長しようとしていた矢先、病気が発覚。あの頃、私は佛立教務を辞めて、在家の弘通部長となってご住職を支え、妙深寺を盛り立てていくなどと息巻いていました。ある意味で絶望していた。当然それは間違いでした。
先住は何度も私のために現証を見せ、命を削りながら信心を教え、改良させてくださいました。そして、平成12年、2000年の6月14日にお亡くなりになられました。
いま、日峰上人のご遷化から32年、先住のご遷化から22年。コロナ禍もあり、ウクライナ戦争もあり、さらに混迷の世の中です。
私の使命は祖父や父から受け継いだ佛立魂を護り、佛立魂を失わず、命がけで「生きた仏教」をお伝えすることです。
人間にとって大切なのは、目に見えるものより目に見えないもの、ハードよりソフト。そのソフトの中で、最も重要で貴重なソフトが「仏教」だと確信しています。仏教にもいろいろありますが、生きた仏教、本来の仏教、プリモーディアルな、普遍的な仏教を、お伝えしたい。
そのことに、命を削りに削って、向かっていきたいと思っています。
藤本御導師を前に、そのような気持ちの一端をご挨拶申し上げ、ご霊前に新たな誓いを言上いたしました。
強烈、猛烈なスケジュールでしたが、なんとか終わりました。今夜は長松寺のお総講を勤めさせていただきます。よろしくお願いいたします。
ありがとうございます。
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