2026年5月31日日曜日

佛立スカウト、秋山貞子姉

 



















本門佛立宗がスカウト活動に取り組み始めたのは大正14年(1925)3月のこと。翌年には正式に発団しました。創設にあたり中心的にご奉公していたのが祖父・長松現延師(大僧正日峰上人)であったことを知りました。これほどとは知りませんでした。


昭和8年1月1日発刊の機関誌『佛立健児』に、長松現延師が草創期からのご奉公を振り返って一文を寄せ、設立から8年間を回顧されています。当時は「スカウト」を「少年団」や「義勇軍」と呼んでいました。


戦争で解散させられましたが、昭和 31 年(1956)3 月 22 日、本山宥清寺にボーイスカウト京都第 29 団が結成され15 年ぶりに活動を再開、4 年後の昭和 35 年 7 月 13 日にはガールスカウト京都府第 29 団も発足しました。


この時の中心的なリーダーは長松現延師の四女・秋山貞子姉でした。本山宥清寺の一の間で撮られた発足式の記念写真を見ると、後のガールスカウト京都支部長の長松千鶴子姉をはじめファミリーが勢ぞろいしています。なんと、そこに長松清涼師と結婚する前の、母・寿美江も写っていました。不思議です。


ボーイスカウト、ガールスカウトの生みの親、創始者ベーデン=パウエル。そのベーデン=パウエル卿の妻、オレブ女史が来日した際、秋山貞子姉や田中妙子姉が握手している写真もありました。すごすぎ。


昭和 37 年(1962)11 月、オレブ夫人の来日を記念して「ガールスカウト大会」が開催された時には美智子妃殿下もご臨席になられました。この時も貞子姉は代表して出席しています。後の戸隠などでも、妃殿下のご接待係をなさったそうです。


「佛立スカウトのうた」や「佛立スカウトラリーの歌」の歌詞はこの秋山貞子姉が書いたもの。今でも佛立スカウトの集会で歌い継がれている曲です。


生前、青少年教育への永年の功績を認められて文部大臣賞を受賞されてました。佛立スカウトを代表するお一人が秋山貞子姉でした。


こうした史実もご紹介しています。よろしくお願いいたします。


下記は昭和8年1月1日発刊の機関誌『佛立健児』、長松現延師(大僧正日峰上人)の寄稿文です。


「『佛立健児』発刊に際して 長松現延


一望目の遮るものとてもなき外海の色は、真面に映ずる太陽の反射に何時しか拭うが如く瞭りした深緑の水の面へいとしめやかに新春の空気は世界に誇る我が大日本帝国の地上に漲っている。


我等同志の機関雑誌『佛立健児』は東天の旭日の如く昭和八年の新春に魁して茲に其の初産(うぶ)の聲を高らかに挙げて佛立健児の頭上に光々と輝かんとするものである。


同志よ。我が佛立健児よ。よくこの誌を愛読し、援助御鞭撻在らんことを希ふ。回顧するに去る大正十四年の春三月、少年団の組織を我が佛立講内に志して茲に八星霜、今々聯盟組織の確立と共に兄弟相和し、信念教養に盡力し今日に至る。然るに今我等の為に『佛立健児』の発刊を観て、益々発展し外に流れずに内に能く学びを得て、両翼相待って世上の模範となる佛立健児の向上努力を切望す。


日扇上人の御教歌に。

友達の遊ぶにつれず精出して 学ぶを我の楽しみとせよ」

0 件のコメント:

佛立スカウト、秋山貞子姉

  本門佛立宗がスカウト活動に取り組み始めたのは大正14年(1925)3月のこと。翌年には正式に発団しました。創設にあたり中心的にご奉公していたのが祖父・長松現延師(大僧正日峰上人)であったことを知りました。これほどとは知りませんでした。 昭和8年1月1日発刊の機関誌『佛立健児』...