2005年4月20日水曜日

オクラホマシティーへ

偶然は無い。全ては必然である。また、そう思えることがありました。
私たちのルートは、ある意味では決まっていないようなもので、主要な都市を指定して距離を逆算し、収録の時間などを考慮しながら臨機応変に進めていくというものでした。
昨日、モニュメントバレーを後にして、少しだけコロラド州に入りました。そこには川の側に立つカフェがあり、開拓時代からの展示物も飾ってある、とても落ち着く空間だったのですが、そこから同じ道を戻って、セドナという街まで南下するルートを当初は考えていました。セドナは精神的に特殊なエネルギーに満ちているなどと言われている街で、私はその真偽、ルーツなどについて調べてみたいと考えていましたが、余りヒーリングなどのブームを好きになれない気持ちや、同じ道を戻ることが時間を無駄にしているのではないかと思って、そのまま大きく迂回しながらルート40(古のルート66と言われています)を東に向かうことにしたのです。
ずいぶんと車を走らせ、ホテルに着いたのですが、そこであのオクラホマシティーの連邦政府事務所の入ったビルが爆破されてから、明日の9時3分でちょうど10年目とのこと。こんな機会は二度とない、そこで行われるセレモニーに出席しよう、と思い立ちました。考えてみれば、あのオクラホマシティーで起きた悲惨な爆破テロは、168名の方の命を奪い、911に続くテロの線の中でも重要な位置にあると言われてきました。グランド・ゼロを目指して旅している者を、何か導かれてオクラホマシティーに連れて行かれているような、そんな感覚になりました。オクラホマシティーまでは車で30分、そこに9時までに到着し、御衣を着けさせていただき、亡くなった方々、何よりそのご家族と共に、宗教宗派を超えて、本門の御題目でご回向させていただきたいと。そう思って、とにかくテロの起きた跡地、記念式典の行われるモニュメントまで行きました。

0 件のコメント:

幸の湯、常さん、北九州

帰国後、成田空港から常さんの枕経へ直接向かいました。 穏やかな、安らかなお顔でした。こんなにハンサムだったかなと思いました。御題目を唱え、手を握り、ご挨拶できて、よかったです。とにかく、よかったです。 帰国して、そのまま伺うことがいいのか悩みました。海外のウイルスを万が一ご自宅へ...