2005年4月20日水曜日

ダラス、あの場所

私は今ダラスにいます。
オクラホマシティーから真っ直ぐに南下すると、テキサス州に入ります。ダラスはアメリカを象徴する歴史的な都市であり、永遠に記憶に刻まれた恐ろしい出来事が起きた街でもあります。
昨夕、このダラスに到着し、歩いてジョン・F・ケネディ大統領が暗殺された場所、エルム通りの教科書倉庫前まで行きました。近代史の流れを大きく変えたのではないかと考えられる大事件であり、図らずも初の衛星放送でこの事件を報じることになった日本でも、このニュースの衝撃は大きなインパクトでした。

1963年11月22日12:30(日本時間23日5:30)アメリカ大統領ジョン・F・ケネディがテキサス州ダラスでパレード中、何者かによって射殺されました。事件のわずか80分後、元海兵隊員のリー・オズワルドという男が犯人として逮捕されます。しかし、そのオズワルドは2日後護送中にクラブ経営者のジャック・ルビーという男に射殺されます。そして、そのルビーもその後まもなく死亡。死因は「癌」とされていますが、詳しいことは分かっていません。映画にもなり、様々な憶測があり、オズワルドやルビーの周辺で幾人もの人が謎の死を遂げていることが指摘され、単独犯行説は完全に否定されつつ、やはりその真相は闇の中です。
ただ、結果として、当時ケネディ大統領はベトナム戦争から撤退しようとしていましたが、暗殺後の大統領たち、つまりジョンソン、その後のニクソンはいずれも戦線を拡大させ、アメリカは泥沼に陥ります。ケネディは、63年までに情報機関の策略などで超大国同士に危機的状況が起こらないようにクレムリンとホワイトハウスにホットラインを引き、63年8月末にはイギリス、ソビエトと共に部分的核実験停止条約を締結した。続けて、傀儡政権との切れぬ関係にあったアメリカを「米軍の完全撤退計画」を推し進めた。さらに、ケネディは「石油消費税27.5%」という税法の抜け穴を撤廃する案を提出しており、大規模石油会社を大きく動転させていました。最も動転し、大打撃と恐れたのは、リンドン・B・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、ジョー・マッカーシーなどを支援し、巨額の寄付をし続けていたダラスの石油億万長者、H・L・ハントだったでしょう。しかし、これらは複雑に絡み合った糸の一部で、何の確証もありません。

ただ、近代史が、この事件をきっかけに大きく変わってしまったことは事実です。そのことによって、世界史が変わり、思想の流れが変わり、多くの人の人生が変わったのではないでしょうか。私は、ガンジー氏の暗殺、キング牧師の暗殺、ジョン・F・ケネディー、ロバート・ケネディの暗殺、そしてジョン・レノンの暗殺、その「暗殺」という恐ろしい行為と、その衝撃、陰謀の有無によらずその奥に潜む人間の愚かさ、恐ろしさを思います。しかし、私たちの社会を大きく変えてしまったことは事実で、今でも政治的にも、思想的にも、大きな影を落としていると思います。この場所に立つと、歴史の重みを感じずにはいられないのです。

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