2008年3月22日土曜日

L.A.でのご奉安

 ひろし君とアメリカを横断したのは、TJSという日本語ラジオ放送局の番組収録のためだった。

 番組名は「ブッディスト・トランス・アメリカ」。「仏教徒の眼を通してみる現代アメリカ」という企画で、ロス・アンジェルスからニューヨークまでを走り抜けた。その番組でお世話になったラジオ放送局の中田社長が、ウィークデーだというのにL.A.の空港までわざわざ迎えに来てくださっていた。本当に有難い。

 あのアメリカ横断の番組から3年以上が経った。今回、ブラジルへのトランジットという僅かな時間だが、あれ以来久しぶりに訪れるアメリカ。懐かしい気持ちすらする。最初にアメリカを訪れたのもブラジルに行く途中だった。当時、私はまだ11才。少年の眼に映った「アメリカ」は衝撃的で、すぐに憧れの国になった。

 スポーツをするようになり、ジェットスキーのワールドファイナルを観戦するために18才で訪れたのが二度目の「アメリカ」だった。L.A.からネバダ州のレイク・ハバスまで。少年から青年になったが、アメリカはさらに刺激的な国として映った。スポーツを育む文化やそれに熱中している人たちの姿に感銘すら受けた。カリフォルニアのカラッとした空気と風土、空の高さに、青年になっても魅了されたものだ。それ以来、何度となく公私共にアメリカを訪れてきた。

 仕事をしていた当時、「X-Sports」という番組のプロデューサーとして冬山にクルーを連れてロケに来たり、X Gamesの収録で何度となくアメリカを訪れた。変な経歴を持つ住職だが、仕方ない。

 ESPNでの仕事、特にWinter X Gamesの取材中だったと思うが、空港に荷物が届かず、慌てて車を飛ばし、クルー全員でデンバーまで機材を取りに行ったこともあった。前田さんもひろし君も今ちゃんも一緒だったなぁ。あの、真っ暗闇の高地で見た星空は忘れられない。鮮明に覚えてる。スリランカの奥地で見る夜空と同じくらい綺麗だった。

 ミシシッピ川の縦断をしたこともあった。ヒロミさんの情熱でお茶を飲みながら話していたことが現実になった。総勢約40名のスタッフと共に、ジェットスキーでミシシッピ川を源流からメキシコ湾まで6000キロ走った。メキシコ湾に着いた時には海の上で涙が出た。テレビ朝日系列のお正月番組として放送されたが、本当に、人生でまたとない経験をさせていただいた。ミシシッピ川流域での人とのふれあい、風景、ヒロミさんをはじめ、朝から晩まで、スタッフの方々と過ごした一つ一つが、全てかけがえのない思い出だ。決して忘れることはできない。

 つまり、アメリカは自分にとってそれだけ身近な国だった。しかも、長男はアメリカで生まれた。タテに縦断し、そして最後にひろし君とアメリカ大陸を横断した。変なエピソードを持つ住職だが、いずれにしてもアメリカを、アメリカ的な文化を、ひどく身近に感じてきたことは間違いなかった。

 しかし、アメリカへの思いが変わり始めたのは、やはり同時多発テロからだと思う。これを契機に、多くの者がアメリカの実像をより深く考える機会となってしまった。それがテロ犯の目論見どおりだとすれば口惜しいが、ベトナム後に物心のついた私たちにとって、世界政治とアメリカ、そして宗教を考えさせた大事件が9.11だったことは間違いない。

 南アジアやヨーロッパでご奉公する機会に恵まれ、より俯瞰的に世界を見れるようになった。アフガニスタンへの攻撃、イラク戦争の開戦と、世界が激動する中、真実の仏教を実践する中で感じることが多くあった。イラク戦争が開戦された年のラマダンに単身イスラエルを訪れた。世界宗教の原点に肉薄し、自分の肌でユダヤ教、キリスト教、イスラム教と、それらの活動を感じ、学ぶにつれて、民主主義やアメリカ的価値観を世界に広めること以上に、「仏教」を世界に弘めることが大切であると確信した。その実践として、こうして日本国内はもちろん、世界各地でご奉公させていただけることに心から感謝している。生き甲斐を感じて生きれることほど嬉しいことはない。

 今回、久しぶりのアメリカで御本尊奉安のご奉公ができたことは、また無上の喜びだった。ひろし君が中田社長にご信心のことをお話しし、TJSの社屋に御本尊をご奉安させていただくことになった。ブラジルに行く途中、立ち寄るL.Aで私がご奉公させていただける。これほど有難いことはない。日本から御本尊をお供して、会社を訪れた。

 スタジオ。ここで「ブッディスト・トランス・アメリカ」を憲史くんが編集してくれていたのだなぁと思うと感慨深い。あの番組は半分がコメディーみたいなものだから、聞かせたくても聞かせられない(笑)。中田社長から「ここで、いつも憲史は裸になって編集してました(笑)」と教えてくれた。

 会社の一番奥、8名くらいの日本人スタッフの方々がデスクを並べている部屋の正面に、御本尊をご奉安していただきたいということだった。

 早速、初対面の皆さんに御本尊を護持することの意義やお給仕の仕方などをお伝えした。みんなとても熱心に耳を傾けてくださっていた。そして、御戒壇を組み立て、御本尊をご奉安。続いて、御題目のお唱えの仕方をお教えして、ちょっと練習。無始已来をコピー。「さて、ではお看経しましょう」と、一座のお看経の開始。

 みんな、とても綺麗な声で御題目をお唱えしてくださった。有難い!中田社長のリーダーシップと真っ直ぐな気持ちがスタッフの方々にも浸透しているのだと思う。素直な気持ちで御題目口唱。本当に有難いなぁ。

 スタッフ全員との記念撮影。みなさん、本当に素敵な方々だった。ブッディスト・トランス・アメリカから3年で、その放送局であるTJSに御本尊がご奉安できるとは思いも寄らなかった。大きな流れの中にいることを感じる。有難い。これからの大発展、スタッフの皆さまの健康や幸せを祈念したい。

 ホテルも中田社長が取ってくださっていた。夕食の場所まで取ってくれていた。本当に何から何までお世話になった。夕食には、ひろし君の会社の副社長であるスチュワート氏とL.A.に留学中の若いHBSメンバーを招待した。場所は「KATANA」という日本食レストラン。留学中の彼らに、久しぶりの日本食を食べさせて上げたいと思っての選択(あとで聞いたら「昨日、納豆食べました」って言っていた)。

 このお店は、ブラッドピットが結婚式のパーティーをしたことで一躍有名になったハリウッドセレブの集う素敵なレストランとのこと。「えー、こんな所じゃなくてもいいのに(汗)」。

 でも、みんなで楽しく夕食ができた。禎崇くんも元気だった。夕香菜ちゃんと麻衣ちゃんはひろし君からの紹介で中田さんご夫妻にお世話になっている。あの大事故からの御利益、復活で、アメリカへの留学が実現した夕香菜。そして、幼なじみの麻衣ちゃん。

 夕香菜ちゃんの御利益については青少年の一座で本泉寺の皆さんから発表された。あの時以来、ひろし君をはじめ、みんなが彼女を可愛がり、サポートしてくれている。彼女も夢に向けて頑張ってる。有難いではないか。中田さんの奥さまはヘアーメイクのお仕事をされているのだが、夕香菜たちの髪の毛もカットしてくれているとのこと。その奥さまが「二人は前向きなので、こっちも元気になります」と言ってくれていた。偉いな、夕香菜、麻衣ちゃん。有難いよ。

 ディナーでは、スチュワート氏とTJSスタッフの芹沢くんと本門佛立宗のご信心、御題目とは何か、「有難い」の意味について意見交換した。スチュワート氏のお父さまはバプテスト派の宣教師だったとのこと。今でもバリバリのクリスチャン、毎週教会に行っているとのことだった。

 しかし、ひろし君からの話を聞いて、「もっともっと仏教を知りたい」と言っておられた。私から分かりやすく「キリスト教」と「仏教」の違いについて説明した。もちろん、全てを否定するような言い方はしない。とにかく、シンプルに、仏教の考え方を説明するだけだ。スチュワート氏はとても熱心に聞いてくれていた。限られた時間だったが、「今度もっとゆっくり仏教の話を聞かせてください」とお話をいただいた。これも、有難い。

 有意義なトランジットだった。経由地でのご奉公、たった1日でも、これだけご奉公できるなんて。有難いこと極まりないなぁ。

 ホテルに戻って就寝。シカゴ経由でサンパウロへ。

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