昨年のスリランカ開教10周年に当たり、妙深寺でまとめた弘通史がある。10周年記念の団参者にお配りをし、より充実したお参詣ができるように配慮したものである。あくまでも妙深寺から見たスリランカ弘通史ではあるが、ほぼこれを網羅していると思うので、スリランカ内戦難民支援をお願いするにあたり、ここに掲載させていただこうと思う。
この資料は、妙深寺の教務部、特に岩澤清従師を中心にまとめてくれた。彼は、実に優秀な編者であり、ライターであり、デザイナーである。ほんと、私のこうしたブログや執筆のご奉公も、彼が大半を支えてくれていると言っても過言ではない(ほめ過ぎかな?)。
とにかく、支援を呼びかける以上、責任を果たさなければならない。しかも、義援金とてお金をお預かりするのであるから、信頼していただかなければならないし、責任もある。こうして、過去の歴史を掲載することによって、そうした地道なご奉公を読んでいただく中から信頼を抱いていただけるようになれば嬉しい。
●新時代の海外弘通の幕開け
まだ宗門をはじめとして、ホームページを持つ寺院も少なかった1997(平成9)年初頭、インターネットの活用による新時代のご弘通に対応すべく、妙深寺では、いち早くホームページ(HBS-Network)を立ち上げ、情報の発信や問い合わせへの対応を開始しました。同時に、当時海外弘通の先駆けとしてご奉公されていた福岡御導師のご協力をいただき、英語版のページを整え、日本国内にとどまらず、「一天四海皆帰妙法」の実現のため、世界に向けて教えを発信しました(この詳細は、福岡御導師が2004年3月6日、妙深寺での御法門「縁について」でお話くださっている。後に掲載する)。
そうした中、イタリアやアメリカ、また、スリランカからのメールがHBSNetwork宛てに届き、福岡御導師に協力をお願いしながら対応を進めていきました。その後、「ぜひともスリランカに来て頂きたい」という依頼があり、この時スリランカは内戦状態であったにも関わらず、福岡御導師はスリランカへ渡航されました。現地の人々に佛立宗の教えが伝わったのが1998(平成10)年。それから福岡御導師は幾度となくスリランカへご奉公され、多くの方が入信し、純粋なご信心で次々と御利益を感得され、爆発的にご弘通が進展していきました。
● 2004(平成16)年3 月、妙深寺 門祖会に福岡御導師をお迎えする
この年の妙深寺門祖会では、福岡御導師を奉修御導師にお迎えし、海外弘通、特にイタリア、スリランカのご弘通についてお話しいただきました。
『私は何とか世界に佛立宗の素晴らしさを発信したいということで、佛立宗の教えを英語に翻訳する作業をしておりました。なぜそういうこと始めたかといいますと、30 年くらい前に、アメリカの東海岸の方をウロウロしてたんですが、そのときに向こうの学校関係の方から「お前さん坊さんやったら、仏教の話しをしてくれ」と言われたんです。ところが私はそのとき英語で仏教のことを何一つまともに語ることができなかった。そのときの悔しさ、残念さ。これは何とか英語できちっと佛立宗のご信心をお伝えしなかったら「一天四海皆帰妙法」なんて言葉だけになってしまう。そうゆう思いで、10 年前にやっと英語のパンフレットを出したんですが、それでも中々世界の方に届きません。
そのときに清潤師が来まして「インターネットやりましょう。御導師のパンフレットを載せさせてください」ということで、ホームページを開くことになったんです。そして翌年から世界中のあっちこっちから色んな問い合わせがあって、それが発端でイタリア、アメリカ、イギリス、あるいはスリランカにご弘通の種ができていきました。だけどインターネットは単なる切っ掛けですから、やっぱり実際に行って直に会わなければご弘通はできません。そういうことでそれ以来あっちこっち外国を走り回るようになったわけです。
スリランカは仏教国ですが、同じ仏教でも「小乗仏教」なんです。小乗仏教というのはお坊さんは自分の修行のためには信心修行をしますが、人々を導くっていうことはないんですね。そういう国です。ところが、近年インターネットも普及して、色んな人たちが仏教を比較するということを始めた。すると、仏教にも大乗仏教というのがある。その大乗仏教の中でも法華経という教えがありがたい。で、この法華経は今どこに弘まっているかといったら、日本だと。それで法華経をよりどころにする宗派というものを探して、色々研究されたらしいんですけれども、その中で佛立宗のホームページを見て、一番我々の気持ち、求めてるものに合うてる、ということで一通の手紙が来たんです。
この人たちは10 人程で法華経を信仰する会というのを作ってはったんですな。「我々“法華経を信仰する会”のメンバーは、この度“本門佛立宗・スリランカ支部”と名前を変えました」って(笑)、まだ許可得てないのに勝手にもう名前を変えてる。で、「支部ができた以上、あなたは来なければならない」って書いてあるんです(笑)。それで行きましたんですよ。
その頃スリランカは内戦状態で、自爆テロが頻繁に起こってまして、「御導師ようそんなときに行きはりましたな」って言われるんですけど、ただ知らなかっただけの話なんです(笑)。向こうの人も「こんなときによう来てくださった」って、えらい随喜されましてね。それで佛立宗のお話しをさせていただきました。スリランカはイギリスの統治国でしたから、小学校の子でも英語を習っていて割りと通じる国なんです。
そういうこともあって、ご弘通がどんどんできていきましてね。現在ご信者さんがだいたい1000 名を超えたと思います。日本に比べると貧しい国ですけれども、人々はすこぶる良い人たちですね。治安もいいです。
あちらでは運転手付きでバンを2 台くらい借りまして、それにご信者さんを乗せてお助行やご奉公に回るんです。1 日に多いときで御本尊掛けを12 軒回ったこともありました。朝の8 時から遅いときは夜の11 時くらいまでですかな。それで、日本みたいな快適な道はありません。それに赤道の近くですから年中真夏です。それと、この国えらい色んな会社が日本から入ってんのやなぁ思ったら、日本で営業用に使ってた車をそのまま買い取って、整備も何もせんで乗ってますのや。だからもちろん冷房は入りません。窓開けなしょうがない。ところが整備不良の車ばっかり走ってますから、そりゃもう真っ黒な黒煙、排気ガスがウワァ~っと蔓延している訳ですわ。だからどっちを選ぶかや。暑さを選ぶか、排気ガスを選ぶかて(笑)。そういう状態で揺られながら移動して行くんですがね、とにかく飛ばすんですよ。でも何キロで走っているか分からないんです、メーターがダラーンて下がったままやから(笑)。そういうご奉公ですわ。
そういう中で、なぜそれだけ弘まるか。まず仏教を求めてる。今までは、お坊さんはお寺にいて自分たちとは関係ない。布施・供養はするけど、教えを説いてくれたり、悩みを聞いてくれるわけでもない。そこへ私が行ったら「あっ、あれ何や。日本からお坊さん来てる」って言って、すぐ分かるんですよ。窓にガラスが無いから。それで、拍子木打ちまっしゃろ。ほんなもぉ近所に聞こえて、終わる頃にはみんな外に並んで覗いてるわ。ほんで「あんたんところ何やアレ?」って言われて、「いやぁ、日本からお坊さんが来て拝んでくれてる」って、「ほな僕も入る、私も入る」ってこうなってくるんです。
かつて日本でもご弘通が何でできたかいいますとね。3 つの「縁」なんですな。何かいうたら、「地縁」…土地の縁。近所付き合い向こう3 軒両隣。それから「血縁」…血の縁、親戚。それからもう一つは、「社縁」…仕事の縁。商売で弘まっていく。昔は商売の主人が入信しますと使用人みんな教化したもんですわ。それで佛立宗は弘まったんです。今、日本はこれあらへんのですよ。ところがスリランカはこれらが全部残ってるわけですわ。だから一人が入信してお助行に行きますでしょ、こちら何とかペレラさんと紹介されて、その次の人も何とかペレラ。またペレラ。兄弟です言うてみんな教化。それからお医者さんが入信されるでしょ、そうするとその方が仲間を教化していってお医者さんのグループができる。学校の先生が入信すると先生のグループ。ある村の長老が佛立宗に入信して、「これはえぇから皆せぇ」言うたら、もう村がみんな佛立宗になるんです。
それから「世界平和の塔」っていうのを2 年前に建てたんです。その前に、ひょんなことから私が向こうの人たちの集まりで講演をさせてもらいました。それは1948 年に、スリランカがセイロンっていう国から独立したんですよ。イギリスの統治下から。1951 年にサンフランシスコ講和条約っちゅうのがあったんですわ。そのとき日本は敗戦国で、アメリカ、ソビエト、フランス、イギリスという国が、日本に対して「戦争責任を取れ」と、世界中から賠償請求をされたときに、このスリランカの当時の大蔵大臣、後の首相は「私共スリランカの国は、日本に対して一切の戦争責任を問いません」という演説をしたんですよ。
「我々は仏教国です。お釈迦様は“恨みを恨みで返してはならない、忍をもって行ずれば、恨みを沈めることができる”とおっしゃっている。であるから恨みを恨みで返すことはしない」といって、日本は賠償責任を免れたんです。だから日本はスリランカという国に大変恩義があるんですね。で、その話をした。そら向こうの人皆知ってますわ。でもこの話をお釈迦様がどういう状況で話されたかということは知らないわけですね。そこでその話をしたら、こらぁ凄い言うてね。「この方を世界平和の塔の開塔式典に呼ばなければならない」言うて、また勝手に決めてるんですよ(笑)。それで招待状が来て、私は参列の一員として呼ばれてると思って行ったんですよ。
でも、空港に着くと何か様子が違うんですなぁ。まず「ここで正式な格好に着替えてくれ」言われて、何でこんな大層な格好すんのかな思ってたら、テレビ局が来てるんですわ。誰を撮ってるかと思ったら、あっ私や! で、歩いていくとその前を綺麗な女の子がずっと踊ってるんですよ、音楽鳴らしながら私を先導しとるわけや。それで、でかい傘を私に差してね。大臣か首相とかにしかせんことをしてくれとるわけ。もう私も成り切らなぁしゃあないわな(笑)。もう度胸。で、世界平和の塔に着いてお看経させてもらったんですわ。で、ふと見たら仏丸が入ってますのや、仏丸が!
これは前に行ったとき、講演で仏丸の話をしたんです。これは日本語で二つの漢字を二つ組み合わせて、仏立と読むと。『仏』というのは、釈迦牟尼仏陀。『立』は、創立した。Founded by Shakyamuni-Buddha.… 釈迦牟尼仏陀によって立てられた宗旨、佛立宗であると説明した。それで仏丸をボーンって付けて、佛立宗の塔になってもうてますのや。
こうして本門佛立宗のご信心が今あちらこちらに、こういう成果が少しずつ上がってきているわけです。
この本門佛立宗のご信心は法華経です。法華経でも本門八品といって、全二十八品(章)の後半十四品(本門)の中の八品で、お釈迦様が、自分の本体は久遠本仏であるということを明かされて、上行菩薩という方に説かれた部分が本門八品。この教えが末法の法華経なんですね。その法華経本門八品の教えの中で何が一番大事かというと、「一念信解の功徳」が大事なんです。一念信解の功徳と言うのは、自分がこのご信心にお出会いさせていただいたこと、御題目を唱えていること、その御題目を弘めさせていただいて、またその方が御利益を頂いていく姿を見て喜ぶ、「あ~ありがたいなぁ、結構やな」という気持ち、この「ウブ」な気持ち、これが御宝前と感応するんです。
私はスリランカのご信者さんからそうゆうことを逆に学ばせてもらいました。喜んでされているという「ウブ」ですわ。敬いの心というのも凄い。向こうの子は小学校一年生くらいの子でも誰に教えられるでもなく、みんな私のところへ来て座って、足袋の上に頭を付けてこう礼をするんです。僕もものすごう偉くなった気がしましてね(笑)。あれ法華経の中に「釈尊の御前に詣でて御足を礼しって書いてあります。その時代からのしきたりを守ってるんです。そうゆう敬いの心がありますからご利益頂くのも早いです。「喜び」と「敬いの心」があって「お看経」しましたら、昨日入った人でもご利益頂くんです。国は関係ないです。御題目さん唱えてたらええんですから。
スリランカで、入信前に歩けなかった方がいたんですが、その人が入信して歩ける様になって、歩いて自分で参って来はったことがありました。それから自分の敷地に井戸を掘った人がいまして、職人を雇って掘ろうとしたら、雨が降り出したんですわ。雨が降ったらもう工事できない。でももうこれ外したら掘る日がないと。そや、今度入信した佛立宗の御宝前でご祈願しよ言うて「雨止んでいただきますように」ってご祈願した。そしたら雨が止みだした、止んだ止んだ、工事工事って言うたら、また降り出した。拝み方が足らん言うて、また一生懸命拝んだらね、雨が止んで工事がその日の内にできて水が出たという話。たまたま止んだって思うでしょ? ところがね、降ってなかったのは《この家だけ》だったんです。周りは降ってるのに何でここだけ降らんやったかなって不思議がってる訳ですよ。
それからお医者さんが教化した人がね、非常に難しい血液の病気になった。「あんた、医学的には難しいから御題目を唱えなさい、お供水さん頂きなさい」って勧めて、それを一生懸命にやったら、日に日に良くなってくんです。そのカルテを他のお医者さんに見せても、これでは治るはずないって言うんですね。でも治ってる。 そうゆうような御利益が出てきてるんです。素直やから。「あ~、ありがたいなぁ」って、この思いがあるからですわ。「ウブな思い」がいかに大事か。私たちに今一番欠けているのは、そういうご信心の感性ですよ。ウブな感性。これを私たちやっぱり取り戻さなきゃいかんです。こちらが本家なんですから。そういう感動、喜びというものをなぜそんなに強調するのかと言うたら、それが御利益を生み出すエネルギーになるからなんですね』
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