元旦から寒参詣にかけて、来年に向けた報恩ご奉公が、圧倒的な力強さでスタートしています。まさに、妙深寺信徒の誇りと喜びを再確認しながら、老若男女が団結し、ご奉公してくださっています。
弘通部門の方々が、草創期から妙深寺を支えられた大先輩のお宅へお助行に伺い、その声を「菩薩の記憶」として届けてくれています。その声は、尊く、強く、温かく、励ましや厳しいお折伏をも含んでいます。こうして、本当の意味で世代の壁を越えたご奉公が生まれようとしています。
一月の御法門を、覚えておられますか?「願い」は「誓い」と一緒でなければならないのです。「祈願」というのは、「ある目的が達成されるように、神仏に祈り願うこと」との意味でした。「誓願」は「神や仏に誓いを立てて、物事が成就するように願うこと」という意味です。どちらの方が御法さまからお力添えをいただきやすいかを考えてくださいと申し上げました。
元旦の御教歌を再拝します。
「われ道にすゝむ心をてらし見て
仏は力そへ給ふなり」
厳しい時代だからこそ、今年は「精進」を座右に置いて、とにかく油断や後戻りをしないように、コツコツと罪障消滅と功徳を積み重ねていただきたい。本物の仏教に、棚からぼた餅のようなことはありません。努力や精進がなければ御利益ない。「精進しよう」と努め励む心に、み仏は力を添えてくださるのです。
つまり、自分の努力を忘れて「祈り願う」だけでは、御法さまも力の添えようがない。「祈願」と「誓願」は、神仏へ願うことに変わりありませんが、誓願には願いと共に自分が果たすべき努力が入っていますが、祈願だけなら欲をぶつけるだけになってしまう。どちらが力を添えやすいでしょう。もちろん「誓願」に違いありません。
私たちは「誓願」こそ御利益をいただく近道だと知るべきです。「菩薩の誓い」を全員で立て、その誓いを破らないようにと精進すれば、必ず、妙不可思議の御利益、み仏のお力添えをいただきます。
一月の教区御講の御教歌。
「み仏にたてし誓ひをやぶらずば
いまより法の光りをぞ見る」
みなさんは、御法さまの光りを見たことがあるでしょうか。是非、見てください。佛立宗のご信心は、「口唱の味わいを知ること」です。毎朝毎晩、お看経することの「味わい」を知ってください。菩薩の誓いの最初は「朝夕のお看経」を欠かさぬこと。それを破らぬように努めれば、必ず御利益があり、御法さまの光りが見えてくるはず。「いまより」です。決心した瞬間から光りが見えてくるはずです。
本当に、このご信心は不思議です。つくづく、本物のご信心です。打てば響きます。ご宝前は、間違いなく生きておられます。教えてくださいます。待っておられます。見ておられます。応えてくださいます。
どうか誠心誠意、真っ直ぐ、素直正直に、ご宝前に向かい、ご信心を磨き、ご奉公に励んでください。必ず、その功徳は火にも焼けず、水にも漂わず、ついて離れることはありません。とにかく、精進しましょう。
お教化も「今月中にする」という気持ちが大切です。今月中に出来なければ来月中。それこそ誓いを破らない、精進の姿勢です。
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