今朝は6時半から月始総講。いよいよ2月がスタートしました。
平日の朝の月始総講ですから、お参詣しにくい日時だと心配していました。それでも、たくさんのお参詣をいただき、本当に有難い。ありがとうございます。
今朝も寒かったです。朝参詣終了後、境内地の池が凍っているのを発見。みんなに聞いてみると、「この前から凍ってます」と、きっぱり(汗)。僕が気づかなかっただけなんだ。すごいな、横浜で氷が張るなんて、久しぶりだと思う。
こうした寒い最中でのお参詣は、本当に有難いことです。また、横浜などは温暖な方で、豪雪の中で寒参詣に励まれている全国の寺院に思いを馳せることも大切だと思います。寒参詣とは、極寒の佐渡島で阿仏坊と千日尼ご夫妻たちのお祖師さまに対するお給仕を見習って修行するものです。実は、阿仏坊ご夫妻と同じ地域に住んでいた「紺(國府)入道ご夫妻」という方々もお給仕をされていたという史実があり、いくつかのお手紙が残されております。
「国もへだたり、年月もかさなり候へば、たゆむ(弛)御心もやとうたがい(疑)候に、いよいよいろ(色)をあらわし、こう(功)をつませ給事、但一生、二生の事にはあらざるか。」
これは、私たち寒参詣する者にとって、とても関係の深い御妙判です。すでにお祖師さまは佐渡島から離れ、鎌倉に戻られ、そして身延に入られた。しかし、阿仏坊も、紺(國府)入道も、遠く佐渡から足繁く身延山を訪れ、お祖師さまの御法門を求め続けました。そのご信心前を思いつつ、お祖師さまはお手紙を書かれたのです。
「極寒の佐渡からは、国も変わり、月日も流れました。あぁ、あの時は日参し、ご奉公してくれたけれども、もはや気持ちは薄れ、信行ご奉公も怠りの気持ちが強くなっているのではないかと疑っていたのだけれど、そうではなく、いよいよその姿形に表して、功徳を積まれようとなされていることを考えると、あなた方と日蓮は、この一生や二生のご因縁ではないと思われます」と、その心境をお書きになられました。
寒修行に気張ること、そして、その気持ちを忘れず持ち続け、姿や形に表して、いよいよ功徳を積もうと励むこと。本当に、大切なお手本です。阿仏坊夫妻の陰に隠れている紺入道ご夫妻ですが、忘れられません。阿仏坊も、再三身延山までお参詣され、お祖師さまは心から随喜されて「日得」という法名を授与されています。奥さまの千日尼にも、重ね重ねお手紙を認められています。
お祖師さまは、その修行、そのお給仕のご奉公、お参詣を、絶対に忘れられません。阿仏坊や紺入道夫妻にならい、日々寒参詣に励まれている皆さんのことを、お祖師さまは温かく見守られていると確信しております。これは史実、これはルーツなのですから。
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